真実と偽りの遊び

IMG_0660人間って

「見たいものを見ている」ものだな

と思います。

 

あの人はあんな人

この人はこんな人

自分はこんな人間

 

なんて具合に

 

「見たいものを見ている」

ことは

「見たくないものを見ていない」

ことでもあったり。

 

 

「思い込み」

なども同様です。

「見たいもの」=「信じていること」

であるとも言えます。

自分や、他人に対して

「そう見てきたこと」=「信じてきたこと」

が、偽りであったことに気がつくようなこともあるかもしれません。

そのとき

ギャップが生じます。

そのギャップが、痛みを生むこともあれば、喜びを生むこともあります。

いずれにしても

偽りに目覚めることが

真実に近づくことでもあり

またその真実ですら

「見たいもの」

でしかないのかもしれないけれど。

どうせ、一度きりの人生

本当に見たいものを

創造してみるのも。

痛みや、喜びの向こう側に。

今に痛みや切なさがあるのなら、あなたが見たいものは、そこにはないことの知らせなのでしょうから。

偽りすら真実であるとも言えるのでしょうけれども。

いずれにしても

楽しもう。

終わりは来るから。

自分を偽れば、偽りの世界に生きることになり

真実に在れば、ただの自分を生きられるから。

どちらかならば、そのほうが、楽なのだろうけど。

真実に立つために偽りを生きてみるという遊びなのでしょうから。偽らなければ真実は見えてはこないのでしょうから。

楽しもう。何もないこの世界で。

内藤加奈子