わたしは「好きなことを仕事に」したことがありません。

IMG_0135.JPGこれを言うと、驚かれるのですが

私は

「好きなことを仕事に」

したことがありません。

学校を出たあと
アパレルに勤めていましたが

それは

本当はまだ勉強したかったけど、その資金もなくて、卒業するしかなくて

そんなとき

たまたま、近くにいた学生が

「オンワード樫山を受ける」

と言うので

「そこの会社聞いたことある!」

と、行ってみたわけです。

そしたら

たまたま採用されただけのことで

好きで、

そこに行きたくて
それをやりたくて

就職したわけではなかったのです。

そこの会社に勤めて7年、
脱サラして始めようとしたのは

「パーソナルショッパー」

でした。

もう、15年も前で、そのような仕事はまだ欧米にしか存在しなくて、まだSNSもなくて

何より、わたしに集客力がなくて

まったく仕事になりませんでした。

それは

「好きだからやりたい」

ことだったのですが

まったく、仕事になりませんでした。

お金もなくなり
生活のために、

銀座でホステスをすることにしました。

これも、好きだからではなく

手っ取り早く
生活費を稼ぎたかったからです。

銀座と並行して、セレクトショップでバイトもしました。

それも

「好きだから」ではなく
「できるから」でした。

あとは

家から近かったから、です。

そのバイトも辞めて
銀座でホステスだけをやるようになり

「もう一生、夜の世界で生きていくのだな」

と思っていたころに
知人から連絡がありました。

「ある有名ブランドが、店舗ディスプレイのコンサルタントを探している」

と声をかけてもらい
そこと契約することになりました。

なぜ、そこと契約できたかというと

「その仕事をできたから」

です。

決して

「夢を抱いて、やりたくてやりたくて、やっとその夢を叶えた!」

というような

「彩りのある物語」では

なかったのです。

それでも

店舗ディスプレイと
人材育成に関する本を

7冊書きました。

それも

「出会いがあったから」

そして

「書けたから」

です。

確かに

「本は出したいな」

とは思っていました。

しかしそれは、店舗ディスプレイの仕事で食べていくことを考えたとき、本を出しておくことは、必要だと考えていたからです。

ここまでを読んでいただいて
わかると思うのですが

「好きなこと」を仕事にしようとしたときは、みごとに失敗して

そのとき

目の前に出てきたこと、と
それをやるしかなかったこと、を

ただ、やっただけ、なのです。

いわば

「来た波に、ぜんぶ乗っただけ」

なのです。

好きでも嫌いでもなく

「そうだった」

だけなのです。

その上で
何をしてきたかというと

「好きだからやる」

のではなく

「好きにやる」
「好き放題やる」

ということを
徹底してきたように思います。

言い換えれば

「楽にできるからやる」のでもなく
「どうすると、もっと楽しめるか?」

つまり

「楽しむ方法を編み出す」ことを

最大限、やってきたと思います。

仕事ならば
結果が出たほうが

「ゲーム」

として面白いからです。

「クリア!」

となると、単純に面白いからです。

そんなことを

目の前にいる人や
そのときに居た環境を

「お題」にして

まるで「大喜利」でもやるように

自分1人で勝手に楽しむようにして
生きてきたわけです。

もし、

あなたが私を見て
楽しそうに見えるなら

ただ流れ着いた場所で

「能動的に楽しんできたから」です。
「好き放題やってきたから」です。

決して

「好きなことをやってきたから」ではないのです。

世の中を見渡すと

「楽しませてもらう」

ことばかりを求めて

「フィード」

ばかりを求めて

「ありもしない夢」を描かされている

そんな人が多いように感じます。

全ては、もともと

「ありもしない」

のです。

考えてみてください。

まだ、この地球に
文明と呼べるようなものが無かったころ

獣を狩って
それを食べて生きていたころ

生きるために

「お金」や「価値」は

必要だったでしょうか?

「成功」や「名誉」など

求めていたでしょうか?

