人と触れていると
自分がどこにいるか、わかります。
一人でいると
なんとなく、どこにいるのか、不確かです。
その「不確かさ」を
「自由」とも呼ぶんだけれど。
…
誰かと、場を共にすること。
家庭とか、職場とか、どこかの何かに入るとか
そこでは、自分以外の人がいるから
「摩擦」
も起きる。
悪い意味だけじゃなくね。
摩擦があるから、火も起こせるわけで
「あたたかさ」を生むのも、
摩擦。
触れ合い。
…
温もり、って、血流。
命の理由。
だから、誰かと居たいのかな。
生きてるかどうか、わかるから。
一人の時間があるから
誰かといる時間も、存在するんだけど。
もちろん、異性に限らず。
何でもいい、んですよね。
言葉だって、体から出たもの。
命から出るもの。
私がこうやって書くのも、自分の生存確認だったり。
温度があるものなら何でもいいから、それを貪りたいと思うのは、
まだ、生きて居たい
生きるのは、快楽
ということなのでしょう。
なので、書くのも、誰かと話すのも、私には快楽で。
誰もいないと、静かすぎて、どこにいるのかわからなくなるのは、海の底にいて、上がどちらかもわからないような。
その静けさも、とても贅沢なのだけど
「楽しいこと」は、どこにあるのか
それを探すと
どうやら、一人の場所ではないみたいで。
ゆっくり休んで、楽しく外に出て
そんなのを繰り返すのが
私には
一番贅沢、みたいです。
…
本当の贅沢は、
「物」よりも「環境」かも。
だから
「所有」よりも「共有」なのかも。
だから、一番の贅沢は、
「環境」=「場」なのかも。
その「場」は、自分のなかの男性性が求め、創るもの。もしくは、実際の男性の、深いふところの中。
その中で遊ぶのって、とても甘やかで伸びやかな、そしてリアルな夢物語。子供の頃に一人でお姫様ごっこをした、自分だけのお城、みたいな。何もないのに、全部あった、あの世界。それを現実に落とし込めるのは、大人でこその包容力と実現力。子供の世界を抜け出したくて、生き急ぐように大人になろうとしたのは、この場所を求めていたからなのかも。
あなたの贅沢は、何ですか?きっと人それぞれだから。
内藤加奈子