「好きなことをして生きよう」
「自由に生きよう」
みたいなブーム?
があるように思うのですが
いつの間にか、それが
「好きなことをしなきゃいけない」
「自由に生きなきゃいけない」
という意味に
「変質」しているように思います。
私も、好きなことをして生きることを
提唱していますが
「好きなことをしてもいい」
「自由に生きてもいい」
というだけのことで
「好きなことをできなくてもいい」
「不自由なままでもいい」
と思っています。
…
仕事をしなきゃいけない
母親らしくしなきゃいけない
いい娘でいなきゃいけない
彼氏がいないといけない
挙げればキリがないけど
「ねばならない」
が多すぎて
もはや、
がんじがらめのわたしたち。
それも
平和すぎるから
なんか縛りがないと
つまんないから
暇つぶしみたいなものだと、思うのです。
だって
命の危険があるような
環境で暮らしているなら
「生きる」
以外の願いって
思い浮かぶこともないでしょう。
「ねばならない」
が発生するのは
「他人の目」
のなかで生きてる証拠でしょう。
だから
「好きなことをしよう」
「自由に生きよう」
なんていうのを目にすると
「ああ、好きなことをしなくてはいけないんだ」
とか
「ああ、自由に生きないといけないんだ」
みたいにして
新しい「ねばならない」に
囚われるようになる。
囚われたいのよね。
わたしたち、自由だから。
…
「好きなことができない時間」
にも
「自由にならない時間」
にも、
ものすごい「財宝」が埋まっていると
思いませんか。
だって
「なにが嫌いなのか」を
とことん、思い知ることが
できるでしょう?
だって
「自分にとっての自由とは何なのか」を
とことん、
思い知るでしょう?
だからね
どんなときがあっても
いいですよね。
どんなときも、いい。
「どう」だって「いい」。
…
例えば、親しい人が
好きなことが1つもできず
自由とは程遠い日常を
過ごしているとしましょうか。
以前のわたしだったら
頼まれもしないのに
しゃしゃり出て
手を貸してたと思うんです。
けどね
その人は、その
苦しい毎日のなかで
自分にとっての「楽」についてや
自分にとっての「楽しさ」について
真剣に、
骨身を使って、
もがきにもがいて
自分の体のなかを
探している最中なのですよね。
それをね、
横から手を出して
その場だけ気楽になるような
対処療法を施して
手伝った気になって
相手も、ありがたがったとしても
結局のところ
何にも、ならないのよ。
だからわたしは
誰の応援もしないのよね。
いいものは、いい、とは言っても
それはただの「感想」だから。
…
この前も
「稼ぎ方を知りたい」って人から
アドバイスが欲しいと
頼まれたんですよね。
もちろん、仕事として。
けど、断ったのよね。
確かに、ある程度
アドバイスはできると思いますよ。
だって
一応、自分も
一人で仕事してきてますし
超有名どころから個人まで
合計すれば数千億円の企業の売り上げを
13年間
影でつくってきましたから。
けど、
それを仕事にする必要がないのと
何より、その人は
自分一人でやれるから。
だから、断りました。
まだ、思うようには
お金を稼げていない彼女だけど
土台はもう十分できてるから
あとは、やるだけ。
ほんと、凄いから。その人。
なにをやる必要があるかくらいは
伝えたけど
二つ返事で、それをやって
ちゃんと収穫を得ていました。
手を貸そうと思えば
あれもこれもと
できることは
思い浮かびましたが
それをやっちゃ
意味がない、と思ったのです。
だから
わたしはなにもしませんでした。
「今の自分は、こんな感じだ」
という
「ハダカの現在地」
を思い知るのが
なによりの収穫だと思うからです。
そして、何より
「なるように、なる」
と思っているからです。
ひとに手を差し伸べることや
ひとを心配することは
「あなたは大丈夫じゃない」
と思っている証拠でしょう。
「あなたなら大丈夫」
だと思う相手には
なにもしませんよ。
だって、
どうせ大丈夫だから。
…
話をもとに戻しましょう。
「好きなことをできなくてもいい」
「不自由なままでもいい」
と思うのです。
みんな、どうせ、大丈夫だから。
いや、もはや
大丈夫とか、
大丈夫じゃない
とかも、無いですね。
そういう今、があるのなら
そこにもちゃんと得るものがあるから。
ただ1つ、
注意事項があるとすれば
「苦あれば楽あり」じゃない
ってことくらいでしょうか。
嫌なことに耐えていれば
いつか好きなことができるようになる
わけじゃないし
不自由な状態を続ければ
その先に自由が待っている
わけじゃないから。
そこに
相関関係はないから。
それを踏まえて
「好きなことができない今」
「不自由でままならない今」
に対して
何を強く感じるのか。
その濃度が濃くなり
バイブレーションが強くなれば
その場にとどまっていられない
衝動をもらえるから。
「いたままれなくなる」
って、いいですよ。
「どうしようもなくなる」
って、いいですよ。
そこを、ポジティブ?に
痛みを緩和させてる場合じゃないですよ。
もったいない。
もっと嫌がらないと。
もっと震えないと。
もったいない。
…
どうしようもなさに吐き気がして
呼吸もできなくなって
ひとによっては病気になって
そのくらい
「どうしようもなくなった」
その絶望の先で
好きなこと、ができた人が
「好きなことをしようよ」って
言ってるだけのことで
自分を解き放った人が
「自由に生きてもいいんだよ」って
言ってるだけのことで
それをね
その場しのぎの、
痛みの緩和剤に使っている人が
中には、いるんじゃないかなって。
逃げの対処療法に使ってる人が
わりと多いんじゃないかなって。
好きにできても
できなくても
自由でも
不自由でも
どっちでも、いい、んだから。
どっちにも、味、があるんだから。
ちゃんと味わえ、って。
味があるから
生きてる感じがするんでしょ?
オブラートに包んで
やり過ごしてる場合じゃないでしょ?
「どっち」だって「いい」し
「どう」だって「いい」んだから。
貴女のことだって
「どう」だって「いい」ですよ。
貴女なんか
どうでもいい
です。
愛と温度をたっぷりと添えて。
《追伸》
「大丈夫」って
そうじゃなかった人だけが
感じられる、ことです。
「幸せ」って
それとはほど遠かった人だけが
感じられる、ことです。
感じられること、であり
目指すもの、じゃない。
「大丈夫」を求めるなら
そうじゃなくてもいい、と知ろう。
「幸せ」を求めるなら
そうじゃなくてもいい、と知ろう。
どうせ、そう、だから。
「どう」でも「いい」から。
…
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