どんなときも
「己と共にあること」
なのだろうと思います。
悲しみのときなら
存分に悲しむことを許し
喜びのときなら
最大の喜びを許し。
それらを許さず
自分を押し殺したとき
他人から命(=時間やお金や愛や言葉など)を奪わんとするほどに欲し
渇望するのだろうと思います。
…
自分を殺すから
自分を生きることを
知り得るのでしょう。
それは意識して殺せる程度のものではなく、必然と、たとえば甘く目を閉じるように静かにそれはあなたを圧縮し、気がつけばあなたの湿度を奪い、乾き、涙すら流れないほどの。少しずつゆっくりとだから、自分でも無感覚であるほどの。それは長い時間をかけて。しかし解けるときはまるで魔法のように。朝には陽が昇るごとくに。必ず。あなたがあなたに約束したように。そして受け入れた闇すら光で包むように。溢れて止まらない温度は世界に浸透して。命が果てたあとまで。手を繋いだ鎖がらせんを描くごとくに。
…
どんなときも。
どちらのときも。
あなたが
あなたで
あるために。ただあるために。
内藤加奈子