人生には、
いろいろな「分岐点」があると思います。
大きな視座で言えば
その分岐点において
左を選んでも
右を選んでも
「どちらでも同じ」
といえるのですが
しかし、
そのターニングポイントに立ったとき
誰もが少しは
思い悩むものだろうと思います。
そこで
「自信を持って」
決断をしたいところですが
多くの人は
「自信」がない
と思い込んでいるようです。
そこで
「自信が持てるようになるまで待とう」
とか
「自信が持てるように勉強してからにしよう」
とか
馬鹿げた「逃げ道」に走りがちで
それを食い物にするようなビジネスも
多く存在します。
資格を取らせたり
夢を語らせたり
一見、前向きなことのようで
実のところ
「自力(地力)がない」
ということの
上塗りをしているにすぎないことを
気がつく人は少ないようです。
…
自信って
どうしたら持てるんでしょうね。
わたしは、
「そんなもの要らない」と思っています。
あったって
なくなって
同じですから。
「現実」の世界では
「何をやるか」
「何をやらないか」
それだけ、ですから。
しかし、
強いて言うのであれば
自信とは
「なんとかする力」
(ナントカスルリョク)
だと思っています。
…
たとえば、あなたが
川を渡ろうとしていて
目の前に、細い橋があるとしましょうか。
その細い橋は木製で
今にも、崩れてしまいそう。
あなたが向こう岸に渡り終えるまで
橋がもつかどうか、わかりません。
これが
「自信がない」という
「状態」です。
そこで
「この橋の強度が十分あるとわかってから渡ろう」
だなんて言っていたら
その橋の強度を調べることで
人生が終わってしまうかもしれません。
けれど
99パーセントの人が、橋の
「強度調査」で人生を終えてはいないでしょうか。
それも充実感はあるでしょうから
悪いとはいいません。
けれど
「川の対岸に行ってみたかった」
という思いは消せないまま
死んでいくのだとしたら。
…
では、どうしましょうか。
どうやって、
この川を渡りましょうか。
きっと、もう
おわかりですね。
どうやって、でも
こうやって、でも
ないのです。
渡るのです。
足を前に出すのです。
橋の上に乗せるのです。
それだけ、です。
橋が壊れたら?
溺れてしまったら?
それは、そのとき。
橋が壊れれば、
必ず川に落ちます。
川に落ちれば、
泳がなくてはなりません。
泳いで元の岸に戻るのか
向こう岸まで泳ぐのか
それは、落ちた場所によって
変わってくるでしょう。
けれど、あなたは
きっと、泳ぎます。
水の底に
沈みたくないから、泳ぐのです。
必ず、泳ぎます。
本能が、生きたがる、から。
けど、もしかしたら
泳いでいる最中に
力尽きて、
溺れるかもしれません。
そして、この「川を渡る」という例え話のなかでは、死んでしまうかもしれません。
ですが、
安心してください。
何かに失敗したとしても
死ぬことはないのです。
現実の世界では
肉体の死を迎えない限り
死ぬことはないのです。
…
たとえ、
そのチャレンジに失敗して
溺れたとしても
ここは、現実の世界です。
肉体がある限り
その川を渡るチャンスを
何度でも
自分に与えることができます。
最初は何度か、
溺れ死ぬかもしれません。
そのうち、だんだんと
向こう岸まで近づけるように
なるかもしれません。
または、
ラッキーなことに
橋が壊れず、渡りきれるかもしれません。
はたまた、
溺れて死を覚悟したときに
船が通りかかって
救出されるかもしれません。
何度もね、やってみるのです。
そうして
いろんなパターンに恵まれるのです。
パターンが違うごとに
パターンに合わせて
あなたは
「なんとかする」でしょう。
これが
「なんとかする力」
です。
いわば「溺れる力」です。
…
どうか
勘違いしないでください。
「自信」とは
失敗しなかった人が得るもの
成功し続けた人が持つもの
ではない、のです。
何度も、泳いだ人
何度も、溺れた人
何度でも、渡ろうとした人。
なんとかしてきた人。
彼、彼女らが持っているのが
「自信」です。
…
それでも、やっぱり
一歩を踏み出せない
橋に触れることすら怖い
怖さのあまり
