昨夜は
という話を書いたのですが
たとえば、仕事でもプライベートでも
上手くいかないとき、
「方向性を変えようか」
みたいなことを考えがち
ではないかなと。
けど、
それを考えて、
いい考えが浮かぶ人なら
最初から上手くいってると思うのです。
…
わたしの場合は、仕事のことなら
脱サラして→起業して→失敗して
→銀座でホステスになって
結局、会社に居た頃にやってたことを、コンサルタントとして自分でやるようになっただけで
「方向性」?
とか、
そんなものなくて
「7年勤めて、結果も出したけど、組織にいることが絶望的に合わなくて、別のことやらざるを得なくなって」
だったり
「起業したけどまったく集客できなくて、ご飯食べられないから銀座に行った」
だったり
「どうしようもない」状態
「目も当てられない」状態
になって、
もはや「方向」とかいう角度じゃなく、それまでやったものを全部諦めて、捨てて、次に行かざるを得なかっただけで。
方向性?を
考える?
なんて
そんなオシャレなこと
できなかったわけです。
…
そんなに賢くないわけです。
思い込んだら周りが見えなくなるので
普通に、猪突猛進、なわけです。
勝手に走り出して、止まれない。
ブレーキが壊れている、というより、最初からブレーキが付いていない
いわば、欠陥車、なわけです。
親がどうとか、誰がなんだとか、いつからそうする、どうなったらこうする、とか
そんなコジャレたことは、景色のように通り過ぎていって
無鉄砲に飛び出して
飛ぶところまで飛んで
地面に叩きつけられて
やっと我に帰って。
で、
「このままじゃ、生きられないね…」
みたいになって
それまでのことを
普通に、全部捨てて
次のことをやらざるを得なくて
ただ、それをやる。
馬鹿でしょ。
そんなことの繰り返しですから。
…
わたしほど馬鹿じゃないにしても
トップにいる何パーセントの人以外は
わたしみたいな人は、多いはずです。
なのに
「方向性」的なことを
「微調整」しながら
オシャレにスマートに成功しようとか、するじゃない?
だから、いつまでも、同じことやって
そもそもからして、上手くいかないことにも気がつかずに
上手くいってる途中だとか思いながら
足踏みしてるだけ、のことにも気がつかなくて。
上手くいってる途中、というのは、人生をロングスパンで見たときの話で
日々のことなんて、上手くいかないことにも気がつかないで、足踏みして執着してたら
それで、今年も終わりますよ。
5年なんて、10年なんて
人生なんて、あっという間ですよ。
(カフェの隣の人が、ドーナツを食べる音が、くちゃくちゃ食べてて嫌だからもうシメたいですが)
早く、ダメなことに気がつくために
早く、自分に結果を叩きつけるために
どんどん行かないと
フルスロットルで行かないと。
だいたい、上手くいかない人って
何でも遅いです。
マイペース?とか
老後か、お墓の中に入ってからでいい。
考えるなとは、言いません。
考えるよりも、感じろ、とは言いたい。
感じながら、どんどん、どんどん、とりあえず、やる。
そして、さっさと絶望する。
結果を気にするから、遅くなるんです。
ダメだという結果でも何でもいいから、早く出す。
適当じゃなく、超全力でやったものを、早く出す。
それだけを、繰り返す。
立ち止まって、動けなくなるのは
上手くやろうとか
スマートにやろうとか
怖がってるからでしょ。
何を怖がっているのかといえば
「自分の実力の無さ」
を、知るのが怖いから。
実力なんて、ないですから。
ある人は、とっくに大成功で上手くやってますから。
「実力があること」を証明しながらやっていく、んじゃないんです。
「実力なんてないこと」を証明しながらやっていくから、実力がないことを、体で思い知るから
「なんとかするチカラ」
が、付いていく、のです。
「できない」って知るから
できる道を探らなきゃ歩けないから
いつか、どこかを、歩くようになるのです。
もうさ、
「実力」ってなんだよ?
って思います。
「結果」ってなんだよ?
って思います。
とっととやった人しか
手に入れられないものがあるんだから。
とっとと地面にたたきつけられないと
「次の自分」
「次の展開」
には出会えないんだから。
…
今やってることが、完結できてないなら
動けないでいるなら
方向性、とか考えてるなら
もう、それ、やめたほうがいい。
やめたほうがいい、と、早く知ったほうがいい。
動けないことって、そもそも、自分がやりたいことではないから。
誰かから見て、やりたいことをやってる人、を、やりたいだけだから。
そんな人多いけど。
…
パチンコ玉みたいに
生きたほうがいいよね。
弾かれて、釘に当たって、
釘に当たるたんびに、あっちこっち、動きが変わって。
最後は、どこに入るかわからないけど
どこかに入るでしょ。
パチンコ玉は、
意思とか、ないでしょ。
へんな努力とか、しないでしょ。
どう思われるかとか、気にしてないでしょ。
ただ、弾かれるままに、
動かされるままに
動いているだけでしょ。
パチンコ玉らしく在る、だけでしょ。
(パチンコ産業は嫌いだけど。行くと勝つけど。)
…
馬鹿なんだから、
馬鹿、らしく行ったらいい。
らしく、行かないから、上手くいかない。
利口ぶりたい人も多いけど
『馬鹿だと知らないことで、馬鹿を見てる』
のじゃないかしら。
「あなたならできるよ」って言ってくる人は、何も考えないで気休めを言ってるだけ。不親切よね。
人に相談したりするのも、特に仕事のことなら、意味ないし。
けど、人のせいにしながら、スマートにやりたがる人ほど、人の意見を聞いてまわったり。だから、地面も見れなかったり。だから、自分がどれだけできないかもらわからなくて、延々、次の展開に行けなくて、成長もしなくて。
ダメだから、成長するんです。
馬鹿らしく行くから、上手くいくんです。
…
さて、
気がついたら、ドーナツの人も帰ってたので、私も帰ります。
食べ方(飲み方)にも、人って露れるよね。お茶碗の持ち方とかへんだと、ほかのことでも無神経だったり。親のしつけがどうとかではなくて、他人がどうやってるかを見てない、他人を見てないってことでしょう。
そんなのが目につくわたしは、無神経に生きたくてそれに憧れてるのだろうな、とも思いますが。
馬鹿なくせに、無鉄砲なくせに、繊細だから。笑
内藤加奈子