女の子(もちろん年齢問わず)にとって、一番大切なことがあるとしたら
「助けて」
って、言えることだと思います。
それを言える素直さ、というか。
…
「大丈夫?」
と聞かれると、つい
「大丈夫。」
と答えてしまう。
けれど、
声をかけた人からみたら
大丈夫そうじゃないから
声をかけたわけで
「大丈夫じゃない」
って言ってみると
簡単に世界が変わったり。
…
世界が変わる、なんていうと
とても大げさな感じもするけれど
大丈夫じゃない
と言えない人には
それは、とても勇気の要ることで。
世界が変わるレベル
だったりするのです。
…
「何があっても大丈夫」
そんな強さを身につけたかった
以前のわたしは、
きっとそうでした。
起業したのは
お金のためというよりも
「どこまでいけるかやってみたい」
という理由だったけれど
それでも
会社を見返してやりたい
そんな気持ちもありました。
負けたくなかった
のは
勝てる強さが欲しかった
のでしょう。
たしかに、経済力もつきましたし
元いた会社から声がかかるほど
名前も売れました。
けど、
心は、
大丈夫、ではなかった
んですよね。
…
世の中は
平均的になんでもできる人を
重宝がるけれど
でも、実際のわたしたちは
何かができなかったり
何かは得意だったり
何かは毎日でもできたり
何かは一生やりたくなかったり
デコボコ、ではないでしょうか。
けれど
みんなが同じように働いて
他人よりできないことがあると
それを責められたり
そのために
疎ましがられたり。
できない
なんて言えない。
大丈夫じゃないなんて
言えない。
けど、ほんとは
同じことをやらせても
得意な人と、下手な人がいるでしょう。
お互いに、あるでしょう。
上手下手。
これ、苦手。
これ。できない。
これ、大丈夫じゃない。
それをみんなが言えて
けど、これは得意。
けど、これならできます。
これは、大丈夫。
そんなふうに
デコボコを補い合ったら
うまく回るんじゃないかって
思うのです。
それには、誰かが
勇気を出して
「大丈夫じゃない」
って声をあげること。
それをしないで
病気になったり
死んでしまう人だっている。
死ぬことが悪いことだとは
思わないけど
ひとこと、言えていたら
違う道があったかもしれない。
…
何かが得意なひとだって
何かは得意じゃないかもしれない。
完璧な人なんて
いないもの。
苦手なことを
やらない
嫌いなことを
やらない
そうしたら
その苦手なことや
嫌いなことを
得意な人がやってくれる。
お互い
得意や苦手は、違うもの。
できる人がやる。
職場でも。家庭でも。
誰も得意な人がいないことは
最小限で済むように工夫したり
外注したり。
なんか
できないことを
できないって言えないで
みんなが肩肘はってたら
みんながストレスを感じて
できることすら
楽しくできない
そんなふうだと
もったいないなと
思いました。
…
「助けて」
って言うと
自分がどれだけ守られていたか
大切にされていたか
わかる、と思います。
ちゃんと、
聞こえるボリュームで
言わないとダメだよ。
ちっちゃな声で
誰も聞いてくれない!なんて
逆ギレだから。笑
恥ずかしいかもしれないけど。
頑張り屋さんには
怖いことかもしれないけど。
それでも
誰も助けてくれないときは
そんな職場は心配だな。
転職してもいいかもね。
そんな家庭は心配だな。
奥さん、お母さんを
ボイコットしないと
わかってもらえないかもね。
「ねばならない」が強い人は
こんなの読むと
「そんなの正しくない!」
って思うのかもしれないけど。
正しいなんて思ってないよ。
そんな生き方もあるっていう
一例。
間違っているかもね。
なら、採用しなきゃいいだけ。
わたしは
「助けて」
って言えるようになって
世界が変わったな。
言えなかったから。
内藤加奈子