人間って
「見たいものを見ている」ものだな
と思います。
あの人はあんな人
この人はこんな人
自分はこんな人間
なんて具合に
「見たいものを見ている」
ことは
「見たくないものを見ていない」
ことでもあったり。
…
「思い込み」
なども同様です。
「見たいもの」=「信じていること」
であるとも言えます。
自分や、他人に対して
「そう見てきたこと」=「信じてきたこと」
が、偽りであったことに気がつくようなこともあるかもしれません。
そのとき
ギャップが生じます。
そのギャップが、痛みを生むこともあれば、喜びを生むこともあります。
いずれにしても
偽りに目覚めることが
真実に近づくことでもあり
またその真実ですら
「見たいもの」
でしかないのかもしれないけれど。
…
どうせ、一度きりの人生
本当に見たいものを
創造してみるのも。
痛みや、喜びの向こう側に。
…
今に痛みや切なさがあるのなら、あなたが見たいものは、そこにはないことの知らせなのでしょうから。
偽りすら真実であるとも言えるのでしょうけれども。
いずれにしても
楽しもう。
終わりは来るから。
自分を偽れば、偽りの世界に生きることになり
真実に在れば、ただの自分を生きられるから。
どちらかならば、そのほうが、楽なのだろうけど。
真実に立つために偽りを生きてみるという遊びなのでしょうから。偽らなければ真実は見えてはこないのでしょうから。
楽しもう。何もないこの世界で。
内藤加奈子