「どうせ私は…」人生は答え続けること

IMG_2337どうせ私は…

人より劣っている

どうせ私は…

人よりこんなことができない

どうせ私は…

こんなものも持っていない。

そんなふうに

「どうせ私は…」

と、他人と比較しながらも

「私」

に注目しているとき

「自分」

しか見えなくなっているとき

人は、とても

「自意識過剰」

であるといえます。

自意識過剰、というと

なんだか良くないニュアンスですが

過剰なほどに

自分を意識している、わけですから

「どうせ私は…」

なんて言いながら

自分のことばかり考えているのです。

自分のことが

大切で、大切で、

たまらないのです。

なぜ、

その気持ちを

表に出さないのでしょう。

「私は、私が大切!」

そう言えないで

「私は、私が大切!」

と表現している誰かを見ては

「どうせ私は…」

と下を向き、

卑下するようなポーズをしながら

なぜ、

ひとり、

殻に閉じこもっているのでしょうか。

人生は

『問い』の連続です。

自分に投げかけた『問い』に対して

オリジナルの『答え』を出すこと。

それが、

間違いであろうが

他人から正解だと言われようが

関係ない。

『問い』に対する

『答え』を出すこと。

なのに

『答え合わせ』だと

勘違いしてる人も多い。

どこかに答えを見つけて

それと合っていたなら

安心する?

なら、

死んでるのと同じ。

生きてないのと同じ。

だって

自分が居ないのと同じだから。

あなたが創らない答えなんて

他人の借り物なんて

あなたじゃない。

『答え』は

『出す』んだぜ。

「探す」んじゃないぜ。

あなたが出した答えが

たった一つの、真実。

それを世間が

否定しても肯定しても。

あなたが、

出したものが

あなた。

あなたが

震えながら

怯えながら出した答えを

それが、どんなものでも

「出した」ことを

尊敬します。

迷いながら

怯えながら行こう。

間違いながら

頭抱えながら

わからなくなりながら

行こうよ。

 

内藤加奈子