今日も、質問にお答えします。
ワイン2杯目
飲みながら書いてます。
よかったら、あなたも何か。
(写真は昼間ですが、今は夜で自宅です。一日中飲んでることにいま気がつきました。笑)
…
加奈子さん
はじめまして。
◯◯◯子と申します。
唐突ですが、質問です。
加奈子さんは嫌われるのが怖いと感じたことはありますか?
現在、愛されたいなら嫌われなさいを読んでいて、
その中で、嫌いなことをやめるということが書かれています。
なるほどと思い、
嫌いなことをやめるを意識して生活してみました。
まずは、仕事です。
派遣事務の仕事が決まって
やりはじめたのですが、
派遣事務の仕事がつまらなくて、
何より作業着を着て仕事をするのが私は嫌なのです。
作業着を着て、髪を一つに縛って、
なんなら帽子もかぶって(工場事務なので)
仕事をすることにとても抵抗があります。
こんなこと一緒に働いている会社の人たちには言えません。
でも、作業着を着た自分の姿を見るたびに
テンションが下がる毎日です。
私は、美くしくありたいです。
もっと、おしゃれを楽しみたい。
私は、私を満たしてあげたい。
辞める理由が作業着なので、
正直な理由を会社には言えませんが、
テンションも上がらないので、
2ヶ月ですが、辞めると言いました。
辞めると言えたことは私は後悔はありませんでした。
ただ、今度は2ヶ月で辞めると言ったことに対して、
私は世間体が気になっています。
親や、会社の人たちの目。
私は嫌われたり、奇異に見られること
がとても怖いと感じています。
加奈子さんは嫌われることに怖さはありますか?
怖さを感じた時どのように対処していますか?
また、仕事をするときのポイントなどがありましたら、
ぜひ、知りたいです。
私は、派遣事務がつまらないと思いながら、
ついつい自分にできることだからと戻ってしまいました。
色々な仕事をしてきましたが、
できることと好きなことは違います。
できれば、好きなことで収入を得て生活をして行きたいと思っています。
よかったらお聞かせください。
…
お答えします。
大きくわけて
3つのことがあるようなので
1つずつ、お答えします。
まず1つめ。
「加奈子さんは嫌われるのが怖いと感じたことはありますか?」
というご質問について。
わたしは
子供の頃は、
ずっといじめられていたので
嫌われることは
死活問題でした。
「人に嫌われたら死ぬ思いする」
と思っていました。
でも、
本気でそう思っていたからでしょう。
人の機嫌をとることだけは
プロ級に上達し
それが仕事になって
売り上げナンバーワンになり
接客を教えるようになり
本も7冊書きました。
なので
嫌われるのは「怖い」
どころの話じゃなく
「死ぬ」
ほどの騒ぎだったわけですが
「死ぬ」と思ったことが
わたしに
「仕事力」や
「人間力」など
「生きる力」を授けてくれました。
すると、なぜか
人に好かれるようになってしまい
嫌われなくなってしまったわけです。
…
あなたが
「嫌われるのが怖い」
と感じることは、あなたに、何か
「力(ちから)」を授けようとしています。
きっと、
「嫌われるのが怖い」
のですから
「好かれるのは気持ち良い」
のではないでしょうか。
(ここからは、あなたが「人に好かれるのは気持ち良い」のだと仮定してお話しします)
男女問わずですが
他人が、
あなたを好しく思うには
あなたに対して
「好意を抱くベース(土台)」
が必要です。
人は、わざわざ
自分を嫌っている人を
好きになったりはしません。
だからまず、
あなたが相手に好意を持つことです。
好意が持てなくても
興味を持つことです。
です。
しかし、よく、
「人の良いところを見るようにして、それを好きになりなさい」
とか言いますが
これは、
わたしは違うと思っています。
人の良いと思えるところも
そうでないところも
むしろ、
失敗や
ダークなどころや
弱さや、
愚かさや
そういうのを区別しないで
『全部』
好きになる。
いや、
好きになる、というか
嫌わない、くらいでいいですね。
好きでも
嫌うでもない
「そのままにしておく」
のほうが近いかもしれません。
そのままで
それでいいじゃないですか
なんだって
いいじゃないですか
気楽にいきましょうよ
みたいな感じで
相手を変えようともせず
自分が変わろうともせず
ただ、受け入れる、みたいな感じ。
相手だって
機嫌が悪い日もあるでしょう。
あなたへのひとことが
足りないように感じる日もあるでしょう。
でも、
それも、
人間、じゃない?
