今日は、少し前の自分に向けて書きます。
あなたの何かに「変換」して読んでいただけるでしょうか。
「幸せになるのが怖い」
おかしな話だと思うかもしれませんが
わたしは、少なくとも20年間
その恐怖と一緒に暮らしてきました。
「過去をほじくり返しても何も出てこない」
そう言い切れるほど
意味のない過去を
探し回って、しがみついて
ほじくりまわして
生きてきました。
…
そんなわたしが、あえて
過去を活用してお話するなら
わたしの場合
自分が幸せな状況になると
友達が離れていったり
自分が幸せを選ぶと
家族が離れていったり
ただ生きているだけなのに
ただ自分を大切にしただけなのに
恐怖するほどの孤独が
やってきました。
周りの人は
ただわたしを羨んだり
自分を否定されるような気がして
それが辛かったりしただけ
なのだと思います。
人の気持ちを理解しようとする
それだけは
接客のプロでもあるので
悲しいくらいの自負があります。
(関連の本を7冊書いています。)
…
人の悲しさや
人の寂しさ
わたしが一番
感じたくないものは
その2つでした。
それを感じた時
自分の孤独や
死ぬほどの寂しさを
感じるからです。
今日はツイッターに
恋愛についていくつか書きましたが
片思いする女性の寂しさ
それを見かけると
なんとか温めてあげたくなる
それは、
わたしが
わたし自身に
散々、片思いをしてきたから
そのなごりだと
思っています。
…
わたしは
人の寂しさや
人の悲しさを
解決することばかりに
時間を使ってきました。
その相手は
友人だったり
家族だったり、いろいろでした。
いつも、他人のことばかり。
それが
正しいこと
美しいこと、だと
信じて生きてきました。
人の役に立てているかもしれない
それだけが
自分を証明するものだと
思いこんでいました。
確かにね
人の役に立つことをするのは
悪いことではないと思います。
けれどね
それは
自分を温めてやったあとでいい。
十分、遅くはない。
むしろ女性は
自分がだた楽しんでいる姿が
誰かを勇気付けることに
なったりする。
けれど
自分に片思いしていたら
世界に片思いをすることになる。
本当に、そうでした。
いつも誰かのためを生きていたら
自分がどこにも見つからなくなった。
それが悲しくて
それが悔しくて
独立起業したような
ものかもしれません。
自分を表現したかった。
自分を証明したかった。
誰かのために。
誰かに認めさせるために。
(女性の起業が流行っているけれど、向き合わないとならないのは、お客でも数字でも評価でもなく、自分自身、です。恋愛なら相手の男性ではなく、やはり自分自身です)
自分を表現し
自分を証明するために
いつも
切ない人間関係や
難しいことばかりを
選んできたと思います。
思いが届かないものに
心惹かれたのも
思いが伝わらないものから
離れられなかったのも
それを乗り越えて
自分を証明するため。
まるで、男の人でした。
(男性は、狩りをするごとくに、無理難題をクリアして、女性や子供にという社会に尽くし、人の役に立つことで自分を確かめるものなのでしょう。けど、わたしは女だということを、忘れていました)
…
結局のところ
わたしが
誰かとつながりを持てたのは
今のパートナーが初めてだと
思います。
繋がろうとしなくても
知らない頃から繋がっていて
最初から
伝わらない思いなど
どこにも存在しなくて
彼は私に
何でも与えることができて
問題と呼べるものが
何もない。
わたしは
役に立つ必要など、ひとつもない。
我慢とか
努力とか
なにも必要ない。
ただ、居るだけでいい。
それが、怖かったのです。
最初の話に戻りますが
わたしが
幸せな状態になったり
幸せを生きようとしたとき
人が離れていった。
だから重ねて、怖かった。
「幸せって、なんでこんなに怖いんだ」
どんな種類の恐怖よりも
怖かったと思います。
(彼が超多忙のときに、急に思い立って沖縄に。もはや人の役に立つどころか、人に甘えて、喜んだり楽しんだりすることばかり。ホテルのプールに居たネコさんは妊婦さん。)
…
わたしのように
無理難題を乗り越えることよりも
なにも問題がないことのほうが
大変な人もいるのだろうと思います。
本当は、
なにも問題がないことを
望んでいるはずなのに。
なにも起こらない。
大丈夫。
それを信じることのほうが
ハードルが高い。
自分を置き去りにして
生きてきたから
自分を中心に置くなんて
罪悪感がハンパない。
けどね
やっぱりね
大丈夫でしかないんですよね。
それを知るために
今までを、自作自演してきた。
自分を守りたくて
自分を幸せにしたくて
自分をあたためてやりたくて。
それを貫いたら
わたしの場合なら
離婚になったり
離縁になったり
古い友達は一人残ったけど
もう家族はいなくて
なにも持たずに
飛び出したから
確かに、なにも、なくなって。
また一人になってしまったな
と思った時に
今の彼と出会うのですが
全部捨ててでも
思いを貫いた時に
全部捨ててでも
自分を守り抜いた時に
満身創痍で立ち尽くしていたときに
もう一人
守ってくれる人がきて
守ってくれた。
もうそれは
神がかったタイミングで。
おかしな言い方かもしれないけど
自分の中に
いるんですよね。
神が。
崇拝するべきものが。
そう、自分、が。
…
自分を
命がけで大切に守ったら
同じだけのエネルギーで
一緒に守ってくれる人が
待っていた。
自分が
自分のために
どれだけの
エネルギーを出せるか。
それと見合った
現実が引き起こされる。
女性は、それだけ、ではないかと
思うのです。
他者を守り、支えるのは
男の人のエネルギー、ですからね。
…
「大丈夫」とは、かけ離れたところに
「大丈夫」は待っていました。
だからね
ほんとにね
何があっても
大丈夫なんだよ
とお伝えしたい。
それはね
ラッキーなことばかり起こる
というのとは違うのだけど
むしろ死ぬほどアンラッキーなことばかりのように思えるのだけど
そこで感じることから
逃げずに、誤魔化さずに
自分の「本音」に降りていく
そこだけを貫いていく限り
大丈夫
なんですよね。
何があっても。
何がなくなっても。
なんでも。
どちらでも。
(最近、暑いから髪の毛をアップにしてます)
…
だからね
女性が生きようとするときは
方法論、じゃないんですよね。
在り方、だけ、なんですよね。
他者との駆け引きでもなく
他者をひきつけるテクニックでもない。
自分に対して
どれだけのエネルギーを
かけることができるか。
という話を
次の本に、書きました。
いよいよ、校正に入っています。
わたしは一人だったけど
この本を通して
また誰かと繋がれるかもしれません。
それがね
ちょっと怖くもあるのです。
けれどね
今はもう一人じゃないから
その怖さを
素直に表現しながら
だた、生きていようと思います。
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