絶望しよう。希望しかないことに。

IMG_0509.JPGいま、美容室です。今日はカラーを変えに来ました。写真は、お気に入りの水晶のイヤリング。

さて、

あなたは、どう生きたいですか?

どんな感触を感じながら生きたいですか?

おそらく

苦しみながら生きたい人は、いないと思いますし

悲しみ続けたい、という人も、いないだろうと思います。

できることなら

笑いながら

楽しみながら

快適に、生きていきたい。

多くの人が、そう願うのではないでしょうか。

しかし、

「現実は?」

というと

仕事に、プライベートに、難題が山積、という人もいるでしょうし

仕事かプライベートのどちらかが、苦しみや痛みや不満に満ちていたり

もしくは

明らかな不満もないけれど、可もなく不可もない毎日に、飽き飽きしている

けれど

何をしたらいいか?も、わからない。

様々な人がいて、

様々な人生があることでしょう。

かく言う私も

以前は、苦しみたくて仕方ないのじゃないかと思えるような人生を生きていました。

問題だらけ。

そして、その解決に奔走する。

そして、また問題を創り出して

まるで「力試し」のように生きていたと思います。

たしかに、その「力試し」で、生きる力も付いたようにも思います。

けど、それは、あくまで

「男性性」

の部分で。

男性性ばかりを伸ばして、まるで、自分が女性であることを否定するかのように。

自分の「女性性」を否定したいのかもしれない。

それには、心当たりがありました。

しかし、わたしは、女。

男性性に偏っていたから「問題だらけ」だったのだと思えてなりません。

たしかに、男の人は、

「問題解決」が得意です。

「狩の生き物」ですから

獲物を捉えるという難題を見つけて、それをクリアすることで、家族の命を養うのが「性」の生き物です。

わたしは、まさに、男を生きていたのだなと思います。

仕事もできましたし、独立して15年、大手クライアントが列をなして依頼してくるほど、仕事は得意。

とはいえそれも、運が追い風を吹かせたからではあるのですが、

どちらかというと、男性性に偏っていたことは事実で。

だから、なのでしょう。

プライベートでも問題を見つけて

問題を創り出して

それを解決したら自分を評価できる、とでも思っていたのだろうと思います。

難題を追いかけ、クリアすることに

気がつけば、意識を取られていたのです。

本当は、どう生きたいのか?

と自分に問えば

それは

楽しく、気楽に、のんびり、優しく

そんなふうに生きたいのに

その「本筋」から

気がつけば、逸れていて。

だから、あるときから

決めました。

問題を創り出している自分に気がついたときには、

まず、その問題(だと思い込んでいること)を

放り出す。

そして、今すぐできる、楽しいことを自分に与える。

お茶の一杯でもいいのです。

カフェに行って、400円で済んだりするような、そんなことから

こんな時間に?と思うようなタイミングでも

お風呂に入ってゆっくりしてみたり。

それこそ、夜中でも、甘いものを食べたり。

欲しいものがあれば、それを買ったり。

以前のわたしなら

「それって、逃げじゃないの?」

「それって、誤魔化してるだけじゃないの?」

と、思っただろうと思いますが

逃げでもなければ、誤魔化しでもないのです。

「本筋に戻る」

ことを、一旦やってみる。

本筋に立ったときでも、なお、問題だと思いたいのなら、あとはそれを問題化させて、巻き込まれてみたらいい。

しかし

そもそも

問題など

ないのだから。

あなたが、それを問題だとして視るから、問題になるのであり

お金がないことも

太っていることも

彼氏がいないことも

結婚していないことも

子供がいないことも

彼氏いるのに連絡がないことも

寝る時間がないことも

…すべて「問題ではない」。

残念ながら。

その、問題と思える状況によって

たとえば一例としては、

「人からどう思われるか?」

というのも、それを問題化させる要因であり

「事実」=「問題」

なのではなく

「あなたの思い込み」=「問題」

なのです。

「あなたの思い込み」=「あなたが創り出したもの」

であり

「あなたが創り出したもの」=「過去」

であり

すべての問題は、過去に起因する「思い込み」が創り出している

「幻想」

でしかないのです。

残念ながら。

まことに残念ながら、あなたを苦しめたり、悲しませたりしているのは

他人でも

仕事でも

お金でも

環境でも

ない。

それを選んで、問題として取り扱っている

「あなた自身」

なのです。

言うなれば、

「問題」=「あなた」

なのです。

残念です。

誰かが変われば?

あの人が私を好きになれば?

お金さえあれば?

時間さえあれば?

じゃない、のです。

それら、を追い回して「本筋」を捨てて生きている

あなたの生き方。

それが全ての元凶なのです。

残念です。

すべて自分のせい、だから。

誰かのせい、だと思っていたのに。

「本筋」を捨てていた自分に、自分から

しっぺがえし

を食らっていたとは。

これには、わたし自身も驚きました。身を以て学びました。

そして、あらためて「本筋」を生きることを強化するに至りました。

わたしの場合、それをさせてくれた人がいます。パートナーです。

あまりにも本筋からかけ離れていたから、神様とかがいるなら、見るに見かねたのでしょう。

自分でも、目に余るものがありましたからね。

だから、ある意味

大丈夫、なんだと思います。

満身創痍で動けなくなると、ちゃんと

「本筋に帰れ!」

というメッセージや、事象や、そのメッセージを持った天使が現れる。

病気になって、強制終了な時間を過ごしたりするのもそうだといいますし

八方塞がり的な状況に陥ったり

心身ともに死にそうになったりするのは

生まれ変わり、の合図。

本筋へと、生き方を新たにする合図。

わたしも、何度もそんな「どん底」にすっぽり落ちましたが

何度かやって、やっとわかったクチです。笑

アタマでわかっても、カラダが知らないと、ダメなのよね。

というわけで、

さて、あなたはどう生きたいですか?

あなたの「本筋」は、

どう生きることですか?

わたしは今日も、のんきに、のんびり、ぶらぶら、楽しく、気楽に、余裕で参ります。

それがわたしの本筋だから。

それに沿って。

素直に。

正直に。

子供のように。

まだ、あなたが、何かや誰かのせいにしたいのなら、仕方ないですけどね。

落ちるところまで落ちたら

そこに恵みがあります。

そこに自分がいます。

そこで、

自分の

本質=本筋

と出くわします。

そして、そこで

絶望するでしょう。

希望しかなかったことに。

内藤加奈子