人生なんて「無駄なことをいかに早く見つけるか」ではないでしょうか。
言い換えれば「いかに早く失敗をし終えるか」ではないでしょうか。
自分にとって、本当に大切なものなんて
「金鉱脈」のなかから
「砂金」を見つけるくらいの確率で、出会えるものだと思うのです。
そう考えると、すでにわたしたちは、金鉱脈にいるわけですから、早く、たくさんの「無駄」という「砂礫(されき)」をさらうこと
だと思うのです。
逆の見方をすれば、「金鉱脈」のほとんどが「無駄な砂」わけですから「無駄」自体が「財産」であるともいえます。
すでに砂金を手に入れている、とも、言えるのです。
しかし多くの人が、失敗を恐れ、無駄な行いをすることを嫌い、そうした人を劣った人であると見下すところがないでしょうか。
そして、失敗を恐れるがために、あなたの手に届くところに砂金があるというのに、他のどこかに「金塊」があるのだと信じ込まされ、それを探して一攫千金?しようとしている気がするのです(実際のお金の意味とは違います)。
よくいわれる「自分探し」のように。
そして、失敗を嫌うために、その足元にある砂礫に手をつけようとはしないのです。
「砂礫」と「砂金」を区別するための知識だけは一人前で。
今の自分は認めず、他のどこかにいる万能な姿の自分を探して。
そして皮肉にも、一生、金(きん)を手にすることはなく、手にしても気がつくことはなく、死んでいくのです。
それは、あなたの中に、在った、のに。
チャレンジ、なんて、意気込まなくても、いいじゃないですか。
負けたっていいじゃないですか。
楽しんでいきましょうよ。草野球みたいに。
生きてれば、何試合だってできるんだから。
……
日々、出会うもののなかに、光るものを探すこと。
光るものを「光る」と感じるために、闇に包まれることもあること。
あまりに闇が続けば、この世を諦めたくなることもあるかもしれません。
けど、忘れないでください。
今、あなたがいる場所が、または、どんなに場所を変えても、その場、その場に、どこにでも、砂金があるということ。
何をするか、しないかと同じように
その行いのなかに、何を見ようとするか、しないか。
何を見られる人間か、どうか。
探したものしか、見つからない。
探したものが、今も、見つかっているのです。
悩みたい人は、悩みを見つけているし
悲しみたい人は、悲しみを見つけているし
意味を見出したい人は、見出し続けるし
楽しみたい人は、楽しみを見つけ続ける
それだけです。
すべてを悩み切ったら、悩みは見つからなくなるし
すべてを悲しみ切ったら、悲しみは見つけられなくなるし
すべてに意味を見出しきったなら、すべてそのままを見られるようになるし
すべてを楽しみ切ったら、すべてが楽しみなのだとわかる。
ほとんどが、無駄なこと。
先に無駄と思えるものを、十分に見つけること。
無駄こそが、財産であるということ。
遠回りこそが、近道であるということ。
自分の愚かさを知ることが、賢さであること。
失敗を、たくさん。
無駄のなかにしか「金」はない。
っと、「失敗まみれ」のわたしは、失敗するほど、周りが輝きを増したので、そう思います。
自分のどうしようもなさを知るような経験を重ねるほど、日々があたたかになりましたし
そしたら、もう、悲しみも、悩みも、何もなかったのだとわかりました。
あなたがどうしようもなくて
あなたが無駄だらけであるほど
あなたは輝いていく
だなんて、学校では教えてくれませんでしたよね。
これだけ本を買い込んでも、必要な本は1冊、必要な言葉はひとこと、だったりするものじゃないですか。
さ、いい感覚が見つかったんで、一杯飲んで帰りますかね。結局なんだかんだ飲みたいんだよね。笑
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……
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