決定版。なぜあなたは幸せになれないのか?〜「幸せ」な「今」を「現実」にする方法

fullsizerender-167今日はいつもの土曜日。子供の習い事からランチ、そしてお掃除。なんてことない週末を過ごして、今日もじんわりと、穏やかな夜を迎えています。

さておき、

近頃、思うのは

「寝る前の時間の過ごし方」

の重要性について、です。

女性は、寝る前に

「気持ちいい時間」をつくると

なんというか

「終わり良ければすべて良し」

的なこともあるのでしょうか。

なんだか、次の日の始まりも
違う気がしています。

まあ、

「寝る前に良いイメージをしましょう」

みたいなことは、よく言われていることなので、斬新な話でも何でもないのですが

なんとなく

「はあ、今日もいい一日だったな」
「今日も幸せだったなあ」

などと、思わず口から漏れてしまうような終わりにもっていくと、

次の日も、次の日も

ゆるやかな坂道を登るように、

良き日に
良き人生に

なっていくような気がして。

ポジティブシンキング?

みたいなものとは、
まったく違います。

「そう思うようにする」
「良い方に捉える」

というような、いわば

「作為的」なものでは、ありません。

実際に、
現実に、

「気持ちいいこと」をして
「気持ち良く」過ごすこと。

そして、

一番大事なのは

たとえば

「はあ、気持ちいい」などと、

「口に出して言うこと」

なのです。

これも、まったく
斬新なテクニックなどではないのですが

やるとやらないのとでは
人生が変わってしまうほど
差が出るように思います。

たとえば、

あなたに
思い悩んでいることがあるとして

その「悩み」というのは、たいてい、

人間関係、恋愛、お金

に関することではないかと。

仕事の人間関係だったり
家庭の人間関係だったり

友達だったり
相手が異性だったり

お金さえあれば

これが買えるのに、とか
これができるのに、とか。

どの「悩み」にも

共通しているのは

「自分のことではないこと」

です。

言い換えれば

「いま、ここには無いもの」
「いま、ここには居ない人」

のことでしょう。

実現していないこと
現実はないこと

だから、悩む。

そして、その悩みについて考えているあいだじゅう

一番大切な、
誰かのことを忘れている。

そうです。

「あなた自身」

のことです。

(悩みや、不足感でないものなら、今ここに無いものや、居ない人のことを思うのは存分に。彼氏が優しいなあ、とか、子供は可愛いなあ、とか、あの方はお元気かな?とか、あの映画は良かったなあ、とかなら、喜びや楽しみが増しますからね。)

悩んで解決することならば
すでに解決していることでしょう。

悩んだって
思ったって

しかたないのに

それでも、
なんとかならないか

思い悩む。

残念ながら
今のあなたは

その解決策を、
持っていないのです。

その証拠に、

繰り返し、

何日も
何ヶ月も

場合によっては、何年も

それに執着して
悩んでいるのです。

解決しないのに。

「解決しない」なんて言ったら

悔しくて
悲しくて

やるせない気持ちになる
かもしれません。

けれど
それが「現実」なのです。

それを証拠に、
悩みを抱えている今がある
わけです。

「思い」が
「現実」にならないことを

思い悩んでいる。

それは、なぜなのか。

それは…

自分以外の

「他人」や「物」のことばかり考えて

「自分」の「体感」
「自分」という「現実」

言うなれば、

生きていく上で
最も大切なそれらを

無視して、
置き去りにしているからなのです。

悩みを解決して
幸せになりたいなら

「幸せを感じる」ことを
しなければなりません。

ごく当たり前のこと、ですが

これをしていない女性がどんなに多いことか。

なのに、
「幸せを感じる」どころか

今ここにない物
今ここに居ない人

について

あの人が愛してくれれば、とか
あれさえ手に入れば、とか
あれができるようになれば、とか

「頭」で考えるばかりで
「体」を置き忘れている。

「頭」にあることは「非現実」であり
「体」が感じる今が「現実」なのです。

「頭」にあることは
「過去」や「未来」という

今ここには、無いもの。

だから「非現実」でしかない。

「体」が感じる

「いま」だけが
「現実」なのです。

「いま」を捉えられもせずに
「いま」を感じることもせずに

「いつか」を「頭」で
こねくり回したとしても

それをしているあいだじゅう

「いまを感じ逃している」
「幸せを感じ逃している」

のです。

そのような人は

たとえば、いつか

「幸せ」と呼べる状況が
やってきたとしても

そのときも、

「頭」で探すのです。

「非現実」に居座ることになるのです。

今ある、
その幸せを感じることよりも

この幸せが続くのかどうか…とか
この幸せを信じていいのかどうか…とか。

そうやって

「頭」を使っているあいだじゅう
「非現実」の世界を漂って

「体」で感じることができる
「現実」のいまを生きないまま

「現実」にある幸せを感じないまま

死んでいくのです。

いつ、「今」を生きるのでしょう。

あなたが、「今」を生きたいなら
あなたが、「今」幸せを感じたいなら

『今』に戻ってくる

しか、ありません。

その

『今』に戻ってくる方法、こそが

『口に出して言う』

ことなのです。

「今」感じたことを
「口に出して言う」こと。

その「口に出して言った体感」。

それが「現実」です。
それだけが「現実」なのです。

食べた物が美味しいとき

「美味しいな」

と言っていますか?

