あの日、死んだらよかった。
と、思うこともありました。
子供の頃です。
なぜ死ななかったのかといえば
わたしが死んだ姿を親が見つけたら、かわいそうだから
それだけでした。
娘が死んで床に倒れている、その映像を、一生頭の中で反芻するのだろうと思ったら
それは、辛いだろうと思ったからです。
けど今、思うのです。
死ねばよかった。
死ぬことを、許せばよかった。
それは、思いの通りに生きることを、許すことだから。
死ねば、楽になれたのだから
その楽を、与えてやればよかった。
無理をしたから
無理をしなければ生きられないのだと
自分に刷り込んだようなものだったから。
…
すみません。
これは、わたしには経験がないことだから、言ってはよくないのかもしれないけど
親しい人を
自死で亡くされた方
わたしは、死のうとした側として申し上げられるとしたら
思いの通りに生きることとして
死ぬことを選んだ
のだと、わたしの場合はそうだったとは、申し上げられます。
…
「頑張る」のと
「無理をする」のは
違うのです。
楽しみのために、力を出すことを「頑張る」と表現するのだとすれば、どこまででも頑張れる。
苦しみのために、それを抱えたまま、すべての感覚を閉じて、死にながら生きることを「無理をする」と言うのだと思うのです。
今夜も、瞑想のまねごとをしていたら
「わたしは、わたしを、もう憎まなくていい」
と、
思い浮かびました。
わたしは、
わたしを憎んでいたのでしょうか。
そうだとも思えます。
無理をして、生きさせた
死ぬ自由を、許さなかった
死んでいたのに
その死んだ体を引きずり回して
もう笑わない顔を、無理やり笑ったように形をつくって
食べたくもないものを、体の中に押し込んで
眠りたくもないのに、生きたくもない明日のために目を閉じて
わたしは、わたしを恨んでた
わたしは、わたしを憎んでいた
のです。
そのツケは、生きているあいだじゅう、まわってきました。
あんなヤツのために、幸せになんかなってやるものか。
あんなヤツには、嫌な思いをさせてやる。
おまえにも、死ぬ思いをさせてやる。
「あんなヤツ」とは、わたし自身のことです。
わたしの死んだ体を引きずって、生きているように見せようと操った
憎き、わたし自身のことです。
まるで、悪魔です。
…
けど、
天使のわたしも
同時に、そこにいました。
「死ぬ勇気があるのなら、明日の一日だけ、生きていようよ」
毎日、そうささやく天使もいました。
あと、一日だけ。
遠くまでは見られないけど
あと、一日だけ。
その、あと一日を
毎日たぐり寄せて生きていたら
「25歳まで生きてごらん。なんとでもなるから」
とも言うのです。
子供の狭い世界を抜け出れば、人づきあいも、仕事も、自分で選ぶことができる。
本当に、そうでした。
なのに、
悪魔は、わたしから離れず、恨みを果たそうとしつづけます。
なぜ、許さなかったのだ?
なぜ、思いの通りに生きる(=死ぬ)ことを、許さなかったのだ?
