今月は、2つもイベントがありました。
1つは、書店でのトークイベント
もう1つは、
わたしがママをつとめました
「クラブ加奈子」。
今日のお話に必要なので
余談、からはじめます。
この日は朝から、
ヘアセットに銀座へ。
銀座のヘアサロンは、たいてい平日の夕方からオープンするのですが、土曜日の朝に、無理をお願いして、お店を開けていただきました。
【Before】
(このあとカーラーを外すと「実験に失敗した博士」みたいに爆発したヘアになります(笑)そこからセットして大きな頭をつくっていきます。)
【After】
(お化粧もしていただいて、ママ完成。)
そして、会場に到着。
テレサテンさんの「つぐない」を
歌いながらの会場に入り
本のカバーをくりぬいて
そこに顔を入れながら。笑
(初対面の方がほとんどなので、スベるかなあと思ったけど、結構おもしろかったみたい♡わたしがいたクラブは、カラオケとかなかったんですが、なんとなく。)
べつにね、
「来てくださったかたのために・・・」
とか
「少しでも楽しませよう!」
とか
申し訳ないくらい
そういうの、ないんです。
ただ、やりたかったんですよね。
アタマに浮かんじゃったから。
…
わたしの場合、
「アタマに浮かんじゃった」
というのは
「それをやる」
ことになっています。
これは、わたしの世界での
「法律」です。
これに従わないと
罰せられます。
自分に、罰せられるのです。
仕事でも
プライベートでも
バカなことでも
真面目なことでも
ライトなことでも
ディープなことでも
大小問わず
なんでも、です。
この「法律」に従わないと
「オマエ、やらなかったな」
「口ほどにもねえヤツだな」
自分に、バカにされます。
そしてときには
「やってくれると思ってたのに…」
「あなたが頼りなのに…」
自分に、泣き付かれます。
場合によっては
「あなたを信じてたのに…」
と、恨まれることすらあります。
自分に。
自分に恨まれるのが
何より怖いです。
だって、それが
「外の世界」
にそのまま反映されますから。
(※アタマに浮かんだからといってお巡りさんのお世話になる類のことはやりませんが。)
…
過去を振り返ってみても
「自分の法律」に従わずに
自分を疑い
自分を恨んだとき
いや、それ以前に
「自分の法律」を見失ったとき
いつも、
どん底に突き落とされました。
たとえば
自分のことを置き去りにして
「誰かのために」生きてしまったとき。
親のため
家族のため
仕事のため
評価されるため
愛されるため
嫌われないため
そんなとき、いつも
心身ともに
動けないところまで追いやられました。
しかし、
そこでポイントなのが
外から見たら、うまくいってそう
外から見たら、幸せそう
なところ、です。
「尽くす女」というのは
一見、美しい。
一見、幸せそう。
しかし、それが
「尽くせば愛してもらえるだろう」
という
「他人によるもの」に軸を置くと
命を落とすほどの
「的外れ」になるのです。
…
たとえば
「子供のために」と、
自分のしたいことの一切を
我慢しているお母さんがいるとしましょう。
本当は、
爪も綺麗にしたいし、
一人でゆっくりお茶も飲みたい。
そんなことをしている他人を見ると
あせりを通り越して
怒りすら覚えてしまう。
そして、
お腹の底のほうで
「あんたのせいで!」
子供や夫に、逆ギレしはじめる。
そう、これは立派な
「逆ギレ」です。
自分に我慢を強いているのは
自分ですからね。
「母親なのに、こんなことをしたいと思ってはいけない」
「母親なのに、こんなことをしたら、悪く思われる」
そうやって自分の「望み」に
分厚い「フタ」を乗せたのは
「自分」です。
他人にどう思われるかを気にして
自分を殺したのは
「自分」です。
自分に殺されているのです。
だから、
子供や夫に不満や怒りをおぼえるなら
それは「筋違い」なのです。
自分にキレたらいいのです。
「こんなことをしたいんだコノヤロウ!」って。
「こんなこともできないんだコノヤロウ!」って。
その不甲斐ない様子を
家族なり、
パートナーなりに
晒したらいいのです。
それを「表示する」といいます。
(自分の有り様を表示しましょう、という話をしている最中)
「私はこんなことができません」
「私はこんなことが嫌いです」
「私はこんなことが苦手です」
むしろ、一見ネガティブな情報を
明らかに表示していくのです。
そうすることで
「自分に正直である」状態
を生むことができます。
しかも、
自分に正直であるだけで
誰か助けてくれたりもします。
しかし、
多くの優しい女性たちは
「自分に嘘」をついています。
「私は、こんなこともできます!」
(だから好きになってね)
「私は、こんなふうに役に立ちます!」
(だから愛してね)
「私は、こんなふうに凄いんです!」
(だからもっと愛してね)
いやあ、
書いていて、疲れてきました。
まったく、
過去のわたしのことだからです。
けどね、
「できる!」とか
「役に立つ!」とか
「凄い!」とかって
アピールしなくたって
見てりゃわかりますからね。
「認めてもらおう」
とかする必要がないわけです。
「私はこんなことができません」
「私はこんなことが嫌いです」
「私はこんなことが苦手です」
という、
この一見ネガティブな要素を
「表示」せずに
「隠す」ということは、
自分に隠し事をして
自分を裏切っている、ということ。
自分を裏切っているのだから
どこか、虚しい。
だから、何かが足りない。
「足りない」から
