女は「カギ」である。凸凹が魅力である。

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本当は、愛してほしい人(彼や夫)がいるのに

その彼が、
思うように愛してくれない。

だから、
他の人で埋め合わせる。

もしくは、

仕事を忙しくしたり、
起業してみたりして、

寂しさを誤魔化す。

「私に注目してくれる人はいるのよ」

「あなたじゃなくたって」

「あなたが居なくたって」

そんなふうに、
強がって見せても

「あなたじゃなくたって大丈夫なんだから!」

と言いたいのは

大丈夫じゃない、からで。

そうやって

「代替えのもの」

で、寂しさを埋めあわせるのは

例えていえば、

本当は、
ケーキが食べたいのに

「甘いものは食べたら太るから」と

おせんべいを食べて、
気を紛らわす

みたいなこと。

けど、

本当に食べたいのは
おせんべいじゃないから

満足できなくて、

2枚、3枚….。

気がつけば、1袋、
ぜんぶ食べてしまって、

あきらめる。

満足したから、
あきらめるのではなく

もう、家の中にお菓子はないから
しかたなく、食べるのをやめただけ。

ケーキ1個のほうが、
よっぽどローカロリーだったのに

翌朝は、
胸焼けで目を覚まし

胸焼けを抑えようと、
コーヒーをがぶ飲み。

胃が荒れて、痛んで。

仕事が終わって、
また夜になって、

口寂しくなってコンビニに行って

本当はケーキを買いたいけど

また、
おせんべいを買って。

今日は1枚で済ませるつもりが、
済まなくて。

なんとなくクセになって

結局。翌日も、翌々日も…。

胃も荒れて、肌も荒れて
太ってきてしまったりして

ますます

「ケーキなんて」と

他のもので、気を紛らわせて。

一番欲しいものを我慢して、

手近にあった「代替えのもの」で

気を紛らわす。
体だけ、みたいなのを求めるのも

一人で大丈夫、と強がりたくて
仕事で自立?みたいなのも

みんな

「おせんべい」

なのだろうな、と。

おせんべいをいくら食べても

延々、満たされることはなく

もはや、
ケーキが食べたかったことすら、

忘れてしまったり。

切なくて、
忘れたことにしたり。

けど、
体は覚えていて

「ケーキが食べたいのに」

と、寂しがっていて

頭では、

「わたしはおせんべいが好き」

なんて、
嘘が上手になっても、

体は、忘れない。

「体」は
「頭」を恨むようになり

自分で自分に恨まれて
自分を信じられなくなって

いい恋ができるなんて
とても信じられなくて

また、手近な「代替えのもの」で
気を紛らわせて。

そんなふうになっている
大人の女性

そんな道を歩いてしまいそうな
若い女性

仕事柄、
数え切れないほど、見てきました。

みんな、

「いい子」

なのです。

わたしの場合は、仕事ばかりしてきたせいか、なかなか自分よりも「男」だと思える人がいないので、

おせんべいに手伸ばしたことはないのですが、

例えば、

彼氏がいそがしくて

邪魔になって
嫌われたくないから

「会いたい」

と言わずに、我慢する女性。

本当の気持ちは

「あなたが居なくたって」

ではなくて

「あなたが居ないと、ダメなの」

なのに

重い女、になりたくなくて

嫌われたくなくて
愛されたくて

我慢して。

いよいよ
どうしようもなくなって

「おせんべい」

に手を伸ばしてしまって。

おせんべいみたいに
歯ごたえがあるんでしょうね。

スリル、みたいなものでしょうか。

そのドキドキは

「代替えのシロモノ」なのに。

「これを求めていたのかも」

だなんて

もう、

帰る場所(=自分)すら
見えなくなって。

「寂しさ」から、逃げないこと。
「寂しさ」を無視しないこと。

寂しさ、でなくても

すべての「自分の思い」を
無視しないこと。

「体から湧く願い」を

無視しないこと。

だって、それが

「素直な気持ち」なのだから。
「裸の自分」なのだから。

寂しいのは、
彼に会えないからではなく

「自分に無視されているから」

なのです。

会えないことで
ないがしろにされている気がして

彼に、
