フェイスブックもやめたのに
意外とたくさんの人が
このブログを
読んでいてくれていて
驚くのですが
多少なり
誰か読んでくれているほうが
張り合いがでます。
…
ですが、
以前からコメント欄は
設けていません。
フェイスブックをやっていたときも
できれば
コメントはしないでもらいたいなと
思っていました。
ただの感想とか
読んで実践したことの報告
とか
それが知った相手なら
何を言いたいのかわかるもの
だったりしますが
話したことない人からの
質問とかだと、
扱いに困ります。
だって、
その質問は
その人自身に向かっているものであり
もし確かめたいことがあれば
自分自身に問いただすこと
でしかないと思うからです。
…
わたしたちは
学校教育のなかで
強烈に洗脳を受けています。
答えを知っているのは先生で
自分は知らなくて
答えは誰かに教わるもの
だと思い込まされてきました。
だから、いつも他人が
正しい答えを持っていて
それを教わったり
それに照らし合わせたりして
自分の位置を確認したがる。
…
ましてや
『言葉』は
『言』の『葉』。
その根がどこに
どう生えていて
その幹がどこに向かって
どう伸びようとしているのか
それが見えない相手に対して
こちらの言葉を返したとしても
見当違いであることだって
あると思うのです。
…
ここに書くことが
もし、あなたの
『自問自答』
の材料になるなら
嬉しい感じもしますが
それはわたし自身も
自問自答のために書いているからで
しかしわたしは
これを書くことは
もはや仕事にもしていませんし
人集めのためでもないので
「続きはセミナーで」
とかしないですし
マーケティング的な要素は
埋め込んでいません。
ただ、東京のどこかに住んでいる女が
今日感じたことを書いている
それだけのこと、です。
…
わたしも
「自分の体のなかにある正解」
を探し続けています。
その「正解」は
あなたにとっては「不正解」
かもしれません。
それこそ、世代が違えば
理解しあうほうが難しいですし
育った環境が違えば
人それぞれ、の度合いも強くなる
ともいえるでしょう。
わたしは、わたし。
あなたは、あなた。
わたしと同じになる必要はなくて
あなたと
あなたが
合致する
そのポイントを
気持ちいいポイントを
見つけていく。
それが「生きる」ってこと
なんじゃないかと思います。
それを見失って
さまよっていること自体も
「生きる」っていうことですから。
…
「自分自身」と
「多数決」をとらなければいけないのに
見ず知らずの他人という世間とだけ
多数決をとって
そこに、
自分は手を挙げることもなく
他人の多数決にのっとって
生きている人が
どのくらい多いことでしょう。
…
見失った「あなた」を
あなたの体のなかに探して。
もう、知っている、はずだから。
わたしは、出会いました。
どう生きたかったのか、に。
それは
これからも更新されていく
のだろうと思いますが
全部を
楽しんでいこうと
全部を
慈しんでいこうと
全部を
愛おしく愛していこうと
思います。
それがどんなに、不器用でも。
それが
わたしのスタイル、なんだろうから。
もう決して
見捨てないよ。
握りしめていたものを
全部捨てて。
新しい体感を。
どこかで生きている
あなたも
あなた自身と
いつも共にありますように。
内藤加奈子
(あなたのブログやSNSでシェアなどはご自由に)
全国書店で絶賛発売中!
「愛されたいなら嫌われなさい」
光文社美人時間シリーズ
8冊の本を書いています。
http://amzn.to/2i9SqBx