ナマモノなんだかから
毎日、違いますよ。
わたしだってそうです。
あなだってそうでしょう?
それをね
いちいち非難したり
いちいち反省したしている間に
人生の日は暮れていく。
けれど、もし
あなたを嫌うどころか
あなたに危害を
加えるような人がいたら
それは
会社を辞めるとか
会わないようにする手段を
とればいいだけです。
「嫌なことをやめる」のです。
仕事は辞められない
とかいう人がいますが
辞表を出せば、やめられます。
行かなければ、やめられます。
あなたは自分に正直に
仕事をやめられる人だから
そこは大丈夫ですね。
辞められない、とか
辞めたらどう思われるか、とか
自分の心や体の健康よりも
世間体を気にするから
自分よりも
他人を優先にするから
自分に嫌われるのです。
そして
同じように他人も
自分を嫌っているのではないかと
疑うのです。
…
人に嫌われるとか
人に誤解されるとかって
辛いことかもしれませんが
それって
「その人」のものです。
「嫌い」という感情も
「誤解」していたいのも
あなたではない「その人」の
「他人」の持ち物です。
だから、
他人の自由。
それをどうこうしようとしても
無駄に疲れるだけです。
それを変えようとするのは
他人の感情を奪ったり
奪って変えようとしたりする
「争い」です。
心穏やかでないのなら
争っているからです。
他人を使って
自分の心のなかに
戦争を起こしているからです。
その戦争に終わりはなくて
人を責めるか
防御に入るか
冷戦を続けるか
そのくらいの選択肢しか
ありません。
あなたの場合は
防御には入っている
のではないかと思います。
自分を守りたくて
体を丸めて
他人が攻めてこないかどうか
(他人に嫌われないかどうか)
いつも周りの様子を伺って。
その戦争に
終わりはありません。
ですから、
そろそろ、
「別のゲーム」をしてみたら
どうでしょうか。
人と、つながるゲーム、です。
まずは
防御を捨て
戦いをやめるために
あなたが
あなたを、許すことから。
周りの目ばかり気にして
動けなくなる
弱い自分を
許すことから。
弱くていいじゃないですか。
怖くてたまらないのだって
それが、あなた、です。
あなたと同じように
弱く、恐れている人は
この世の中に
たくさんいます。
わたしも、その一人です。
みんな、同じなのです。
弱いけど
怖くなっちゃうときもあるけど
それも、
自分が生み出しているだけのもの
そう知っているかどうか
それだけの違いです。
自分に
「弱くていいじゃないか」
「仕事が続かなくてもいいじゃないか」
「嫌われるのが怖くてもいいじゃないか」
そう言ってやれたら
他人にも、
そう思えるようになるでしょう?
わたしも
あなたも、同じ。
そう思えたら
そこに争いなど
起きようもないのです。
ダメな自分を
ダメなまま生きて、
ダメな自分を、笑うのです。
…
わたしは、女性たちに
「クラブ◯◯のママになりましょう」
とお勧めしています。
◯◯は、あなたの下のお名前です。
(わたしは、ホステスをしていたときは、本名の「加奈子」でやっていました)
あなたの周りの人が
あなたのお店に来てくれた
「お客さま」だと思って、扱うのです。
もてなしたくなるでしょう。
気を配りたくなるでしょう。
わたしが
水商売あがりだからでしょうか。笑
お客さまでなくても
クラブには、
営業さんもいれば、
スカウトマンもいれば
ホステスさんもいれば
会計さんもいれば
一緒に働くメンバーがいます。
そのみなさんがいるから、自分の仕事も成り立っているわけです。
すると、自然と
それらの人を、みんな
大切に扱いたくなります。
あなただって
大切に扱われたら
気持ちがいいでしょう?
「人に嫌われるのが怖い」のだから
「人に大切にされるのは嬉しい」でしょう。
しかし
大切に扱う、といっても
特別なことをする必要はないのです。
気持ち良くあいさつするとか
相手が必要なものを差し出すとか
些細なことでも
何かしていただいたら
喜んで感謝するとか
ちょっとしたことの
普通のことの、
淡々とした、
連続。
誰もが
あなたのお店にきてくださった
(あなたの人生に登場してくれた)
重要な人なのです。
そう思ってみて
「人に嫌われるかどうか」
と研究するのではなく
「人はどうしたら気持ちいいか」
を研究してみてはいかがでしょうか。
こんなふうに、あえて
「自分を使ったゲーム」
だと思って試してみると
面白いと思います。
それがレベルアップしていくと
好きなことをしていても
何をしていても
それが仕事になる、と思います。
「人との関係をつくること」ができたら
あなたが何をしていても
それが仕事になるからです。
しかし、
このゲームには、注意点があります。
「人に評価されるためにやる」
のではないという点です。
あくまで
「人について研究するためにやる」
のです。
ですから、相手を大切に扱うことで完結します。相手からの評価や、相手もあなたを大切にしてくれるなどの見返りは、一切必要ないのです。
また
「人はどうしたら気持ちいいか」
と同時に
「自分はどうしたら気持ちいいか」
も研究対象にすると
バランスがとれていくでしょう。
…
では2つめ。
お仕事の服装のこと。
「何より作業着を着て仕事をするのが私は嫌なのです」
とのことで、また
「私は、美くしくありたいです。
もっと、おしゃれを楽しみたい。
私は、私を満たしてあげたい。」
とのことですね。
通勤するときの服は、
私服で構わなかったのですよね?
