銀座のクラブで
ホステスをしていた時代も
多くの人を見てきました。
アルバイトまで含めたら
26年間を費やした接客業
それを
7冊の本にも書きました。
男女を問わず
人を見る目だけは
自分を信頼しています。
…
最初に会ったときの
「小さな違和感」。
これがあとあと
「やっぱり」となる。
ネット上や写真、
文章だけではわからないのが
私はまだまだなのかもだけど、
この
「小さな違和感」への信頼度が
また上がった。
上がってしまった。
…
どうやら私にとって、
肌が合わない人というのは
「自分を大きく見せたがる人」
のようだ。
小さく無価値な自分を恐れ、
それを隠すために嘘までつき
その嘘が無意識であるほどに
根が深いのでしょう。
けれど、
それも仕方ないことだと思うのです。
だって、
小さくて無価値であることが
恐ろしく怖いのだから
自分を守る手段、なのでしょう。
…
私の子供時代は
バカを演じ、小さく、
無価値に見せることに必死だったから
真逆だから、
合わないのだろうと思います。
しかし、
誰もが同じように
「無価値」
なのです。
宇宙から見たら
「点」にもならない存在。
なのに大小や高低の差があると
「誰か」に思い込まされてしまい
その屈辱から
「大きく見せる」ようになったり
「小さく見せる」ことに苦心したりする
だけのこと。
スタートは「誰もが同じ」なのです
…
方向は真逆であれど、そこに
「価値への執着」
「価値への恐れ」
を見るから、
わたしにはそれが
「違和感」となるのでしょう。
あちらとこちらを、
足して2で割ればちょうどいいのにね。
…
結論としては、
わたしは、ただのんびりと、
無価値なままの自分を、
そのままに生きてしまえばいいのだなと
思いました。
遠慮もせず
小さくも見せず
自分と違う何かにも見せず、
ただこのままを何気なく
生きて死んでいけばいいのだな、と。
だってさ、
わたしはわたしでしかなかったもんね。
誰かに付けられた
「価値=レッテル」は、
それが世間的に良くても悪くても
いつも苦痛で迷惑だったもの。
はあ、
やっぱりこのままで
裸のままでいいんだ。
安心したよ。
また息がしやすくなりました。
ありがとう、ツイートでした。
人は「無価値であるという価値」があり
「価値」は自分で創造するアートであり
「自分にしか見えないもの」で描くアート
ですからね。
【追記】
そしてたとえば、「すべてのものに価値がない」という前提で、お金を稼ぐことができるなら、その人は「創造するセンス」の持ち主であるとも言えるでしょう。私のように、もはや稼ぐことを目的から外させてもらった人間は、無価値であることを遠慮なく楽しむキャンバスを授かった、とも言えるでしょう。どちらも、「無価値な価値」を自ら捉えたならば、同じく、縛られることすら選べる自由を持つことになるのでしょう。
…
という
ツイッターからの
「丸コピ」ブログでした。笑
…
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