怒りを感じているのではなく

「自分に無視されているから」

自分に怒っている、のです。

わたしにも、

「寂しさ」を感じた経験は

あります。

いそがしい彼に

「寂しい」と言えなくて

我慢して、
空回りして。

けど、不思議でした。

「あなたがいないと寂しい」
「会いたい」と

言えただけで

満足できたのです。

「言えると、癒える」。

本当に、不思議でした。

会う時間が増えなくても
満たされてしまったのです。

自分に無視されなくなった
自分に認めてもらえた
自分に愛された

そう、思えたのでしょう。

我慢していた間は

自分に無視されて
自分に認めてもらえなくて
自分に愛されていなかったから

相手にも
愛されていないのではないかと

勘違いしていたのだろうと
思います。

本当に

『自分像』が

自分の世界を創ってしまうのだと
感じた経験でした。

寂しいのは
自分に無視されているから。

自分に無視されているから
世界に無視されているように感じる。

自分って、すべて、なのです。

「自分との関係」が「すべて」

を決めてしまうのです。

自分の素直な気持ちに嘘をついたり
それを誤魔化したり

それで「いい子」の仮面を被りたいから

誰かに「悪い子」の仮面を被せたくなる。

それで相手を「悪者」にして
自分を正当化して。

けどさ、

清く
正しく
美しく

そんなの、要らないんだよ。

汚く
間違いだらけで
醜い

だから、人間なんでしょう。
だから、美しいんでしょう。
だから、魅力的なんでしょう。

女なんて
重くてナンボ。

だって

わがままで
手がかかって

どうしようもない生き物でしょう。

こうして欲しい
こうして欲しくない

あれが欲しい
これは要らない

こうされると嬉しい
こうされると悲しい

それらを、

くっきりと、

凸凹を、はっきりと。

すると「扉」が開くのです。

「鍵」って、凸凹してますよね。

ツルツルの、
まっすぐの棒だったら

「鍵」は、開かないのです
「扉」は、開かないのです。

なのに

ツルツルの
まっすぐの

手のかからない「いい子」みたいに
見せようとする。

本当は、凸凹なのに。

女は「鍵」にならないと
男の「扉」は開かないのです。

その扉の中に
男性の力は、眠っているのです。

自分が、どんな女なのか
自分が、どんな人間なのか

どんな欠陥(=魅力)があるのか

凸凹をさらけ出して

全部、預ける。

男性の力を、軽んじている女は
重い女、を生きられない。

所詮、重いんですよ。
女なんて。

男性に力があると信じていれば
重いまま、凸凹のまま

相手に、そのまま
預けられるのです。

男性は、優しいです。
男性は、力があります。

私たち女の想像をはるかに超えて。

それを頼って生きる。
それに甘えて生きる。

それを「愛される」というのです。

女は

「頼る」=「愛させる」

ことが

「愛する」ことなのです。

寂しいなら、寂しいと
楽しいなら、楽しいと
悲しいなら、悲しいと
美味しいなら、美味しいと

凸ばかりでなく
凹も、すべて

分け隔てなく、全部。

くっきり、はっきり

表現していくこと。

すると「美しい鍵」になります。

美しい鍵は、
魅力的です。

あちこちから、
欲しがられるかもしれません。

その凸凹は、みんな違う。

みんな、個性的。

他の鍵との違いを
はっきりと示すほど

「代わりのいない存在」

になることができる。

代替えのものを
探している場合じゃないんですよ。

自分が

「代わりのいない存在」
「たった一人の女」

で在れば

それを生きれば

彼氏がいてもいなくても
結婚しててもしてなくても

自分に信じてもらえて
自分に認めてもらえて
自分に愛してもらえて

足りないものなんかない

毎日ケーキ食べてますけど?

みたいな「満たされ感」で
生きられるから。

それを生きると

実際には、
何も欲しくなくなるんですけどね。

少食になったり
食べるの忘れたりね。

内藤加奈子
【追伸】
たとえとしておせんべいにしたけど、おせんべい食べたいのにケーキで我慢しているのも同じことです。おやつとしてのおせんべいは好きですよ。うちの子もよく食べます♪