またいつか、
作業服を着る仕事をされるときは
おしゃれして、
通勤したらいかがでしょうか。
誰に見せるのでなくても
「私は、私を満たしてあげたい」
と思うのなら
私なら、私服で思い切りおしゃれをすると思います。
(おしゃれに必要なのは、お金よりもセンスですので、研究すれば、誰でもおしゃれはできます)
そして
作業服のときでも
おしゃれな着方を研究すると思います。
中学や高校の制服も
そうだった気がしませんか?
同じものを着ているのに
おしゃれに見える生徒と
そうでない生徒が、いませんでしたか?
その違いって、
とても些細なことで
袖をちょっとまくってるとか
靴下のずらし方が絶妙とか
そんな、
すごく些細なことが
全体に影響を与えていた
ように思うのです。
ファッションって
そういうものですからね。
「些細なこと」が
「全体感」を創っている。
…
同じものを着ても、
着る人によって
着方によって、
まったく違うものに変わります。
作業服で
髪を結ばないといけなくても
髪を結ぶゴムまで
指定されていましたか?
わたしなら
作業服と一番合うものを選んで
楽しむかもしれません。
髪だって、
巻いてから結ぶのと
そのまま結ぶのとでは、
スタイルが変わりますし
「作業服着てるのに、あの人だけ、なんか美人で変!!」
みたいなのを
目指すかもしれません。笑
「夜は、何か別の仕事をしてるらしいわよ」
「どこかのお偉いさんの愛人らしいわよ」
「彼氏が3人いるんだって。だらしないわよね」
とか、
ありもしない噂されてみたり。笑
作業服姿は、
世をしのぶ仮の姿で
本当は、この女は・・・
みたいなプレイも、
面白いかもしれません。笑
ヒマな人って
他人の噂するのが趣味みたいですしね。
何をしても、しなくても
何か言いたい人は言いますからね。
それも含めて全部
面白いじゃないですか。
「今ある条件のなかで、どれだけ楽しめるか」
それは、
「生き方全体」に影響しますから。
そうやって、
「どれだけ、枠からはみ出したか」で
「次の世界」が決まりますから。
与えられた条件を超えた
パフォーマンスを出せるかどうか。
お給料をもらっている額以上のものを
会社に提供できたかどうか。
制服があっても
どれだけおしゃれに着こなせたかどうか。
他人が決めた「枠」に
収まる必要はないのです。
そういうことをしていると
「出る杭」
になってしまうことがありますが
それで摩擦がキツくなったときが
そこを去るときです。
自分のサイズに合わなくなったから
辞めるのです。
「嫌なことはしない」
というのは、
そういう意味です。
「サイズの合わない場所にいない」
という意味でもあります。
サイズが変わったときが
そこを去るタイミングなのです。
だって
周りの人よりも
「異質なもの」
でなければ、
もしあなたが「好きなこと」を
仕事にしようとしたときだって、
「周りの人と同じ人」
だったら、
あなたのところに
お客さんが集まるわけがないのですよね。
ほかにも
同じことを仕事にする人は
いるでしょう?
