今日は、ぜんぜん違うことを、8割がた書き終えていたんですが、別のことを書きたくなったので、書き始めました。多分今日も長めです。笑
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いま「タイムリープ」ってのを
調べてたんですが
時間を移動できる、
みたいなこと、
なの?
なんか、
女性たちとのやりとりで
その言葉が出てきて。
最近は
スピリチュアルとか
精神世界のことが
一般化されてきたでしょう。
わたしは
よくわからないんだけど、
勉強もしたことないし
現実主義で
感覚主義だし。
けど、調べてたら
『飽きた』
っていうキーワードが出てきて
面白いなって思って。
「飽きる」と
別の世界や、別の次元?に
移れる、とか。
…
確かに私も
「飽きるまでやったこと」は
終わりにできたんですよね。
終わりにできたら
次の人生を歩ける、みたいにして。
私の場合は
もう、
人のために生きることはやめたし
なぜってそれは、
「飽きたから」で。
自分が喜べないのに
人のためとか言って
自分は辛い思いをしても
人のため?とか言って
その美しさに酔いしれていると
静かに
腹の底のほうで
何かが、静かに
積み重なっていくのです。
自分自身からの
「恨み」です。
これが一番
恐ろしかった。
自分自身を恨んだ瞳で
世界を見ると
「どうせ私は…」
の世界が、
見事に作り上げられる。
恐ろしいのです。
意識の力は。
…
それで散々、
自分を不幸にしてきました。
本当に、見事に。笑
「人が欲しがるもの」は
すべて持っていました。
なのに、
超絶に、不幸でした。笑
それがたった、数年前までのこと。
そして自分の生き方に
「飽きて」
そこからは
「自分が欲したもの」を
すべて、持っています。
いいえ、すべてもらっています。
自分は努力することも
我慢することもなく
もらっている、のです。
世界が変わった、としか
解釈しようがないのです。
…
飽きるまでやる、と
人は、やめるのですね。
人は、変えるのですね。
自分を、変えるのです。
きっと
飽きるまでやらないと
無意味、
だとわからないのでしょう。
みんな
何度も、どん底に頭を打ち付けて
自分の行いが
無意味だとわかり
「頭」でわかり
最後に、
「体」がわかるまで
やるといい、のです。
自分の愚かさに「飽きる」まで。
…
中途半端な世界を
ずっと行き来するくらいなら
人生が変わって
上下左右に
揺さぶられて
何度か、どん底にも落ちて
何度か、天国らしきものも見て
それを何度か繰り返して
やっと、飽きて。
そして人は、
やっとやっと
気がつくのだと思うのです。
「自分とは、何、だったか」
いいえ
「自分は、何、でもなかった」
ことに、気がつくのです。
…
例えば
人が結婚して離婚して
人生が変わってしまったとしても
例えば
仕事を失って
人生が変わってしまったとしても
例えば
周りに誰もいなくなって
人生が変わってしまったとしても
それが自分のことでも
それが他人のことでも
何も心配することは、ない
のではないかと思うのです。
確かに、渦中においては、喜怒哀楽の波に飲まれて、生きた心地がしないでしょう。
けれど、
何が増えても
何を失っても
得るものしかない。
それを
飽きるまで得るしかない
と思うのです。
…
人は、
生きていく。
これまでも
生きてきたように。
飽きるまで
今の自分を、生きていく。
どんなに環境を変えても
どんなに相手を変えても
何を変えても
何を辞めても
変わらない人は
変わらない。
なぜなら
「飽きていない」から。
まだ、その世界に
呆れるほど
愛想を尽かしていないから。
その人の、都合、なのです。
その人が
まだその世界に、居たいのです。
その世界で
やり残していることが、あるのです。
環境が変わっても
離婚しても
会社を辞めても
何も変わらない人
何にも気がつかない人
たくさんいます。
ただ
まだ、飽きていないのです。
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「自分は間違っていない」
と思っている人は
「自分は間違っていた」
と思えるようになると
世界が変わります。
口先だけではなくて
心底、そう思える時がきたら。
「自分はイケている」
と思っている人は
「自分はまったくイケてない」
と思えるようになると
世界は変わります。
口先だけでなく
心底、そう思える時がきたら。
それに気がつき
痛いほど気がつき
飽きる時、がきたら。
その時を迎えることができるのは
「経験」が
飽きるほど
積み上がった時、なのです。
「知識」や「テクニック」が
それだけ上書き保存されたとしても
「経験」が積み上がって
「体感」に、ひしひし震えて
そして
「飽きた」
という「実感」に導かれたときにだけ
人は、変わる。
のだと思うのです。
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私も、
「自分は間違っていない」
と思って生きてきたけど
全部、間違ってました。笑
それに気がつくまでに
すでに、キャリアも実績も
築いていたけれど
それでも
生き方のすべてが
間違っていました。
それに気がつくために
生まれてきたんだと
思っています。
だから、わたしは
いま、幸せなんだと思っています。
…
今日も考えていたのですが
このブログを
なぜ書いているのかというと
最初は、ただ書きたくて
書いていたので
お題目も、理由も
なかったのですが
最近は、
「なぜ、わたしがこんなに幸せなのか」
について
研究しながら
書いているように思います。
なぜ、こんなわたしが、何も持っていない、全部間違っていたわたしが、なぜ今はこんなに幸せなのか。
まあ、思えば思うほど
書けば書くほど
自分は運がいいだけで
間違いだらけだった
ということしか
書くことはないんですけれどもね。
そんな
なんでもない自分で
よかったです。
人に
助けてもらえるから。
人に
愛してもらえるから。
もったいないくらい。
…
というわけで、タイムリープ、についてはよくわかっていません。笑。けど、テレパシー、なら、使える気がします。子どもの頃、催眠番組?みたいなの見てて「これから念を送ります。アルファベットの一文字」っていうのが「Lだよ」って当たって。ただの確率ですね。笑。ただ、人の感情って、微細な部分にすべて出るものだから、非言語で伝えられることはある気がします。楽しいことをしていれば、楽しいものが漏れ出てしまうから、それが伝わればいいなと思います。
内藤加奈子