銀行が、現物として「ありもしない」分のお金を貸して利息をとり「ありもしない」ものに「ありもしない」価格が付けられ、もともと「ありもしない」ものに翻弄されて、それの有るや無しやで何かを判断しようとして、

ありもしない「成功」や
ありもしない「お金」を
ありもしない「いつか」を

求めて彷徨っているのが、私たちなのです。

とはいえ、

資本主義を変えるなど、少なくともわたしたちが生きている間には不可能であるわけですから

ならば、

この「ありもしない」ルールのなかで
遊ぶことを考えてみたら?

と思うのです。

「なければならない」のではなく

あっても
無くても

どちらだって

「ありもしない」のだから。

話を戻しますが

「ありもしない夢」

を追わされていることに

まず気がつくことでしょう。

あなたが

「好き」

だと思っているものすら

「ありもしないもの」

であったりするのです。

言い換えれば

「好きだと思わされている可能性が高いもの」

であると言えます。

親の価値観
世間の常識
友人の話
メディアの宣伝報道

これらに一切、
触れないで生きてきたとしたら

わたしたちは

「価値観」すら持つことができないのです。

わたしたちは
たった一人では

「思考の材料」すら

持つことができないのです。

また、

「ありもしない価値」を

「判断」をしているのは
「情報」です。

情報を刷り込まれた「脳」が
それが「何」であるかを判断しています。

(その判断すら何の意味もないのだけれど。)

たとえば

「損」であるか
「得」であるか

などもそうでしょう。

私などからすれば、

失敗したほうが、人生は面白くなるのに
損したほうが 、視野が広がるのに

不安定だからこそ、動きが出て
予測不能なところまで辿り着けるのに

成功して?
得して?
安定?

したがる人が多い気がして。

もう一度言います。

情報を刷り込まれた「脳」が
それが「何」であるかを判断しています。

ですから残念ながら

「好き」という感覚すら
「自分のものではない」のです。

さらに言えば

「やりたいこと」なども

もはや、マーケティング用語(集客のための用語)になっていますが

よくあるやつなら

「経済的自由、時間的自由を手に入れて、自由な人生を手に入れる」

みたいなのも、

笑えるくらい典型的なマーケティング用語だといえますが

これらにひっかかりやすい人が多いのも

「自由(不自由)とは何か?」

という刷り込みがなされた「脳」が反応してしまうからでしょう。

ある有名なお話ですが

南の島のビーチに

2人の男性がいて

一人は、

ビシッとしたスーツを着て、高価な靴や時計をつけたビジネスマン。

もう一人は

ホームレス。

ビジネスマンが言います。

「私はいつかこんな場所で、毎日、このような美しい海を眺めながら生活するのが夢なのです」

ホームレスが言います。

「わたしは毎日、ここでゆっくり、この海を眺めて生きていますよ」

さて、

ビジネスマン と ホームレス

本当に「自由」で

いま「やりたいこと」をしているのは

どちらなのでしょうか。

「やりたいこと」

があるのなら

それが

「本当に、やりたいこと」なら

今、もう、すでに

やっているはずなのです。

だって「やりたい」のだから。

やりたいと言うのに
なぜ、それをやらないのか?

