「良い失敗」と「悪い失敗」の違い

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昨日、「すでにあなたは特別なんだから、特別になろうとするな」というブログを書いたんだけど、

あとで読んでみたら

これ、誤解すると大変かも
と、ちょっと補足したくなり。

あのね、

生まれた時点で
全員、すごいんですよ。

何億分の1の確率で
受精して、生まれてきてるんだから。

そのうえね、
最高に金運までいい。

だって、
日本に生まれているんだから。

最強に自由なのに
自由を求めちゃうって

一体なんなんだろう。

いや、もしかしたらね
日本に生まれたことは

アンラッキーかも
しれないんだよね。

だって、なにも
不自由することがないわけだから

「感触」

がないってことになる。

それって

「命」にとっては
「死」と同じよね。

自動的に明日が着て
お昼になればランチを食べられて
ホームに立てば電車が来て

人並みに歳をとって
人並みに結婚して
人並みに悩んだりして
人並みに死んでいく。

それができてしまうのが
日本という国なのでしょう。

「無感覚」だから

何かにすがりたくなる。

「これが正しいですよ」
「これが美しいですよ」
「これが善でこれが悪ですよ」

自分の内側ではない

「どこか」

にあるものを求めて

「何か」

になろうとする。

「何か」になろうとしても
いいんですよ。

それで、思い知ればいい。
そこに、自分は居なかったって。

失敗に無駄はないの。

失敗こそが
自分の輪郭を感じる

その精度を高めてくれる。

結局、

「自分」にしかなれないことを
思い知ればいい。

「あなたはすでに特別だ」

というのは

「ここに空気がある」

というのと同じこと。

べつに、すごいことでも
なんでもない。

普通のこと。

なんかさ、

「優れた人」

になりたいんでしょ。

「豊かになりたいです」

とか言うけどさ

その「豊かさ」って

あなたにとっての「豊かさ」って

何なの?

何があることなの?
何がないことなの?

それは、真実、なの?

じゃあさ、
あなたにとっての「美しさ」って

何なの?

何がどうあることなの?
何がないことなの?

それは、あなたの真実、なの?

追い求めて
すがるべきものがあるとすれば

「それ」

だけだよね。

「あなたの真実」。

生まれて死んでいくことに
意味なんかないけど

もし、生きてることを
何に使おうかとするなら

「自分の体のなかにある真実」

を感じたい、って
わたしは思うよ。

そのために書いてんだよ。

「何者か」になろうとするのは

ある意味

「逃げ」なんだよね。

何者かになろうとするための
努力をしていれば

「頑張っている風」で
しばらくのあいだ、自分を騙せるから。

「自分を変える」
「人生を変える」

というのは

「何者かになろうとする自分を、自分に向かわせる」

ということだよ。

「何か」に向かって
「自分」から逃げているんだから。

いい奥さん、に向かって努力して
自分、から逃げてみたり

いい女、に向かって努力して
自分、から逃げてみたり

優れた人、に向かって努力して
自分から逃げてみたり

誰かになろうとして
誰かと同じものを欲しがって
誰かの真似ばかりして。

悲しくて、切ないのは
そのせいだよ。

自分を置き去りで
自分から逃げてるから。

寂しくてあたりまえじゃん。

それでまた、

その寂しさを
「誰か」に埋めてもらおうとするから

キリがないんだよね。

失敗するのはいいことだよ。
どんどん行こう。

けどね、失敗にも

精度の高い失敗、と
ムダ打ちの失敗、があるんだよね。

自分に向かいながらする
トライアンドエラーは

精度の高い失敗。

射的とか
ダーツとかでいうなら

的(まと)には当たってるけど

まだ中心からは
すこしズレてる、って感じ。

「誰か」みたいになろうして
起こる失敗は

大ハズレ、の失敗。

的に背を向けて
的を見ないで

他人の的をめがけて
投げ続けてる感じ。

他人の的の中心を射抜けば

なんか凄い人、みたいに

拍手してもらえたりもしちゃうのが
また「罠(わな)」なんだけど。

その罠にもきがつかずに
他人の的に投げ続けて

疲れ切って、

また別の他人の的をめがけて
投げ続けて

キリがないんだよね。

それで

「正しいのはこっちですよ」

って言われたら

またそっちに投げちゃうんでしょ?

