「可能性」のつくりかた

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誰かを見捨てていると
自分が見捨てられる可能性を生み

誰かを遠ざけていると
人から遠ざけられる可能性を生み

誰かを悪者にしていると
自分が悪者にされる可能性を生み

それは「恐れ」を生み出すのでしょう。

しかし

誰かを大切にしているから
自分が大切にされる可能性を生むのではなく

ここは、
相似形というのでしょうか。

自分を大切にしていると
人から大切にされる可能性を感じることができ

自分を馬鹿でも愛していると
人から馬鹿でも愛される可能性を感じることができ

自分を放っておけると
人から放っておいてもらえる可能性が感じられ

自分を丁寧に扱っていると
人から丁寧に扱われる可能性を引き寄せ

自分をそのまま生かしてやると
人からそのままを包まれる可能性を見出せる。

よく言われていることですが

他人に向かってしたことが
自分に返ってくるのであり

自分に向かってしていることが
他人から向けられることを歓迎できる

これを

「可能性」

と呼べるのであれば

わたしたちは常にそれを生むことのできる

アーティスト(創造主)であり

自ら描き出しているのが
今日という日であり

それでは

こんどは、

どんな、可能性を生み出しましょうか。

それを、どう描き出してみましょうか。

なんと、自分に問うてやりましょうか。

「悲しみ」や「恐れ」

または

それらを材料にした

「憎しみ」や「怒り」に操られて

誰かや自分と
断絶してしまうことよりも

「喜び」や「楽しみ」をもって

自分との深い繋がりを許すことで

あなたそのもの、を生きること。

しかし、それによって

求めずとも
誰かと距離が生まれるのならば

それは、
自然の作用というもの。

しかし
意識を持って隔たりを持つのであれば

そこには、何かしら
無理な力が働かされ

それも、自らに

返ってくる。

まるで、
流れゆく季節のごとくに。

わたしちは、生まれ、時を経て

芽吹きから
葉を増やし

花の時期を過ごし

散りゆく美しさを眺め

枯れて朽ちていく。

すべてのタイミングにおいて美しく

儚い。

それは、誰も止めることができず

ただ、時間のままに進行し

エネルギーの位置を変えながら
内包する温度と輝きはそのままに

ただ、枝を伸ばし、生きているのみ。

ならば、

ならば、

同じ季節を生きるのならば

今日を、なんとしましょうか。

どんな可能性を感じましょうか。

それはいつでも
あなたのなかに。

あなたが生み出せる
あなたが生み出しつづけている

どんな

「可能性」も

あなた自身が、生み出せる。

あなたは、どんな可能性を生んできましたか。
これから、どんな可能性を生んでいきますか。

内藤加奈子

・・・・・・

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写真は、子供と遊ぶ公園の空を見上げたところです。