どうせ私は…
人より劣っている
どうせ私は…
人よりこんなことができない
どうせ私は…
こんなものも持っていない。
そんなふうに
「どうせ私は…」
と、他人と比較しながらも
「私」
に注目しているとき
「自分」
しか見えなくなっているとき
人は、とても
「自意識過剰」
であるといえます。
…
自意識過剰、というと
なんだか良くないニュアンスですが
過剰なほどに
自分を意識している、わけですから
「どうせ私は…」
なんて言いながら
自分のことばかり考えているのです。
自分のことが
大切で、大切で、
たまらないのです。
…
なぜ、
その気持ちを
表に出さないのでしょう。
「私は、私が大切!」
そう言えないで
「私は、私が大切!」
と表現している誰かを見ては
「どうせ私は…」
と下を向き、
卑下するようなポーズをしながら
なぜ、
ひとり、
殻に閉じこもっているのでしょうか。
…
人生は
『問い』の連続です。
自分に投げかけた『問い』に対して
オリジナルの『答え』を出すこと。
それが、
間違いであろうが
他人から正解だと言われようが
関係ない。
『問い』に対する
『答え』を出すこと。
なのに
『答え合わせ』だと
勘違いしてる人も多い。
どこかに答えを見つけて
それと合っていたなら
安心する?
なら、
死んでるのと同じ。
生きてないのと同じ。
だって
自分が居ないのと同じだから。
あなたが創らない答えなんて
他人の借り物なんて
あなたじゃない。
…
『答え』は
『出す』んだぜ。
「探す」んじゃないぜ。
あなたが出した答えが
たった一つの、真実。
それを世間が
否定しても肯定しても。
あなたが、
出したものが
あなた。
あなたが
震えながら
怯えながら出した答えを
それが、どんなものでも
「出した」ことを
尊敬します。
迷いながら
怯えながら行こう。
間違いながら
頭抱えながら
わからなくなりながら
行こうよ。
内藤加奈子