他人の価値観や、世の中が言うことしか聞いてなくて、自分のことを無視している人の人生がより一層こんがらがっていくように思います。
「これでいいでしょうか?」
という問い合わせは
ぜひご自身に。
「それでいいのです」
と、明確に支持できないときは
さらに自身にお問い合わせください。
「なぜ否定するのでしょうか?」
「なぜ気がかりなのでしょうか?」
「なぜ思う通りに動けないのでしょうか?」
それでも見えてこないのなら
さらにご自身にお問い合わせください。
「あなたは誰なのでしょうか?」
「あなたはどんな人生を望んでいるのでしょうか?」
「それには今どの道を選ぶことでしょうか?」
その問い合わせに
馬鹿ほどクリアに答え
もしくは問い合わせも不必要ほど
自分しか見えていない人
さらに言うなら
「これでいいでしょうか?」
というときに
自分に対して差し出した
「もの」や「こと」が
想像する範囲のなかで
最上級のものである人
そして「その問い」の通りに
体ごと動かせた人
その人たちだけです。
この世の「問い」を解けるのは。
だから「あなた自身、だけ」なのです。
あなたの問いに答えられるのは。
もう無視しないでください。
あなたを。
…
それが難しいから
二の足踏んで何年も過ぎていることも
わかります。
なんども同じ道に迷い込んで
同じ苦しみを味わっていることも。
だから
こんなものを読んでいるのでしょう?
どうしてあなたは
今、叶えないのか?
今日、叶えないのか?
お金を持っているから豊か?
だから何でもできる?
のではありません。
持っているお金でも時間でも
自分の思う「存分」の内容に
すべて注ぎ込むことができるかどうか。
いくら持っていても
「満足」に使えないのなら
貧しいままなのです。
持っているお金
使える時間
それを
「これでいいでしょうか?」
と
不安になるほど
冷や汗が出るほど
息切れするほど
心惹かれたものに
注ぎ込むことができたなら
あなたはきっと「満足」できる。
いくら持っていても
それができないのなら
何も持っていないのと同じこと。
あなたがあなたに注ぎ込めないなら
誰かの手を借りてそれをする日など
来ない。
あなたがあなたに注ぎ込むことに
懸命な姿がそこにあるなら
手を貸してくれと頼まずとも
あなたに差し出される手が
必ず現れる。
お金のことだけじゃなく
それは、対人関係でも同じこと。
心震えるほどの人の知恵を
自分に与えること。
それとは逆に
心震えるほど寂しくなるのなら
その関係を遠くに置くか
終わりにすること。
あなたの思いに
あなたが答えたなら
あなたはきっと「満足」できる。
何を手に入れても。
何をなくしても。
…
どうぞ、何度でも
詳しくは、ご自身にお問い合わせください。
(お花屋さんでは包んでもらわずに、そのまま手で持って帰ります。どうぜ剥がすでしょう。)
【追記】
ヒトリヨガリだったわたしは
「この悲しみを理解されてたまるか」
という排他的な性質から
運良く、
周りを見ることができず
理解されることも求めなかったので
何も持っていなかった頃から
馬鹿ほど自分に従って
自分に注ぎ込んできました。
ずいぶんと迷走して
理解されたくてたまらなくなったりもして
いまはそのどちらの世界にもいないけど
そして何度も全部失った気がしたけど
手に入らないものがなくなりました。
それは
精神的にも、物質的にも。
そのうえ、
自分だけでなく
隣の人が味方になってくれました。
あなたは
自分に何と問い合わせますか。
そして
何を注ぎ込みますか。
……
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