病める時も健やかなる時も

IMG_0665どんなときも

「己と共にあること」

なのだろうと思います。

悲しみのときなら

存分に悲しむことを許し

喜びのときなら

最大の喜びを許し。

それらを許さず

自分を押し殺したとき

他人から命(=時間やお金や愛や言葉など)を奪わんとするほどに欲し

渇望するのだろうと思います。

自分を殺すから

自分を生きることを

知り得るのでしょう。

それは意識して殺せる程度のものではなく、必然と、たとえば甘く目を閉じるように静かにそれはあなたを圧縮し、気がつけばあなたの湿度を奪い、乾き、涙すら流れないほどの。少しずつゆっくりとだから、自分でも無感覚であるほどの。それは長い時間をかけて。しかし解けるときはまるで魔法のように。朝には陽が昇るごとくに。必ず。あなたがあなたに約束したように。そして受け入れた闇すら光で包むように。溢れて止まらない温度は世界に浸透して。命が果てたあとまで。手を繋いだ鎖がらせんを描くごとくに。

どんなときも。

どちらのときも。

あなたが

あなたで

あるために。ただあるために。

内藤加奈子