あのとき、に、流し忘れた涙があるのなら
いま、泣いてあげたらいい
と思います。
自分を責めるのではなく
誰をも責めるためでもなく
ただ、忘れ物を取りに帰るように。
あの日の自分の、
背中をさするように。
…
何が起こっても
誰かが悪いわけじゃない。
私たちは、みんな小さく、弱く
ただの「媒体」でしかない。
感情ですら、それをどこかから受け取り、どこかに手渡すだけの、ただの乗り物。乗り物か、小さな箱のようなもの。
…
あなたや、誰かの
「動き」や「言葉」には
いつも「背景」がある。
根のない花は咲かないように
かならず「元」がある。
それに想いを馳せることを
「許し」
というのでしょうか。
…
誰も「悪気」を持って
生まれてはこないのです。
誰も、誰かを苦しめようと
生まれてはこないのです。
なのに、どこかで
身を守りたくなり
「盾」を持つだけのつもりが
「矛」をも構え
人と繋がりたかっただけなのに
人と戦うことになり
そんな「矛盾」を抱えた苦しみは
一番近くの誰かに伝播して
やがて、
遠くのどこかの
争いの元にもなり。
そうやって私たちは
嫌が応にも繋がっているのに
どこかで境目をつくり
境目のこちらに安住し
境目のこちらを不確かなものにでっちあげ
他人や未来を知りたくて
他人や未来をわからなくて
他人や未来を敵に回し
身を守り、また戦ってしまう。
…
「元」が何なのか、わからなくても
「元」があるのだと知ったなら
あなたのそれは
あなたではない何かが
あなたを動かしたのでしょう。
それが無意識で
もはや習慣であるのなら
それが「クセ」ならば
それを変えたら
それをやめたら
恐れていたことが、
恐るるに足らぬことだとも
わかるのでしょう。
あなたと同じように
誰もが
人を苦しめたいなどとは
思っていないのです。
ただ、その位置からは
それしか発せられず
ただ、背中のほうで絶望しながら
それを見ないようにして
「愛」の形に見せかけた
「愛」ではない戦いを
自分の世界に強いていて。
「正しさ」に見せかけた
「弱さ」でしかない偽りで
自分の体を覆い隠し、着飾って。
…
争いに、
自分との争いに、疲れたなら
終戦を宣言する体力すら残っていないのなら
まずは、泣くのはどうでしょう。
許しを請うて、泣くのです。
自分を苦しめた人、
その奥に
その人を苦しめたものがある。
あなたには、それが何だかわからないけれど。
それでも。
そして、あなたも
誰かを苦しめたなら
あなたの背中にある
あなたを苦しめたものを背中から下ろし
背負い続けたわけが
わからなくても。
全部には
背景があって
それに押し流されるようにしか
生きられない私たち。
けど、少し角度を変えて
横の人にではなく
上の空に向けて投げたなら。
もしくは
自分の足下の土に埋めて還したなら。
領土の広さを争うような
限りあるものを奪い合うより
上や下に伸びる何かを、
あなたの場所で育てたら。
それが
「自分を大切に生きる」ということ。
上に伸びる何かを、育てるなかにも、下へと這う難しさや、喜怒哀楽は存在するでしょう。
けれど
横の幅を、他人と競いあうことの切なさは、そこには存在しない。
あなたの悲しみや苦しみに
自分以外の誰かが介在しているなら
「横の奪い合い」
になっていないかどうか確かめる必要があるかもしれません。
上に伸びる分には、
それを羨む人がいても
それを置いて、ただあなたが上と思うほうに伸びたらいいのです。
ひかりのさすほうへ。
あなたが、
あなたという生物のまま
そのまま成長を続け
同じ世界に居られない人は
おそらく、
上に行くか
横に行くか
方向性が違うのです。
自然と、人間関係が淘汰されていくのは、そのためでしょう。
しかし
つい、上に伸びるつもりが、横の誰かと邪魔しあっていた、なんてことも、あるのかもしれません。
いま一度、
わたしは、何をどこに向かって
伸びようとしているのか。
その尺度は、横に這う地面(世間)の尺度なのか
あなただけの、限りない空間のなかへ向かう尺度なのか
何度でも、
自分に対して確かめる必要があるのかもしれません。
なんてことを
考えたり
考えなかったり
さて、今日も、気楽に伸びやかに。
「美しいもの」が、どこに在るのかを探して。
内藤加奈子