「もらおう」としてしまう。
足りないのは
あなたが
あなたに
嘘をついているから、なのに
あなたが
あなたを
裏切っているから、なのに。
じゃあ、
何が足りないのか。
それは、
「あなた自身」からの
「愛」が
足りないのです。
家族の理解が足りないのでもなく
夫の協力が足りないのでもなく
「自分の法律」に従う力が
「自分への愛」が
足りないのです。
…
そして、むしろ
「できる!」とか
「役に立つ!」とか
「凄い!」とかって
男性の仕事です。
それを、
男性と奪い合っているようでは
男性のほうだって、
あなたの愛を
「あなたが存在するという愛」を
感じることができないでしょう。
わたしの場合は
仕事ばっかりしてきたのですが
今となっては
何もしない一日が大好きだし
好きな時に
好きなことだけしていたい。
思い浮かんだこと、だけ。
先日も、
女性からお誘いを受けたのですが
「あまり先の約束をするのは得意でないので、行けたら行きます」
と「表示」しました。
ほんと「社会不適合」です。
けど、そのときに行ける感じかどうか
わからないじゃないですか。
たとえば、
体調が悪いとかで
行きたくないのに無理をして行くなんて
失礼ですからね。
相手にも、自分にも。
(なんと相手の方も「加奈子さんらしくていい!」と言ってくれました。ダメな自分を許したら、人にも許されるのですね。)
仕事などで、それが一球入魂の命がけ、とかだったら、何がなんでもやりますよ。そのときだけは「男気」でちゃいますから。
…
とはいえね
「アタマに浮かんじゃって」から
それを「実際にやる」ことが
スグにできるときと
なかなかできないときと
あると思います。
わたしは、
だんだん、できるように
なってきました。
自分の思いに気がついて
それを表現するまで
時間が短くなってきました。
人生かけた
練習の成果です。
それを自分では
「甘え上手になってきたかな」
と思っています。
甘えたいのです。
本当はずっと
誰かに守って欲しかった。
なのに
ずっと一人で生きてきたから
甘えるなんて、
甘えるってどういうことなのかすら
わからなかった。
嫌なことを
嫌だと言っては
いけないと思っていました。
本などには
スバスバとしたことを
書いていますが、正直言うと
わたしは、寂しがり屋です。
ずっと、寂しかったです。
ずっと、自分を裏切ってきたからです。
寂しいのだということすら、
自分でもわかっていなかったし
寂しいという思いに気がつくまでにも時間がかかりましたし
その感覚を表す「寂しい」という言葉を探し当てることにも時間がかかりましたし
それを言葉にするまでにも、ちょっとだけ時間がかかりました。
けど、
それを言葉にできたときは
こんなに温かい場所があったんだと
これまで居たこの場所は
こんなに温かかったんだと
ずっと、そう、だったのに
あらためて、思い知りました。
自分の思いと結ばれた時
目の前にいる人とも
さらに一体感が増す。
そのあたたかさに驚く。
「自分」との「結びつき」。
それを安心して
「表示」できる場所。
わたしが欲しかったものは、
それでした。
欲しかったものがあるから
ほんと、いつ死んでもいいな、と思います。
いろんなものを失いましたが
「想像以上の今」があります。
少しも憚らずに言います。
幸せなんです。
わたし幸せなんです。
(撮影:池 一世)
幸せだなんて、感じるのも、言葉にするのも怖かったけど。
いけないことだと思っていましたからね。
でも、もっともっとがあるって
楽しみにしていますよ。
…
今日のまとめをしましょう。
タイトルを
「想像以上の人生」にワープする方法
(その2)
としました。
それは、
「自分の法律」を思い出していくこと。
そして
「自分の法律」に従っていくこと。
もし、それが
他人のものと違っても。
その違いのために
誰かと離れることになったとしても。
…そして、
あなたの法律が
どんな「あなた」を由来にしているのか
「表示」すること。
ここまで読んでくれた貴女は
どうか、約束してもらいたい。
自分に嘘をつかないこと。
自分を裏切らないこと。
自分を恨むようなことをしないこと。
自分に愛されないなら
他人に嫌われた方がいい
のですから。
一番近くにいる
「その人(=自分)」に
愛されたいのだから。
【追伸】
わたしが書くものは
男性には役に立たない部分が多いと思います。
「女」を「支える力」
「女」に「与える力」
それが
「男性の力」です。
「女の幸せを創る力」ですから。
男性の支えによって
女はさらに満ち満ちていきますからね。
また、
よく言われることですが
「一人の女」のからだの中にも
「女性性」と「男性性」
共存しています。
「女性性」が願うことを
「男性性」が叶えるのです。
わたしの場合なら
「思い浮かんだ」
という無邪気な女の想像力を
「実際にやる」
という男性の実現力で導いていく
という具合に、です。
女は、
「自分の中にいる男性性」とタッグを組み
「表示」することで
男の人に頼り、守られ、
助けられ、愛を受ける。
「誰かに愛されたいのなら、自分の中の男に愛されなさい」
おっと、次作のタイトル、これでいきましょうかね。長いか。笑
次のブログでは
「想像以上の人生」にワープする方法
(その1:特別編)
と題して、いま読んでいる
この本のことを書きます。
お楽しみに。
…
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