わかりきったことです。

やりたいことではないからです。

「洗脳された脳ミソはやりたいと言うけれど、体がやりたがらない」

という状態なのです。

脳のしくみから言っても

「やりたいこと」が
「やったことが無いこと」であるほど

未体験、であるほど
未経験、であるほど

脳は、ストップをかけてきます。

なぜなら

「危険」だからです。

私たちが、頭がい骨の中に搭載している
たった千数百グラムの「脳」という臓器は

「危険」を察知し
「不安」な状態をキープするのが

仕事だからです。

なぜなら

獲物を狩って生活していた頃には、獣と戦って、獣に襲われないように、家族を守るように、子孫を残すために

「危険」を予知することが
「不安」な状態で居ることが

「異変」を察知することが
「変化」を排除することが

本能的に

生きるために
生き残るために

必要だったからです。

だから脳は、たいへん優秀な

「危険察知センサー」であり
「不安製造機」であるわけです。

そんな装置である「脳」が

「好きなこと」とか
「やりたいこと」だと思うことは

ただの

「危険」の回避であり
「不安」の解消であるだけで

そもそも、

「好き」でもなければ
「やりたいこと」でもないのです。

そう思い込まされているだけのこと

なのです。

ですから

マーケティング的には

「人々の不安をあおる」

のが、一番効果的です。

(※今日はとくに長文です。ここらへんが折り返し地点です)

たとえば

「金融商品」なら

→何年後には定年で収入がなくなるから投資しないと

「結婚適齢期」なら

→早く結婚しないと

「シミ、シワ、たるみ」なら

→老けて見られたらどうしよう

「ダイエット」なら

→太っていたらモテないんじゃないか

「→」は、全部

「買わせるために煽られた不安」です。

けれど、どうでしょうか。

日本にいて
仕事がないからって
餓死するでしょうか?

結婚しない人は不幸でしょうか?
結婚したら幸せなのでしょうか?

歳とることの
何がいけないのでしょうか?

太っていたら
何がいけないのでしょうか?

