自分を変えたい人必読。「こうなる」までやると、人生は変わります。

FullSizeRender 173.jpg今日は、ぜんぜん違うことを、8割がた書き終えていたんですが、別のことを書きたくなったので、書き始めました。多分今日も長めです。笑

いま「タイムリープ」ってのを
調べてたんですが

時間を移動できる、
みたいなこと、

なの?

なんか、
女性たちとのやりとりで
その言葉が出てきて。

最近は
スピリチュアルとか

精神世界のことが
一般化されてきたでしょう。

わたしは
よくわからないんだけど、
勉強もしたことないし

現実主義で
感覚主義だし。

けど、調べてたら

『飽きた』

っていうキーワードが出てきて
面白いなって思って。

「飽きる」と

別の世界や、別の次元?に
移れる、とか。

確かに私も

「飽きるまでやったこと」は

終わりにできたんですよね。

終わりにできたら
次の人生を歩ける、みたいにして。

私の場合は

もう、
人のために生きることはやめたし

なぜってそれは、

「飽きたから」で。

自分が喜べないのに
人のためとか言って

自分は辛い思いをしても
人のため?とか言って

その美しさに酔いしれていると

静かに
腹の底のほうで

何かが、静かに
積み重なっていくのです。

自分自身からの

「恨み」です。

これが一番
恐ろしかった。

自分自身を恨んだ瞳で
世界を見ると

「どうせ私は…」

の世界が、
見事に作り上げられる。

恐ろしいのです。

意識の力は。

それで散々、
自分を不幸にしてきました。

本当に、見事に。笑

「人が欲しがるもの」は
すべて持っていました。

なのに、

超絶に、不幸でした。笑

それがたった、数年前までのこと。

そして自分の生き方に

「飽きて」

そこからは

「自分が欲したもの」を

すべて、持っています。
いいえ、すべてもらっています。

自分は努力することも
我慢することもなく

もらっている、のです。

世界が変わった、としか
解釈しようがないのです。

飽きるまでやる、と

人は、やめるのですね。
人は、変えるのですね。

自分を、変えるのです。

きっと
飽きるまでやらないと

無意味、
だとわからないのでしょう。

みんな
何度も、どん底に頭を打ち付けて

自分の行いが
無意味だとわかり

「頭」でわかり

最後に、
「体」がわかるまで

やるといい、のです。

自分の愚かさに「飽きる」まで。

中途半端な世界を
ずっと行き来するくらいなら

人生が変わって

上下左右に
揺さぶられて

何度か、どん底にも落ちて
何度か、天国らしきものも見て

それを何度か繰り返して

やっと、飽きて。

そして人は、

やっとやっと

気がつくのだと思うのです。

「自分とは、何、だったか」

いいえ

「自分は、何、でもなかった」

ことに、気がつくのです。

例えば
人が結婚して離婚して

人生が変わってしまったとしても

例えば
仕事を失って

人生が変わってしまったとしても

例えば

周りに誰もいなくなって

人生が変わってしまったとしても

それが自分のことでも
それが他人のことでも

何も心配することは、ない

のではないかと思うのです。

確かに、渦中においては、喜怒哀楽の波に飲まれて、生きた心地がしないでしょう。

けれど、

何が増えても
何を失っても

得るものしかない。

それを
飽きるまで得るしかない

と思うのです。

人は、
生きていく。

これまでも
生きてきたように。

飽きるまで

今の自分を、生きていく。

どんなに環境を変えても
どんなに相手を変えても

何を変えても
何を辞めても

変わらない人は
変わらない。

なぜなら

「飽きていない」から。

まだ、その世界に

呆れるほど
愛想を尽かしていないから。

その人の、都合、なのです。

その人が
まだその世界に、居たいのです。

その世界で
やり残していることが、あるのです。

環境が変わっても
離婚しても
会社を辞めても

何も変わらない人
何にも気がつかない人

たくさんいます。

ただ

まだ、飽きていないのです。

「自分は間違っていない」

と思っている人は

「自分は間違っていた」

と思えるようになると
世界が変わります。

口先だけではなくて
心底、そう思える時がきたら。

「自分はイケている」

と思っている人は

「自分はまったくイケてない」

と思えるようになると
世界は変わります。

口先だけでなく
心底、そう思える時がきたら。

それに気がつき

痛いほど気がつき

飽きる時、がきたら。

その時を迎えることができるのは

「経験」が

飽きるほど
積み上がった時、なのです。

「知識」や「テクニック」が

それだけ上書き保存されたとしても

「経験」が積み上がって
「体感」に、ひしひし震えて

そして

「飽きた」

という「実感」に導かれたときにだけ

人は、変わる。

のだと思うのです。

私も、

「自分は間違っていない」

と思って生きてきたけど

全部、間違ってました。笑

それに気がつくまでに

すでに、キャリアも実績も
築いていたけれど

それでも

生き方のすべてが
間違っていました。

それに気がつくために
生まれてきたんだと

思っています。

だから、わたしは
いま、幸せなんだと思っています。

今日も考えていたのですが

このブログを
なぜ書いているのかというと

最初は、ただ書きたくて
書いていたので

お題目も、理由も
なかったのですが

最近は、

「なぜ、わたしがこんなに幸せなのか」

について

研究しながら
書いているように思います。

なぜ、こんなわたしが、何も持っていない、全部間違っていたわたしが、なぜ今はこんなに幸せなのか。

まあ、思えば思うほど
書けば書くほど

自分はクズ

自分は運がいいだけで

間違いだらけだった

ということしか
書くことはないんですけれどもね。

そんな
なんでもない自分で
よかったです。

人に
助けてもらえるから。

人に
愛してもらえるから。

もったいないくらい。

というわけで、タイムリープ、についてはよくわかっていません。笑。けど、テレパシー、なら、使える気がします。子どもの頃、催眠番組?みたいなの見てて「これから念を送ります。アルファベットの一文字」っていうのが「Lだよ」って当たって。ただの確率ですね。笑。ただ、人の感情って、微細な部分にすべて出るものだから、非言語で伝えられることはある気がします。楽しいことをしていれば、楽しいものが漏れ出てしまうから、それが伝わればいいなと思います。

内藤加奈子