運の良い人、運の悪い人の「視座」

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今日も、子供を保育園に送り届けてひと息ついたところです。
毎日、車を運転していて「ああ、申し訳ないなぁ」と思うことがあります。

子供を乗せているので

「ママ、靴が脱げちゃったから履かせて」
「ママ、お水飲みたい」

「ママ、ねえ、見てみて!」

などなど、
いろいろ頼まれるのですが

それに対応してやれるのは
赤信号で止まった時だけなので
(走行中はあぶないからね)

青信号に変わっているのに
気がつかずにいて

後ろの車から
パッシングされたり
クラクションを鳴らされたりすることがあります。

その度に

「あぁ、ごめんなさい」

と言いながら、アクセルを踏みます。
なので、私の場合は前の車がなかなか進まなくても、そのまま待っています。
3秒もすれば、ほとんどの人が気がついて、前に進みますからね。

……

都心を運転しているので
タクシーの台数も多いのですが

ときどき
トラブルになりそうな
運転のしかたをする運転手さんもいます。

事故になるような程度になると
話が違ってきますが

多少は、
しかたがない、と思うんですよね。

わたしが乗客のときは
「急いでいただけるとありがたいです」

などとお願いすることもありますし

それに対応して
時間通りに着けてもらって
本当に助かったことが、何度もあります。

また「別の角度」から見れば
タクシーにお客さんが乗って

運賃を払えば
お金が回るわけですし
経済にも好影響となるわけです。

同じ道を走っていますが
彼らはプロで、この道の上で商売をしていて

わたしのような一般のドライバーは
自分のために走っているだけですから

目的が違えば
走りかたも違って、当然なわけです。

なので、私などは

タクシーにはどんどん道を譲りますし
他の車にも、どんどん譲ります。
そのほうが
「流れ全体がスムーズ」になると思いますし
その流れに乗せてもらって
「運ばれて」いったほうが
気楽なように思うからです。

……

わたしは、仕事で
2万人以上の人と関わってきたのですが

人には

それぞれの都合があり
それぞれの見方があるなあと

つくづく、思います。

中でも

「自分の運転席」
「自分の主観」
「自分の立場」
「自分の都合」

という

「自分」という位置からしか
世界を見ない人は

いつも怒っていたり
いつも泣いていたり
いつも後悔していたり
いつも人のせいにしていたり
いつも言い訳していたり

いつも
「思い通りにいかないこと」に

思い悩んだり
むしゃくしゃしたり

忙しいように思います。

それも
本人がそうしたいから
そうしているので

その人に必要だから
その「視座」を経験している最中なのだと

とくに
アドバイスらしいアドバイスも
しないのですが

その一方、

いつも
「流れがスムーズ」で
「うまくいっている」人というのは

「他人の運転席」
「他人の主観」
「他人の立場」
「他人の都合」

という

「他人」の位置から

世界を見ているので

「思い通りにいかない」ことなど
「当然のこと」であると

最初から、
「すべて」を受け入れています。

さらに言えば
「自分」以外は、全員
「他人」です。

その、さまざまな
「他人」の位置から

この世界を見ようとしたとき
この世界ははじめて

「立体的」に見えてきます。

カーナビでいうなら
「バードビュー」です。

鳥が飛んでいる高さから

「自分」の位置を見下ろして
「俯瞰」して、見ることができる。

すると、

自分はどこに向かおうとしているのか
その道は、自分にフィットした道なのか
どこは渋滞していて
どこはスムーズに流れているのか

言い換えれば

どこは「流れが良い」のか
どこは「流れが悪い」のか

それが、見えている、のです。
普通に、見えている、のです。

それは特殊能力?でも、なんでもありません。

その「流れ」の一部となり
その「流れ」に「運ばれる」こと。

自分など
「一部」でしかないと
「一部」であると、知っていること。

それが
「運がいい」
ということなのではないかと、

思うのです。

……

損や得や、という視点で
得をしようとしている人は

損のことばかり気にしています。

自分の運を良くしよう?
などというのも

所詮は、

「自分の運転席」からの
「自分の都合」です。

「自分」だけでも
「他人」だけでもなく

「全体」の流れを、促す。

その一部であり
それと一体であることを知る。

そして、あたらめて
「他人」の位置から世界を見る。

まずは
袖振り合った、近くの「他人」の位置から。

その「他人」が
少しでも前に進むように
流れを後押ししていると

自然とその波に押されて

気がつけば、
自分も前に進んでいる。

自分だけが前に進もうとする人は
いつも誰かに阻まれている。

それは、自然な流れ、なのです。

という視点に立つと
「自分」と「他人」の間に
境目というのは存在せず

損も得もなく
見知らぬ他人の幸せを祈ってしまう。

綺麗ごとでもなんでもなく
これが「自然」の摂理。

血液が流れるように

「普通」のこと。
「普通」に見ることができれば

「普通」に流れは進んで行く。

自分を邪魔しているのも自分なら
自分を運ぶのも自分。

いや「運ばれる」のも自分。
すべては「他力」という「流れ」。

その「流れ」の一部になるか、ならないか
その「流れ」を促す存在になるか、阻む存在になるか

それは、自由。

だから、気楽に。

より一人でも多くの「他人」の目から
世界を見ること。

それが、いわば「想像力」。
それが、いわば「思いやり」。

なんか、
まとまったことが言いたくなっちゃったみたいなので
そろそろ今日の仕事にでかけます。

今日は、
ある女性のスタイリストをやってきます。

新潟から来てくれるんだ。

やばいな。嬉しいな。

わたしも、運が良すぎるな。つくづく、私なんか、運、だけだな。
運ばれて、流れに流れてきただけ、だな。
……..