向こう岸があることすら
忘れようとしている
という人は
「なんとかしてきた人」
に、会ってみるといいでしょう。
何度、川に落ちても
何度、溺れても
渡ろうとすることをやめなかった
そのエネルギー。
いや、バイブレーション
と言ったほうがいいのか。
その「振動」に
共振する自分を見つけてしまうだろうから。
…
わたしも、少なからず
「なんとかしてきた」タイプの人間です。
だって
「強度」と呼べるものを
何ひとつ、
持っていませんから。
きっと、あなたよりも
できないことが多い人間です。
直感だけで動いてしまいますし
損得すら勘定ができませんし
向こう岸で
自分の人生を生きようと思ったら
家族すら捨てて
橋がなくたって
川へ飛び込んでしまうような人間です。
だから何度も
失敗しました。
起業にも失敗し
結婚にも失敗し
掘れば、いくらでも出てきます。
橋から落ちただけでなく
現実の世界でも
生きることをやめようと思ったことも、何度かありました。
最後は、
助け舟がきて、
命ごと救ってもらったので
わたしの場合は、ただ強運だっただけで
「なんとかする力」というよりも
「なんとかしてもらう力」だった
のかもしれませんが
こうして生きて、遺言のごとくに
あなたに伝えたいことがあるとすれば
橋を何度でも渡ること。
それが、生きる、ということ。
死ぬかもしれない、ということ。
それが、生きるということ。
現実の死、でなければ
何度でも、橋を渡れるということ。
しかし、橋を渡らなければならないということもない、ということ。
「ねばならない」なんてことは
1つもありませんから。
今立っている場所が
人生の終着地なのだと思えるのなら
それば一番、しあわせなことです。
また、
苦しめば、向こう岸に渡れる
ということでは、ありません。
「苦あれば楽あり」というのは
うそ、です。
苦あれば楽あり、のときもあり
苦あれば苦あり、のときもあり
楽あれば苦あり、のときもあり
楽あれば楽あり、のときもある
のですから。
そして、それは
選べる。
何を「苦」とし、
何を「楽」とするか。
向こう岸を目指さないことを楽とするのか
向こう岸を目指すことを楽とするのか
選べる、ということです。
どちらかが正解、ではありません。
正解、などありませんから。
…
「苦しめば、向こう岸に渡れる」
わけではない、けれど
「苦しんでも大丈夫」
でしかない、のです。
そして
向こう岸だと思っていた場所と
今あなたが居る場所は
繋がっていたのだとわかるはずです。
川も幻想だし
向こう岸も幻想だし
橋も幻想、なんですよね。
全部は、
あなたという惑星のなかにある。
ぜひ
「なんとかしてきた人」に会って
「なんとかする力」があることを
思い出してみてください。
誰にだって、あるんですよ。
その力は。
本能、だから。
生きようとするのは
泳ごうとするのは
本能だから。
…
「なんとかする力」がある人
というのも、
大丈夫だと知らせる力
人に寄り添う力
常識を覆す力
深いところで繋がる力
など
種類がいろいろありますが
わたしが
お会いしたことがあるなかでは
女性では
碇谷圭子さん
河間 恵さん
男性では
長倉顕太さん
加藤秀視さん
が、まず思い浮かびます。
ちょうど、男性のお二方には
会える機会があるようです。
これで最後、だそうです。
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動画がもらえるみたいなので
それを見るだけでも
あなたを共振させてくれる
「振動」があるでしょう。
…
「すごい人」って
いっぱいいると思うのですが
「なんとかしてきた人」だから
「なにかを成し遂げた人」になり得るわけで
強度を確かめる方法論
みたいなものを学んでも
自信、なんて持てないのは
あたりまえのことで。
自信、なんて言葉があるから
いけないんだろうな。
そんなもの、必要ないから。
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11月9日(水)
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