わたしが学んだ「キラーコース(殺人的専攻)」と呼ばれるワークショップがあるのですが
アメリカの某大学の1学期分
40時間のカリキュラムを
5日間、
泊まり込みで学ぶというもので
「右脳」を使って
あらゆる物体を見て
ひたすら絵を描き
それをどう描いたのかを言語化する
という繰り返しが行われる
ワークショップがあります。
普段は使わない脳の領域を使うために
ものが細かく見えるあまり
バイクを運転している人が
ガードレールの細部が見えるようになり
それに見入って
事故を起こしそうになったり
電車で通う人が
線路に落ちそうになったりして
必ず泊まり込みで学ぶようになったという
わりと強烈なコースです。
もっとライトな反応だと
二日目の朝から
熱が出て起き上がれなくなる人や
わたしの場合は
脳(頭部)の血行が良くなって
顔が小さくなって
肌の色が明るくなったりして
なぜか
美容効果が出る人もいたりと
なかなか面白い講座なのですが。
…
その講座の先生は
いわゆる
IQが高すぎる人で
集中するあまり
何日も仕事をし続けてしまい
寝るのを忘れてしまったり
そのあと眠ると
2日間起きなかったりと
それが危険であるために
テレビ局や広告関係などの
有名企業を渡り歩くように仕事をしていたのをやめて
いまは、脳の専門家として
学会に出たり、講座をしたりしている
という、
60代後半から70歳代の女性で。
彼女の言葉で
記憶に残っている言葉は
いくつもあるのですが
一番印象的だったのは
「脳は、楽しくないと、伸びないんです」
という言葉で。
…
わたしたちは
苦労して
悩んで
困難を克服して
それが達成されたり
成功したりするものだと
思い込んでいないでしょうか。
おそらくそれは
日本の学校教育が影響しているものと
思われます。
興味もない数字の羅列
興味もない過去についての暗記
楽しくもないものを
必死で覚えたりして
その結果
「優秀な人」として評価されて。
勉強ができなければ
「問題のある人」として扱われ。
果たして、
どこに問題があるのか?
わたしたちは
1から5や、1から10といった
「他人が決めた指標」にのっとって
暗記が得意なら優秀な人
テストが100点に近いほど優秀な人
だと思い込まされ
自分は「能力がない」と決めつけ
自分を責めてみたり
場合によっては
自分の親からも責められてしまったり。
そんな教育
そんな刷り込みのなかで
20年あまりを過ごし
社会に放り出されたら
「自分で考えて動け」
そんなこと
学校じゃ、
ひとつも教えてくれなかったのに。
そしてさらに
自信を失って
自分を責めて。
…
だけど
あなたが「楽しい」と思うことなら
体が、動きませんか?
好きなものを選ぶとき
好きなものを食べるとき
好きなものを飲むとき
そこには、
なんの難しさもないでしょう?
話したい人と話すとき
話したいことを話すとき
そこでは
「もっと、もっと」と
体や口が、動くでしょう?
楽しいほど
体が自然と動くのです。
体を動かすために
脳が働くのです。
楽しくないことは
アイデアも浮かばないのです。
「脳は、楽しくないと、伸びない」のです。
あなたに才能がないから
あなたにできないわけじゃない。
あなたは、そのことに興味がないから
あなたにとって、楽しさがないから
それは伸びないのであって
あなたに能力がないから、ではない。
…
だけど
興味もないことを仕事にして
そこにやりがいを生み出そうと空回りしたり。
いいんですよ。
興味がないことを
仕事にしたっていい。
お金のために
働いたっていい。
お金って
「なんでも引き換え券」だもの
あっても邪魔にはならない。
「好きなことを仕事にしよう」
とかいうけどさ
人生のなかで
好きなことを混ぜこめたら
それで、良くないか?
「好きなことを、仕事にしなければ!」
とかって
また、
それをできない自分を責めるんじゃ
それ、意味なくないか?
とりあえずさ、
いま居る場所で
最大限、笑うんだよ。
その席に座ってるだけで
それが「ネタ振り」なわけ。
邪魔なあいつや
動かない上司
興味のない業務
全部「ネタ振り」。
振られたネタに対して
どんなオチがつけられるか?
そこがセンスでしょ。
生きるセンス。
面白くするセンス。
楽しむセンス。
どんな場所にいたって
腐ってたら、おしまいなのよ。
あいつのせいにして
腐ってるのは、楽なのよ。
被害を被って
被害者になっていれば
人生は、楽。
文句言って
泣いたり、悩んだりしてれば
死ぬ日が勝手に近づいてきてくれる。
こんな楽なことはない。
楽しもうとするほうが
手間がかかるんだよ。
だけど
自分を楽しませることを選び
そのとおりに体を動かし
それだって
体は疲れるんだけど
楽しいんだよ。
能動的に生きることは
手間がかかるけど
楽しいんだよ。
…
いまを楽しく生きるから
次の瞬間の自分も、それにつられて
笑うだけなんだよ。
いつか
だれかが
ああなってくれたら
愛してくれたら
これが手に入ったら
それから楽しむんじゃ
それから笑うんじゃ
遅いんだよ。
きっと、そのときだって笑えない。
笑うっていう「センサー」が
使えなくなってるんだよ。
鈍って、腐って
何が楽しいか
何が好きか
何をしたいのかさえ
感じ取れなくなっている。
いま、なんだよ。
いま、しかないんだ。
未来のためになんて
いまを塗りつぶしていたら
その色で
未来も塗りつぶされていく。
…
「楽しそう」に振る舞うことじゃないんだよ。
そんなの
ただの、嘘。
楽しそうにすること、じゃない。
つまんない自分を、笑うんだ。
舞台の上で、つまんなそうに生きている
そんな自分を
観客席から、笑うんだ。
そして、ヤジってやれ。
「なんか言えー」
「なんかやれー」
そのヤジに、
どう答えたら
面白いか?
ふて寝しても面白いかもしれないし
ヤンキーみたいに座り込んで
悪そうな顔しながら、
悪巧みの笑みを浮かべるのも
面白いかもしれない。
そうだよ。
人生という「場」は
「自分と自分」で、できている。
舞台で舞う自分を見て
観客席の自分が泣き笑いする
そんな幕が
今日も上がって、降りていく。
さて、
どんな脚本にしようか。
どんな役をやろうか。
どんなセリフを言わせようか。
そして
観客の自分に
何を感じさせようか。
…
これは
わたしの場合の
「人生の楽しみ方」です。
あなたとは違うかもしれないし
似ているかもしれないし
同じかもしれないし
わからないけど
なかなか、おすすめです。
自分に「ムチャ振り」して
それに「おいおいマジかよ…」って笑いながら
オチをつけて
今日も笑う。
一番面白い結末は、どうすることか?
一番笑えるオチは、どう着地することか?
そんなことを考えて
自分と結託して
自分と会議して
それをしている「いま」が
すでに楽しくて
笑えちゃう。
明日も、面白くなるって
信じられる。
それが
「自信」なんじゃないかなって
思います。
楽しむのは、手間がかかるけど
楽しいと、脳も働く
アイデアも、見えるものも
変わってくる。
人生が、変わっていく
のだと思います。
内藤加奈子
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