「紐づけ」をやめると「人生は思い通り」になる

fullsizerender-160たとえば、お店の店員さんとかが、
あなたに対して、失礼な態度をとったとしましょうか。

それに対して
あなたは何か感じますか?

もし感じるのだとすれば、

「なによ、失礼ね!」

みたいな感じでしょうか。

「なによ!失礼ね!」

って

ある意味、相手を責めています。

相手の「失礼」に思えた言動に対して、それを指摘して、責めているわけです。

これって

やられたから、やり返してる

のと、同じことです。

あなたは、それを言葉や態度に表さないとしても、心のなかに戦いを持っている証拠なのです。

これに対して

「非常に平和な方法」があります。

同じ言動に対して

「放っておく」

という方法です。

いや、方法とも呼べませんね。何も感じない、何も受け取らないわけですから、ただの放置、です。

「あなた」と

「相手」は

「無関係」なのです。

「失礼なことをする人」

が存在しても

それは、あなたとは無関係、なのです。

あなたが

「失礼なことをされる人」

であるという認識を

自分自身に対して持っているから

「なによ!失礼ね」

と反応することになるわけです。

相手のしたことを、自分と紐づけてしまうわけです。

考えてみてください。

相手は、あなたに対してでなくて、他の人にも同じことをしているはずです。

だって

「そういう人」だから。

「そういう人である」というだけで

それを、

あなたが断罪する必要などないのです。

しかし

「そんなのは、良くない!」

と、相手を正したくなるなら

考えてみてください。

あなたが手を下したり
言葉を費やしたりしなくても

その人は、その人に見合った人
その人は、その人に見合った環境

で暮らしています。

ね?

何も、する必要はないでしょう?

人助け?

なんて、してるヒマは

ないはずですよ。

もしあなたが
自分自身に対して

「失礼なことをされる人」

であるという認識を持っているなら

あなたの人生には

「失礼なことをする人」

が登場するでしょう。

しかしそれも

「トラップ」

なのです。

他人への認識も
自分への認識も

その認識は、それを感じる経験を重ねるほど、濃く、固く、なっていきます。

「思い込み」

というやつです。

あなたがもし
自分自身に対して

「失礼なことをされる人」

だという認識を持っているなら

他人に対して、どうこう思ったり
他人を正そうとしたりして
他人に時間を使うことは

一切、やめること、です。

だってね、

他人にばかり注目してるから
自分がスネてるんですよ。

それが、悲しみの根源。

自分は失礼なことをされる人
自分は大切にされない人
自分は脇役にされる人
自分は愛されない人

そういう

「どうせ…」

を貯めて、重ねているから

あなたの世界には
あなたを粗末にしたり
あなたに振り向かなかったり
あなたじゃない人ばかりに注目したり

あなたに失礼なことをしたり
あなたに負担をかけたり

そんなことをする人が
出てきたり、

居座ったりするのです。

そんなあなたが

人生を変えたい!
愛されたい!
大切にされたい!

と、心底、願うのなら

覚悟すること、です。

もし

「人でなし」と呼ばれようとも

自分のことだけ、考えること。

他の人のことは、どうでもいいから

自分のことだけ、大切にすること。

それはね

他人を粗末にしろ、
ということではないのです。

自分の思いに従って
全てを選択するなかで

もし、摩擦が生じる他人がいるなら

嘘も方便。です。

まろやかに、
遠ざけたらいいのです。

なにも、正面切って、縁を切るとか、してもいいけど、しなくてもいい。

近い人とは、摩擦も強いから、別れになることも、パターン的には多いけど

あなたが
あなたに
なるために、

そのためには、他人は、関係ない、のです。

あなたが自分を粗末にするから
他人からも粗末にされるという

幻覚

を見るだけのこと、なのです。

その「幻覚」を「現実」にしてしまっているのは、ほかでもない

「あなた自身」

なのです。

冷たい言い方かもしれないけれど

他人なんて、どうでもいい。

のです。

その人は、
その人の人生を

生きているのだから。

あなたは
あなたの人生を

生きるというだけのこと。

それぞれが

自分を大切に生きたなら

自分は大切にされる人

として生きたなら

摩擦も、
戦いも、
比較も、

生まれないのです。

みんなが互いに、最良の意味で

「ひとでなし」

だったら、

そんな互いを尊重しあえる。
そんな互いを大切にしあえる。

他人の評価ばかり気にした
他人の注目を集めようとしたり
他人の愛を受けようとしたり

そうやって

他人だけを優先して
自分を粗末にしている人が

誰かと争うような
環境や人を選んだり

人と奪い合うような
環境や人を選んだりして

「戦おう」とするから
「負ける」のです。

ようこそ

勝ち負けのない世界へ。

ようこそ

静かなる躍動の世界へ。

ようこそ

あなたが創り出していることを自覚して、自覚的に世界を創り出すことができる、あなた自身が創造主であったことを、思い出す世界へ。