抽象的な話をします。自分の「根っこ」を信じてやらない人は、美しい花を咲かせようと必死になるように思います。
人から見えるのは、花であり、実であり、枝葉だけです。
美しい花を咲かせないと、自分という生き物には価値がないと思い込んでいませんか。
美味しそうに見える実を付けないと、生き物として価値がないのではないかと不安がっていませんか。
そして、他人の花や実を羨み、自らのそれらを見て卑下していませんか。
もしそういうあなたがどこかにいるなら、どうか、自分の根が、地深く、四方八方に向けて、力強く伸びていることを、思い出してください。
樹というのは、根がしっかりと張っているから、立っているのであり、生きているのです。
生きていること、それが、全てを証明しています。
地深く根が伸びていることを、自覚している人は、花を咲かせ、実を付けています。
「この程度の根しかない」と、自分を卑下して見ている人は、その根っこに比例した分の花しか咲かせず、実しか付けない、のです。
「根」とは
「経験」です。
生きてきた分、
自分の感情と向き合ってきた分、
それが「経験」となります。
あなたがどんな「経験」をしてきたか、
それらはすべて「財産」です。
根を伸ばそうとするときは、固い土に阻まれて、痛い思いをすることも、先が見えずに、生きること自体を諦めようとすることも、あるでしょう。
はたまた、
すいすいと伸びていく季節もあるでしょう。
今が辛いのなら、今こそ、あなたの根っこが、美しく伸びようとしている最中です。
人生に、もし、目的のようなものがあるとすれば、それは「経験」することのみ、です。
経験に目を向けて、
大切に過ごし、
大切に味わい、
ときに大切に悲しみ、
ときに大切に喜んでいれば、
勝手に花は咲き、
実を付けるものです。
花を咲かせることが目的だと思っているときは、根のことを忘れています。
根が張った分、土から栄養を吸い込み、それが幹や枝葉を通り、花や実の形となるのです。
別の角度から見れば、
美しい花を咲かせ、美味しそうな実をつけている人というのは、その分の「根」を持っているということです。
その分の「経験」をしてきたということです。
これは、生きてきた時間には比例しません。
お若い方でも経験を重ねた人もあれば、
年老いた方でもそれが少ない方もあります。
また、出来事の多さ、忙しさ、にも比例しません。
その出来事に出くわしたとき、どれだけ、そのまま、ウソなく、誤魔化しなく、自分の心の中に起こったことを、まじまじと見つめることができたか。
それがどんなに
汚いものでも、
辛いものでも、
居心地の悪いほど暖かなものでも。
どんな種類のものでも、逃げることなく、そのままを、凝視(ガン見)することができたか。
出来事は、その程度が甚だしいものほど、ナナメから見たり、人の陰に隠れて見たり、無かったことにしてみたりと、逃げたくなるものかもしれません。
しかし、逃げたら、もったいない、のです。
苦々しいものは
どこまでも苦々しく味わい
甘美なものは、
どこまでも甘美なものとして味わい
今、そのままを、まんべんなく、1ミリも逃さず、まるのまま、フルに味わうこと。
もし、逃げたくなったのなら、その逃げたくなった感情も、まるのまま、捕まえて、味うこと。
全身を使って、味を知り、体に刻み込むこと。
それが「経験する」ということです。
……
わたくしごとを挟みますが、
私はこれまで「幸せ」という味を避けて、逃げて、生きてきました。
誰もが幸せになりたいと思うかもしれませんが、私には恐怖でした。
なので、私は「幸せ」から逃げずに、まんべんなく、正面から味わっている最中です。逃げられないほどの幸せに包囲されたことが、何よりの救いでした。
なので、私は「幸せ」という種類の根っこが、まだ伸びている途中です。
そちらの方面には、まだ根が張っていないので、根が伸びるほど、今までとは違った花を咲かせ、今までに自分でも見たことがな実を付けるだろうと、楽しみにしています。
……
あなたは、どんな味を避けて生きてきましたか?
辛さから逃げてきたなら、
存分に辛さを
孤独から逃げてきたなら、
存分に孤独を
暖かさから逃げてきたなら
存分に暖かさを
味わうことですし、それを味わわされることに、なっているようです。
自然の流れで。
ですから、今、目の前にあることから感じているものを、最大限に感じとることです。
何を探しに行かなくても、
何を操作的に手に入れようとしなくても、
今、そこにある、そのことを、
「これでもか!」
と味わうこと。
嫌でも、次から次に、ちゃんと、用意されたフルコースのように、流れてきているもの、ですから。
出されたものは、食ってみる。
味がしてから、
どんな味なのかわかれば遅くない。
都合の良さそうなものを探している間は、
なんの味もしないもの。
なんの経験にもならないもの。
根は1ミリも伸びないもの。
今日を、きっちり
「喜怒哀楽」すること。
正直に。
誤魔化しなく。
それはストイックなニュアンスではなく、
ただ、ただ「素直」であるということ。
ただ、ただ「純粋」であるということ。
泣きたいなら泣き、
怖いなら怖がり、
楽しいなら楽しむ。
そのままを生きること。
てっとり早く花を咲かせる方法、が、世では、もてはやされるものですが
てっとり早く、根に似つかわしくない花を咲かせてしまった人ほど、早くにそ樹ごと、根ごと倒れてしまうか
根ごと腐らせてしまい、ドライフラワーのように、命なくカタチだけで生きることになるものです。
あなたは、
そこに、どっかり生きている。
根を伸ばしながら生きている。
もし、一度、枯れてしまったとしても
根さえあれば、
この世に生きていさえすれば、
何度でも、
何度でも、生き直せる。
根から栄養を吸収しながら生きていれば
勝手に花は咲くもの。
勝手に実も付いてしまうもの。
今咲いている(咲いていない)花を見れば
根の具合がわかるもの。
花を嘆く暇があるなら
すくすくと根を伸ばして。
そしてまず、
すでにあるその生き生きとした根を、
隅々まで、よく見てやって。
弱々しくたって何だって、根があるから、そこに立ってる。あなたは、そこに生きてる。
なんとかなる。
今だって、なんとかなってる。だから生きてる。
あとは
「今日」の自分を
「今」の自分を
逃げず、誤魔化さず、そこにこそ、根を張っていくこと。
今日しか味わえない感情があります。
今しか感じられないものがあります。
そこに、
真摯に、
正直に、
素直に、
無垢に、
純粋に。
あなたの樹は、常緑樹で、死ぬまで何度でも、花も実も繰り返す、魅力的な樹だと、思い出して。
苦しい時も、
悲しい時も、
暖かい時も、
甘やかな時も、
その感情に包囲されたことが幸せなのであり、そのとき根は伸びているのであり、もはや花は咲いたも、実ったも、同じなのです。
まだ来ない未来を疑ったり、
もうここにはない過去をほじくり起こしたり、
現代人の安泰な私たちは、
どうやらヒマなのです。
今起こること、
今起こすことに必死なら、
勝手に花は咲き、勝手に実も付きますので、心配は要らないのです。
写真は、そんなことを、樹を見上げながら思った公園で。子供と、お砂場遊び中に。
……
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