ちょっと感じても
言葉にしないまま過ぎ去れば

また「頭」の「非現実」の世界に
引きずり込まれていくことになります。

それがわたしたちの
脳の役割でもあるのです。

恐れを探し
不安を生み出すこと。

それが、脳の機能でもあります。

危険を察知できた動物だけが
生命を維持できたわけですから

危険を察知できなければ
他の種に食い殺されるわけですから

脳には、

恐れを探し
不安を生み出し
危険を想定する機能があるのです。

そんな機能

もう、
この人間世界では必要無いのに。

「脳」に引きずり込まれないために
「今」を生き切るために

『体感したことを言葉にする』

というのは

そう、

歩いた道に
杭を打っていくような

生きた軌跡を
自分に見せてやるような

そんな行為。
そんな仕草。

お風呂のお湯に浸かった瞬間に
気持ちいいと感じたなら

「気持ちいいな」
「ありがたいな」
「最高だな〜」

と言葉に出して
音声にして、言うのです。

ああ、

「自分」は「今」
「こう感じているんだな」

と、自分に知らせることができる。

「自分」を「今」に
とどめておくことができる。

すると

「今」を感じることができる
「今」を味わうことができる
「今」を生きることができる

のです。

些細なことで、いいのです。

美味しかったら「美味しいな」
嬉しかったら「嬉しいな」
楽しかったら「楽しいな」

たった、これだけです。

しかし

2つほど、
注意点があります。

1つめは

主語を「私」にすること。

私は、いま「美味しいな」
私は、いま「嬉しいな」
私は、いま「楽しいな」

「自分」が「いま」感じていること。

を言葉にすることです。

2つめは
(1つめと同じことなのですが)

くれぐれも

主語を「他人」にしないこと。

あの人を「好きだな」
あの人は「嫌いだな」
あの人は「ずるいな」
あの人さえ「認めてくれたらな」
あの人さえ「愛してくれたらな」

これだと

「いま」ここに「居無い」人

という

「非現実」の世界を
漂うことになるからです。

これでは、

「いまを捉えることができない体」

をつくっているようなもの。

いつか、

楽しくて
嬉しくて
幸せな状態になったとしても

「いまを捉えることができない体」

だと、

先ほどもお話しましたように

この幸せが続くのかどうか…とか
この幸せを信じていいのかどうか…とか

そうやって

「頭」を使って
「非現実」の世界を漂って

「体」で感じることができる
「現実」のいまを生きないまま

「現実」にある幸せを感じないまま

死んでいくことになるのです。

「いま」感じたことを
「口に出して言う」こと。

それをすることで

「いまを捉えることが上手な体」

をつくっていくこと。

それには

これはもう
夜寝る前に限ったことではないのですが

ひとり静かになる時間、として

まずは寝る前の時間から
意識していただいて

習慣づけていくと
日常的に、その「体」が

できていくと思います。

「頭」の「非現実」なんて
吹き飛んでしまうのです。

「いま」の「体感」の前では

それらは非力なのです。

「はあ、美味しいな」
「これ、可愛いな」
「お風呂はやっぱり気持ちいいな」
「これ、いい香りだなあ」
「ストレッチは気持ちいいな」
「お水、美味しい」

そんなこと、でいいのです。
そんなこと、が大事なのです。

繰り返しますが

ポジティブシンキング?とは
違います。

いま、現実にあることを
いま、現実に感じたことを

言葉にしているだけのことだからです。

幸せだと思えていないのに
「幸せだな」なんて言ったって

ただの嘘です。

ラッキーだと思えてい無いのに
「ラッキーだな」なんて言ったって

ただの嘘です。

それに対して

「いま」感じて言葉にしたことは

「現実」であり
「真実」です。

そうやって

「いまを捉えることが上手な体」

をつくっていくこと。

そうすると、あなたの世界が

「いま」で埋め尽くされていって
「いま」で満ち満ちていって

足りないもの?とか
ここにないもの?とか
ここにいない人?とか

それらが
「非現実」であることに気がついていって

結局、

「いま」
「現実」

を、自分で生み出していく力があることを、思い出すのです。

現実を創り出しているのは

「自分」。

自分自身を

過去や、未来や、
他人や、ここに無いものという

「非現実」の世界に閉じ込めて

不幸なままにしているのは
不満足なままにしているのは

自分。

残念ながら。

さて

今日あなたは、どれだけ

「いま」を感じることができたでしょうか。

「わたし」を主語にして

生きることができたでしょうか。

「わたし」が居ないのなら
死んでいるのと同じ。

「わたしは幸せ」と言いたいなら

そのような人生を生きたいのなら

「わたし」を生きる体を
「いま」を生きる体を

つくることから。

それをするために

『口に出して言うこと』。

たったそれだけ、なのに、とても効果的な方法だと思うのです。

まだまだわたしも実験中ですが
圧倒的に、毎日が変わりました。

内藤加奈子

 

【追伸】

ですから、一人静かな時間を持つことは、とても大切なことなのです。

わたしは、今の彼のおかげで、ゆっくり過ごすことを覚えました。

それまでは、心が忙しく、過去や未来のことばかり頭で考えていたと思います。

ぜひ、一人の、ゆっくりとした時間をつくってみてください。寝不足になっても、その時間を持ったほうがいいくらいです。

男性は、お仕事に疲れて、倒れこむように眠るくらいのほうが頼もしいかもしれませんし、それくらいのほうが、今を生きているのかもしれません。しかし女性は、寝る前の数分でも、自分の体感に帰ることが、とても大切。

女性は「狩の生き物」ではなく、男性が狩で不在のあいだ「ホームを守る生き物」だったわけですから「居る」ことが仕事。

いま、快適に居る、

ことが使命だから。