みんな

「混乱」とか「不安定」を嫌うけど

「混乱」するのは

的が見えてるのに
うまく投げられないからだし

「不安定」なのは

いつ的に当たるかわからないけど
投げ続けている証拠でしょ。

ちゃんと

自分のスタンスとって
的を見据えてる人だけが

ちゃんと

混乱と不安定を
味わえるんだよ。

むしろ混乱したほうがいいし
不安定にぐらついたほうがいい。

積極的に。継続的に。安定的に。

けどね、

「混乱、不安定」と

「自分を置き去りにしている寂しさ」を

履き違えている限りは

「精度の高い失敗」には

ほど遠いんだよね。

自分がそうだったから
痛いほどそう思うよ。

だからね

「あなたは特別だ」というのは

だから何もしなくていい、とか
そのままでいい、とかとは

違うんだよね。

「ありのままでいい」

というのは

「自分の中心(ありのまま)に向かえ!コノヤロ」

っていう意味だよ。

どんどんアレンジして
どんどん変化して

「自分」の中心に
「自分」のど真ん中に

安心して失敗しながら
向かっていこう、っていうことなの。

なにかをしたり
なにかをやめたりしながら。

そうするとね

誰かがあなたを批判したり
誰かがあなたを嫌ったり

するものなのよ。

普通のことなの。

それのなにがいけないの?

って思うよ。

だって当たり前だもん。

「命」は変化を嫌うのよ。

「本能」はあなたを
生き延びさせようとするから

変わらないことを求めるの。
心臓が鼓動をやめないように。

だから他人も
あなたが変わらないことを求めるの。

けどわたしたちは
デフォルトで誤解してるのよ。

自分のことを。

いや、教育や親によって
洗脳されて誤解してしまったのよ。

「的」がある場所を。

どこかにあるのだと
信じ込まされたの。

自分のなかにしか、ないのに。

どこかにあるのだと
信じ込ませた方が都合がいいのは

「世間」の「しくみ」

なのだけど。

その「しくみ」の裏側まで
立体的に捉えながら

したたかに行くのが
いいのかもね。

それが苦手なら
得意な人に聞きながらね。

「しくみ」には「やりかた」があるけど

「自分」には「ありかた」しかないから。

他人に聞いた方がいいことと
自分にしか聞いちゃならないこと

それを混同してるうちは
精度の低い失敗を続けるかもね。

けど、それで
今回の人生が終わっても

べつにいいじゃない、って思うよ。

だって、生まれて死んでいくことに
べつに意味はないんだから。

けど、せっかくなら

自分の道を
自分の的へ向かって

失敗し続けたいと思うなあ。わたしは。

で、

それぞれの的に向かって
孤独に喜怒哀楽してる人同士が

なにかを共有して
なにかが共鳴するんだろうな、

って思うよ。

どこかにある同じ的に向かって
逃げの大ハズレを投げ続けて

切なさを慰めてほしくて
悲しさを軽減したくて

誰かと一緒にいるなら
それは「馴れ合い」なんだろうね。

同じ失敗でも、種類があるし
同じく誰かと居るのでも、違うのよ。

わたしはわたしの的に向かって
あなたはあなたの的に向かって

それぞれのスタンスで。
それぞれのスタイルで。

そうしたらね、

誰とも競争しないし
誰とも争わないし
誰のこともなんとも思わないのよ。

この世界には

「自分」と「的」しかないんだから。

孤独だけど
孤独なもの同士は

ちゃんと繋がれるんだよね。

この日も、どんな人と繋がれるのか
楽しみだな。

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わたしは書く専門で
セミナーとかは本でも出ないとしないので

こういうときに人と話せるの
楽しみです。

余談だけど、この日は、

この本の表紙で着てる
ピンクのサテンのセットアップを
着て行こうと思っています。

img_8435
この服。↑

ピンクのセットアップ、といえば

池乃めだか師匠か
林家ぺー、パー子師匠しか

思い浮かびませんので、笑

師匠クラスにだけ許された衣装ともいえ
恐れ多いところではありますが

師匠クラスの華やかさにあやかって
寄席のようなライブ感を

一緒に楽しみたいなと
思っています。

宣伝でシメ。笑

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森美術館で見たセクシーロボット。