…
そして、3つめ。
仕事の内容のこと。
嫌なら辞めたらいいわけですが、
辞めることで
「失うもの」もありますね。
たとえば、
「その仕事に慣れている」
というのを、
失うことになるかもしれません。
慣れている仕事なら、
難なくできることでしょう。
起業するとわかりますが
毎月、決まった額が振り込まれるって
すごいことなのです。
これを、
サラリーマンの人は知らないのです。
私は、
不良社員でしたので、
慣れきった仕事のなかで、
「さまざまな実験」をしていました。
人に動いてもらうには、
どんなものの話し方をする必要があるのか。
信頼されるには、
どんな在り方であればよいのか。
そんなことを、
慣れきった仕事で結果を出しながら
日々、実験し研究していたのです。
慣れた仕事でなければ
仕事に慣れることに必死で
そんな実験は
できませんからね。
…
どんな仕事をしても、
「人との関わり」
は、存在します。
そして、
好きなことを仕事にしたいなら
さらに、
「人との関わり」と
「自分の在り方」が
重要になってきます。
あなたがおっしゃるように
「色々な仕事をしてきましたが、
できることと好きなことは違います」
そうかもしれません。
ただ、
何を仕事にしたとしても
「人との関わりへの姿勢が、収入を決める」
というのは
言えると思います。
サラリーマンであっても
起業していたとしても
同じこと。
「この人の言うことなら聞きたい」
「この人の話を聞いてみたい」
そう思われる
人間であるかどうか。
好きなことをやっているのに
お金を稼げない人は
ごまんといます。
何をやるか、ではないのです。
誰がやるか、なのです。
私の場合は、
スタイリストの仕事をしたくて
独立したのに
集客できなくて、失敗しました。
好きなことでは、
稼げませんでした。
ホステスになって生活しましたが
それは楽な仕事でした。
接客は、前職で慣れていたから。
そして、その後、
また前職でやっていた仕事を
受けたのがはじまりで
お店のコンサルタントになりました。
これも
好きで始めた仕事ではありませんでしたが
本も書き、
メディアにも出て
お金も過去最高に稼ぎました。
好きなことでは稼げずに
好きではないこと、
できること、
で稼いだのです。
そして、
何の気なしに
毎日書きはじめたブログを
読む人が増えて
4年経った今、
12万円の講座が、
26分で満席になる。
たまたま、はじめたことを
なんとなく
淡々と続けてみたら
書くことは、
やっぱり好きなのかもしれないと
気がついた。
たまたま、そうなった。
それだけなのです。
好きなことを仕事にしようと
狙ってやろうと思うなら
少なくとも
いまやっている仕事で
どれだけ
「枠」をはみだしたパフォーマンスができるか
そして、
「人とのつながり」をつくることができるかどうか
そこへの鍛錬が
日々の、
淡々とした鍛錬が
必要だと思います。
「できれば、好きなことで収入を得て生活をして行きたいと思っています」
とおっしゃいますが
「できれば」ではなく
「絶対に」でなければ
それは、甘い。
「収入を得て生活をする」
ではなく
「爆発的に稼いでやる」
でなければ、それは、
甘すぎる。
すこしのことで挫折して
すぐに諦める
多くの人と
同じ道をたどることになるでしょう。
目的地を遠くにしなければ、今いる場所に引きずられてしまうものです。
いつか
好きなことで稼ぐことを模索するより
いま、
どれだけのエネルギーを出せるか。
それは、
今いる場所で。
あなたが
どれだけのエネルギーを
放出することができるか。
美しさの意味でも
人との関わりの意味でも。
「いつかその場所が与えられたら、そのパフォーマンスができるようになると思います」
みたいなひとは
大勢いますけど
場所を与えられる人は
それに見合った人、です。
あえて、
窮屈な場所に居るくらいでいい。
あえて、
居心地の悪い場所にいるくらいでもいい。
そして、
はみ出していきましょう。
出る杭になりましょう。
異質なものとして生きましょう。
嫌われたら
正解です。
枠をはみ出した
証拠です。
そしてその場所を終わりにし
次の場所へ向かえばいいのです。
自由な場所にいたら
何か自由かさえ、わからなくなるのです。
自分しか見ていない人は
自分が見えなくなるのです。
淡々と、
ダメなままを生き
誰かの何かをすべて受け入れ
人のでも
自分のでも
「気持ち良さ」を研究し
淡々と
淡々と
「枠を飛び出す」のです。
そうしたら
「次の世界」に出会います。
わたしは
そうしていました。
サラリーマンのままで
慣れた仕事の中で
さまざまな実験を行いながら
「枠」をはみ出していくこと。
それは、
はみ出した分
はみ出すほど
あなたに「力(ちから)」がつき
どんな職場でも
どんな人生でも
なにを選んでも
「豊か」
に、生きることが
「いま」
から、できると思うから。
他人に期待された以上のものを
生み出すこと。
自分に期待した以上ものを
自分に与えること。
その両輪を
どちらかだけでなく
両方回すこと。
すると人生は
前に進むのではないかと
思います。
講座に申し込んでくださったとのことなのでお会い出来るのを楽しみにしています。
内藤加奈子