このような

「ありもしなかった不安」こそ

私たち人間が

資本主義の繁栄のために
「捏造」してきたものなのです。

これらの「不安」を煽れば

「不安定製造機」の脳が反応して

物が売れますから。
お金が動きますから。

それでこの地球は、

ビルだらけ
ゴミだらけ

になってしまったのです。

地球からしてみたら、自然を壊して、土をコンクリートとゴミで埋め、元に戻せないほど汚してしまった私たち人間など、

まるで、巣食ってしまった害虫です。

そんな害虫が

なにを好きだろうと
何をやりたかろうと

そんなもの

どうでもいいこと

なわけです。

ありもしない、のですから。
良いも悪いもない、のですから。

ただ、この地球上にいる人間という動物であること以外に

「なにもない」

のです。

それを大前提にして

「死ぬまでの時間を何に使うと気持ちいいか」

それだけではないかと思うのです。

もう、わたしたちに

まっさらな「脳」を手に入れる手段は
残念ながら無いでしょう。

ならば

「脳ではないもの」に

聞くしかありません。

それは

「体」です。

たとえば

「好きな男性」を追いかけているのに

上手くいかなくて

「泣いている」女性がいます。

好き=快適

を求めているはずなのに

切なくて
悲しくて
寂しくて

「体」は泣いている。

その「好きな男性」は、どんなものかといえば

顔が好み?だったり
お金?を持っていたり
スタイル?が良かったり
他の人にはないもの?を持っていたり

何かしら

「好きになった理由」

があるわけです。

その「理由」ですら

結局は

メディアや、外的な情報によって

刷り込まれた「カッコ悪さ」や
刷り込まれた「お金の不安」を

「脳」が

回避したがっているだけなのです。

ありもしないものから
逃げたがっているだけなのです。

なのに

好き?だとか

「脳」が思い込んでしまって
「体」が泣いているのです。

「体」の言うことを聞けないから
「何が気持ちいいか」を探らないから

「脳」に騙されて、
「体」は、泣いているのです。

だって

上手くいかないことを続けているのは
脳が体をイジメているようなものなのです。

私の彼に聞いたことがあります。

「なぜわたし(を好き)なの?」

すると彼はこう言いました。

「理由なんかないよ。あったら怖いだろ」

確かにそうです。

その「理由」が無くなったら
わたしに惹かれなくなるわけですもんね。

思えば
わたしもそうでした。

「長いつきあいになると思う」

そう言われて

そうだな

と思ったのみで

そこに「理由」は存在しませんでした。

脳が言う「好き」は
ただの、「理由」なのです。

危険を回避したいだけの
不安をごまかしたいだけの

ありもしないものを
あることにしたいだけの

虚構なのです。

脳が探した「理由」など無いものが
体で感じる「真実」なのです。

ですから、私は

「好きなこと」よりも
「気持ちいいこと」をする

ことが重要だと思っています。

体が、いま

「気持ちいい」と叫ぶこと。

反射的に

脊髄で

「気持ちいい」と感じること。

それは、

「体にとっては現実」であり
「体にとっての真実」だからです。

わたしは

「好き」なことを
仕事にしたことはありませんが

「好き放題」やることは

気持ちよかった

のです。

「楽しんでやる方法を編み出す」ことや
「それに従って最大限やってみる」ことは

気持ちよかった

だけなのです。

「好きなことを仕事にする」
「好きなことをやるために仕事をやめる」

という人がいますが

残念ながら

「好きなこと」は見つからないでしょう。

そんなもの、もともと

「ありもしない」から。

刷り込まれたもの、でしかないから。

他人のもの、だから。

それに、

何かを辞めなくても

「気持ちいいこと」って

今いる場所で
今すぐできますから。

わたしならば

「いまこの状況を最大限楽しむには?」
「どうすると楽しくなるか?」

を問い続け

「最大のパフォーマンスを出すこと」を

し続けてきました。

おそらくそこに

「気持ち良さ」があるからです。

気持ちいいから
ずっとそれをやっていられるのです。

胸いっぱいに
吸い込んだ空気を

ふぅーっと
全部、吐き出すと

気持ちいいから。

深呼吸みたいに、体が気持ちいい。

いま出せるものを全部。
出せるだけのものをすべて吐き出して。

いま有ることで。
いま居る場所で。

「いつか」
「なにか」

なんて、無いのだから。

まとめます。

「好きなこと」を探すより
「好き放題=最大限」やること。

「楽しいこと」を探すより
「楽しめる方法を編み出す」こと。

そうしたら、

どこで何をしているときでも

「気持ちいい人生」を

いま、すぐ、生きられます。

わたしは、

「好きなこと」をしたことはないけど
「気持ちいいこと」をしてきました。

そしたら、

うまく言えないけど

体の奥が踊るような

血流を感じるような

いま、

があります。

内藤加奈子

【追伸】
わたしたちが、自分を

なんでもない
なにもない

「ただ生きもの」

だと認識するのを大前提として

お金が欲しいと思わされているだけだけど

お金を稼ぐ

綺麗になりたいと思わされているだけだけど

綺麗になる

のならば、

そうすればいいよね。

気になるなら
やれば気にならなくなるし。

思いついたら
やればいいだけだし。

「来た波には全部乗る」

だけだし。

そんなだから、わたしは

世間が言う「失敗」だらけです。

結婚したけど離婚してますし、笑
会社に勤めても辞めてますし、笑
脱サラして無一文になりましたし、笑
それで食べられなくて水商売ですし、笑
家族からも離脱しちゃってますし、笑
好きと思って買った車はポンコツで、笑
良かれと思って頑張ると全部裏目に出ますし、笑

失敗だらけで、
かなり笑えるわけです。

「全部乗る」なんて、
「ただの馬鹿」だと思います。笑

そんな、

馬鹿な女が、

放っておけなくて
可愛いくてたまらなくて

「しょうがねーなー」
「どーしよーもねーなー」

って、まだ見捨てずにいる自分がいます。

【おまけ】

最近やってる講座だって、ただの思いつきです。自分でも、なんでやるのかはよくわかりません。思いつくからやるだけ。やってみないと気持ちいいかわからないけど。わからないから、色々やってみるんだよね。最大限をやるために。楽しむために。

そして、次にやる講座は

その名も

「美問美答セルフセラピー」道場

です。

「自問自答」がすべてだから。
「他問他答」してても時間の無駄だから。

多分、10名も募集できないくらい小規模で濃いものなので、興味ある方は、メールアドレスを登録しておいてくだされば。

内藤加奈子の講座優先お知らせフォーム
https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=naito&formid=122