セミナーをするときに、申し込みフォームに「メッセージ欄」をつくるのですが
そこに
「内藤さんのパワーをもらいにいきます!」
みたいなこと書く人は、
たいてい現状維持か、パワーダウンしていく傾向があるように思います。
「他人のパワーをもらう」
わけでしょ?
「自分にはパワーがない」
という認識なわけでしょ?
延々、誰かの
「フォロワー」で
「お金を払い続ける側」
でいることの宣言ですよね。
そのくせ
「豊かになりたいです」
とか。
…
「豊かさ」って何なんですかね。
それも、
人からもらうもの?
なのでしょうか。
「豊かさ」っていうのがあるとすれば、それは、誰の所有物でもなく
ただ、
「今、感じること」
にしかないのではないでしょうか?
なるもの、とか
もらうもの、とか
なのでしょうか?
…
豊かさ、って
お金、ってことなのかな。
お金、があったら豊かになれるのかな?
お金があっても、使うセンスがなくて、ずっと貯め込んでいくだけだったら?
いまと同じ生活じゃないの?
…
もらう人=貯める人
なんですよね。
もらい続けなきゃならないから、貯めとかないと不安。
だから、いくらもらっても、一向に「豊か」にはならない。
お金のことに限ったことではなく
「エネルギー」や「パフォーマンス」も
出し惜しみすることになる。
なるべく疲れないように、とか。
…
これに対して
出す人=貯める必要がない人
ということになりますが
この種の人は、エネルギーもパフォーマンスも常に最大限を出し切り、楽しむときは最大限楽しみ、取り組む時は最大限のパワーで取り組む。
自分のためでも、他人のためでも、そこを判断?することにすら時間を使わず、何にでも、出し切る。
すると
出せば出すほどに、自分にパワーがあることを、体で知ることになります。
そういう人は
人からもらおうとか、そういう発想自体と、無縁なのです。
自分から出すから、泉のように湧いてくるから、足りなくなることが、ないのです。
…
「ギブ & テイク」
という言葉がありますが、この発想をしているかぎり、何一つ「テイク」などできないことを知っていますか?
むしろ
「ギブ & ギブ」
であり、加えていうなら、もはや、ギブでもテイクでもなく、そこに境目もなく
「ギブ=テイク」
でもあるのではないかと思います。
ギブしたことで
ギブできること、を知る。
出したことで、
出せること、を知る。
自分の力を知ることができる。
だから、
「ギブ=テイク」。
損したくない人は
「テイク」
したがるけど
損するからこそ、自分が損できるだけのものをもっていた、と知ることができるわけでしょう?
どんどん、損したほうがいい。
どんどん、出したほうがいい。
どんどん、「ギブ」することに内包するものを、ギブすると同時に「テイク」したらいい。
なのに、
もらうだけ、テイクだけ、を求める人は
もらった分しか、テイクできないし、
もらった分すら、ギブもしない。
ケチだから
結局なにも得るものがない。
…
人と関わっても
できるだけ傷つかないように
できるだけ損しないように
「省エネルギー」で立ち回るわけでしょう。
「省エネルギー」って、ヤバイですよね。
エネルギー出せなくなるってことですから。
結局、同じだけのエネルギーを出す人としか、縁がなくなるわけですから。
すると、周りには「省エネ体質」の人が集まり、その人間関係のなかでは、みんながテイクばかり求めて、誰もが損しないように身構え、まるで
起業家交流会
のような、誰もがチャンスをもらうことばかりで、テイクすることばかりで、誰もギブする人が居ないから
メリット
とかでしか、他人と繋がれない、そんな世界で暮らすことになる。これは悲劇。けど、誰もそれに気がつかないで、みんなが表面だけワクワクしたり、自分だけ目立とうとするスタンドプレイのキラキラで悪目立ちしたり。
…
自分にパワーがあることを知りたいなら
まず、もらうことなんか忘れて
もう、出せるエネルギーを全部出すこと。
もちろん、お金じゃなくてもいい。
出せるだけの、思いやり
出せるだけの、心配り
出せるだけの、温度。
そうやってたら、
自分ができる些細なことが増えて
そのエネルギーと同等の縁が出てきて
さらに、自分が出せるパワーが増して
さらに、縁が出て
何もテイクしようとしないのに
もらったり恵まれたりすることになる。
世の中って
そういう仕組みでできています。
けどね、
テイクしたいからギブする、とかも
違うのですけれどもね。
自分とか他人とかなく、
「気持ちいい」
ことに専念だけしてたらいい。
誰が得したっていいじゃない?
誰が喜んだっていいじゃない?
それが自分でも他人でも同じことなんじゃない?
なんて、
思います。
内藤加奈子