おまえを、許さない。
苦しめてやる。
何でも、苦しいほうを選びました。
何でも、ハードルの高いほうを選びました。
その結果、
生きる力が、ついてしまいました。
サバイバルする力です。
これは、悪魔の誤算です。
いや、
生きる力はついたけれど
寂しいままでした。
そこは悪魔の、もくろみ通りでした。
悲しいことが多かったのは
わたしがわたしを恨み
わたしがわたしを、
裏切り続けてきたからです。
無理やり、
生きようとさせたからです。
死んだように生きたらよかった。
ひきこもるなんて、知らなかった。
無表情なまま、誰がどんなに心配しようと、何も食べずに眠らずにいたらよかった。
自分の思いのままに
させてやればよかった。
自分を裏切り続けたから、
誰もいなくなったのです。
わたしがこんなに無理をしたのに、相手は、同じように無理をしなかった
それを、許さなかったのです。
誰をも、わたしの中には入れてやらない。
自分の生き死にすら許さなかったのだから、他人を許せるわけがないのです。
毎朝、目覚めるとともにある、
憎しみと、イラだち。
その理由が、ずっとわかりませんでした。
けど、朝起きても、イラたない日が増えてきたのです。
それすら不可解で、
またイラだっていたのですが
ようやっと、
わかった気がしました。
わたしは、
もうわたしを憎まなくていい。
生きてしまったのだから、しかたない。
そろそろ、諦めよう。
死ななかったことを。
生きたのだから。
もう、生きてしまったのだから。
そしてもう、
死んだわたしの体をひぎずるようなことは
しない。
思いの通りに、させてやる。
その環境は、
すでに整えられていました。
天使が、もう一人いたのです。
わたしの彼です。
私の悪魔が、猛烈に悔しがっています。
恨みを果たしたいのに
わたしに、時間でも何でも、必要なものは全部与える天使を
その悪魔が、憎んでいました。
なぜなのか、彼との間に、面倒なことを起こしたいという、そういう私がいました。
それは、無意識だったのです。
それは、わたしという悪魔のしわざだったのです。
…
生きかたが変わる。
ずっと、そんな予感がしていました。
こういうこと、だったのですね。
それは
悪魔を捨てることでもなければ
天使だけを存在させようとするのでもない。
だって、
悪魔も天使も、両方がいなければ、存在し得ないのだから。
悪魔を許すこと。
悪魔の行いを、許すこと。
だって、私を生きさせようとしたのは、天使の仕業だったのだから。
悪魔も、天使だったのだから。
天使しか、いなかったのだから。
私の内側にも。
外側にも。
…
生まれたことだけで、誰かを幸せにした
「幸せ」というものを、物質化したのが、わたしたちなのです。
幸せになるために生まれたのではなく
存在自体が、存在するだけで、もはや、幸せと呼ばれるものが、ここにあるのです。自分で、邪魔さえしなければ。
無理をさせるから、
悪魔を生むのです。
大事だから、もう一度言います。
「頑張る」のと
「無理をする」のは
違うのです。
楽しみのために、力を出すことを「頑張る」と表現するのだとすれば、どこまででも頑張れる。
苦しみのために、それを抱えたまま、すべての感覚を閉じて、死にながら生きることを「無理をする」と言うのだと思うのです。
頑張ると、疲れます。楽しくても、体は疲労します。どんなに強い人でも、疲れてカゼをひくことだってあります。
しかし、
生き苦しいことなのに、無理をさせ続けると、心や体が病気になったり。
頑張るのと、
無理をするのは、違うのです。
しかし
どちらも同じく
ポジティブ、です。
生きている限り、生きることは、ポジティブ(積極的)なことです。
心臓は、いつも鼓動をやめない。
積極的に、在り続けていますから。
病気だって、デトックスのためになることだったりします。それにより立ち止まり、休養できたりもします。
何だって、よりよく生きるために、あなたが生きるために起こることなのです。
…
悪魔も、天使だった。
恨んだけれど。
憎んだけれど。
悪魔が教えてくれたこと。
「思いの通りに生きなさい」
だから、もう、
あなた(わたし)を憎くない。
一番大事なことは、悪魔が教えてくれた。
あなたも、生きることが苦しいなら
生きてみてください。
あと一日だけ。
無理しなくていいけど。
たぶん、天使に会えるから。その悪魔も、天使だから。
内側にも。外側にも。今も居るから。
(わたしには、それが私と彼ですが、異性だけでなく、ご自分と友達かも、ご自分と家族かも、人によって様々だろうとも思います。)
あなたの中にいる悪魔と天使は、
あなたに、何をささやいていますか?
内藤加奈子
【お知らせ】
ここ数回、セミナーやイベントを行うと、1時間もしないうちに満席になってしまいます。そのため、ブログでは告知もできていない状況です。講座やイベントのお知らせが欲しい方は、こちらからメールアドレスのみご登録ください。
内藤加奈子セミナー優先告知フォーム
https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=naito&formid=122