この世という皿の上で

IMG_0247「人生を変えなければ」

「自分を変えなければ」

と、肩に力を入れる人がいるとしたら

「人生を変えてもいい」

だけだし

「自分を変えてもいい」

だけですよ。

「どっちでもいい」

ということです。

変えても、変えなくても、いい。

けど、みんな

「自分を変えたい」なんて

本当は、思っていないんです。

変えないほうが安全だし

知った世界にいるほうが、安全だから。

「変わる」って

「未知」って

「危険」だもの。

参考記事:わたしは「好きなことを仕事に」したことがありません。

「好きなことを仕事に」とか言うけど

してもいいんですよ

ってだけで

しなくてもいいんですよね。

わたしは、好きなことを仕事に?なんて、したことないですけど。

メディアでそんなのを見かけると

「好きなことで稼がないといけない」

とか、さらに

「ねばならない」を課しちゃうんでしょ。

それで

「自由に生きたい」

とか、

おかしいから。

どっちでもいい、のに

「わたしを認めて」とか

「わかってほしい」とか

自分を認めてない人(=自分を諦めてない人)がやるけど

それ、ただの、八つ当たり。

迷惑行為。

わたしも迷惑行為、しまくってたけど。笑

それでも許して、放っておいてくれる人に、愛を教わりましたけどね。

「おまえなら、なんでもいい」

「あなたなら、なんでもいい」

「わたしが、わたしなら、なんでもいい」

生きているだけで。

その魂、在るだけで。

良い部分と付き合う、とか言うけど

それ、

悪い部分は切り捨てる、ってことでしょう?

良いも悪いも、ないじゃん。

全部が、その人を、あなたを、創っているのだから。

なぜ、悪い部分?を恐れるの?

なぜ、恐れる自分をも、断罪するの?

通りすがりの他人を利用してまで。

その法律は、どこからもらってきたの?

あなたは、終わりのないその裁判から、いつ眼を覚ますの?

明日、この命が終わるかもしれないのに?

けどさ

恐れもいいし

楽しみもいい、んだよね、

同じだもの。

この世という皿の上に盛られたすべての味を味わって、死んでいくだけだもの。眉間にシワを寄せながら、マズさに集中してもいいし、笑って美味しさに集中してもいい。どっちだって、全部味わうのだから。

どんな味を探しているのか?で

見つかる味も決めてある。もう、すでに。

探しているものを、

見つけつづけている。いまも。

内藤加奈子