わたしの今日は、すごく素敵な一日でした。
いつものように食事をし
いつものように会話をし
いつもと同じように見える時間にも
いつも違う感じ方があって
何ひとつ同じではなくて。
そのとき、そのときは、そんなこと考えていないけど
いつも眠りにつく瞬間に
「はぁ幸せ」
と、口をついて出てしまったり
ただマンションの廊下を歩くだけで、食事の支度をするだけで、ただ洗濯ものを干すだけで
ただいつもの一日が始まって終わるだけで
なんか、涙が出たりすることがあります。
ただ歳なのかもしれませんが、笑
過去のわたしが、今の私を見たら、どうかしたんじゃないか?と、病気にでもなったんじゃないか?と、思うだろうと、思います。
……
人の感情の中でも、
ネガティヴな感情は
90パーセントが「過去の記憶」が引き起こすもの
というのを目にしました。
心理学というもの自体、心という可視化できないものを学問にしているのだから
私は、それを正しいか間違いかすら考えませんが
ただ、
「過去の記憶が、今の出来事に色をつけてしまう」
というのには、心当たりがあります。
以前のわたしは、どんな出来事を目にしても、その中に、悲しみを探そうとして
ただのひとことを
ただの行間を
ただの余白を
何もないところを、悲しみで汚していたように思います。
悲しみや、苦しみの先に、幸せがあると、思い込んでいたからです。
その思い込みが
まったく無駄であると
何度となく思い知るような
経験をしたことで
やっと、目が覚めました。
……
数日前、一人で昼寝をしていたとき
ベッドに横になって、ベランダのシマトネリコの葉が風に揺れているのを見ていたのですが
「ただ風に揺れている葉にすら、悲しみを探そうとしていたな」
と、ふと気がつきました。
そうしたら
「ここには、何もないんだ」
と思いました。それは
「虚無感」
というのでしょうか。
ただ、風が吹いて
ただ、葉が揺れている
だけ。
だけ、ですよね。
……
ただの、誰かのひとことを
ただの、何かのできごとを
そのまま、読み取れるのか
そのまま、感じ取れるのか。
何らかの
色付けをしてしまうのか。
口から出たときには、何の色も付いていなかったのに
聞いた耳が、色を付けてしまうのだとしたら。
見た目が、色を付けてしまうのだとしたら。
そうやって、過去が、今を汚し、未来までをも汚してしまうのだとしたら。
記憶なんて、要らない。
と思うのです。
……
「ただの現象が、そこにあるだけ」
なんて言ったら
それこそ、もの悲しく、空虚なように感じるかもしれませんが
記憶にも、何にも邪魔されず
ただ、そこにある事象に
ただ、純粋な温度を感じられたら。
それほど静かで、確かなものは、ないでしょう?
……
今日は、完全に私ごとになっておりますが
過去の私は、
今ここにありもしないものに
怯えて
構えて
泣いて
力んで
生きていたのだなと、ほとほと、わかったことを、お話ししたくて、書きました。
今は、それらが体から抜けて
「ただ」純粋に、そのままを見られるようになってきたように思えたので。
ふと、過去に引きずり込まれることもありますが
「ああ、過去が出しゃばってきたな」
と思うだけです。それも脳の自然な働きといいますからね。
今を、素直に感じる。
今を、素直に喜べる。
こんな素敵なことは、ありませんからね。
思えばですが、この「感じ方」こそが、私が、ずっとずっと欲しかったものでした。
「無駄」をしなければ
「必要」もわからない。
無駄と失敗だらけのわたしは
無駄と失敗だらけを生きてきて
やっと「必要」に出会えた気がしています。
……
ただ純粋に見渡した世界は
毎日が、
お誕生日かのようで
目の前が、
ギフトであふれ返るかのようで
ただの食事が
ただのあいさつが
ただ、ただ、そのまま
ただ、ただ、あたたかい。
一つ一つが、素敵にリボンをかけられ、私のために選んでもらった、待ち望んでいた、贈り物のようです。
ずっと「そう」だったのに、その贈り物を受け取らずに、過去に逃げていたのですけれどもね。
…なんて、
今日書いたこれを
過去のわたしが読んだら
指を指して馬鹿にしたくなるほど
有頂天、かもしれないのですが。
(余談ですが、辞書によれば「有頂天」というのは、仏語で
欲界、色界の上にある「無色界」というもので
肉体・物質から離脱して、心の働きである「受・想・行・識」の、四蘊 (しうん) だけからなる世界のこと
とのこと。
難しいことはよくわかりませんが、悪い意味ではないみたいです。)
……
さて、あなたは
ただそのままを見て
ただそのままを感じて
いますでしょうか。
その悲しみは
その寂しさは
その怖さは
「過去の記憶」が、加勢してはいないでしょうか。
それらを感じているときは
目の前の誰かを恨んだり
目の前の誰かを妬んだり
するのかもしれないけど
その、目の前の人は
あなたの
「過去の感情」の
「引き出し役」をさせられている
だけ、かもしれません。
(もちろん、犯罪とかは別の話です。)
あなたの「過去」にある
その感情の「根」を
見ようとしてもいいし
見ないようにしてもいい。
「根」を見るのは怖いもの。だから
「根」があるのかも?とだけ知っていたら
それで、
ただ、そのままを感じて
ただ、そのままを喜んで
生きるきっかけ、になる。
何の裏返しでもなく
素直に、欲して
素直に、胸に抱えて
素直に、あたたかさに飛び込める。
そして
有頂天、になっていい。
何の裏返しでもなく
何の裏付けもなく
あなたは、あなたに、なっていい。
どこまでも、そのままに、過去も現在も未来も分けず、放っておける。
……
「記憶なんて、要らない」
と言ってみたり
「過去に根がある」
と言ってみたりですが、
両方、本当、だと思っています。
私は、ですけれどもね。
あなたの今日が、ただ純粋に、静かで、確かめるまでもなく、確かなものであるはずなら。
それを邪魔しているのは、あなた自身かもしれないなら。
ただの現実に、色を付けたがっているあなたがいるとしたら。
「無駄」から目を逸らさず見つめるほど
「必要」が見えてくるとしたら。
写真は、子供のグレープジュースと、私のモヒート。ロンハーマンで自分のコートと子供のスウェットパンツを買ったあとに。いい買い物できたから祝杯。って、スキあらば飲みたいだけ、だな。笑
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