なぜ「感謝」すると人生はうまくいくのか?

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今日、私たちが
生きていられるのは

わたしたちを産んだ

「親」が居たおかげ。

その親たちが
生きて来られたのは

親の、親たちが
生きたおかげ。

焼け野原だった、
すべてが灰になった、
たくさんの人の亡骸が転がった、

何も無くなった土地で

食べるものもない
着替えもない

雨をしのぐだけの
家とも呼べないものの下で眠り

今日食べるものを探して

何とか命を繋ぎながら

生き抜いてきてくれた、おかげ。

自分は食べずとも

子供たちには食べさせ

親を亡くした子供たちは

生き延びるために

大人の靴を磨いて
小銭を稼いだり

無いところに
自ら仕事を生み出して

働いて
働いて

この

今の日本を
創ってくれた

その、おかげ。

たくさんの人たちの

汗と

喜怒哀楽と

生きてきた、証。

不満を言うその口も

人を批判的に見るその目も

悲観的に考えるその脳ミソも

もっともっとと欲しがりもがくその手も

あなたのもの、じゃない。

この体は

親の
親の

そのまた親たちが
創ったものであり

彼らが
彼女らが

生きて
生きて
死んでいった

そして、残したもの。

それを

ただ、借りて

使わせてもらっているだけ。

あなたのもの、じゃない。

あなたを創ったのは
たくさんの人たち。

あなたのその体は

たくさんの人たちの
生きた証。

生きた結晶。

わかりますか?

あなたは

ひとりではないのです。

あなたは

たくさんの人により
創られた命なのです。

たくさんの人が生きた
その証、なのです。

残念ながら

ひとりになど
なれないのです。

孤独になど
なれないのです。

あなたが恨んできた親も
あなたの体の中に居るのです。

あなたの細胞は

彼ら
彼女らから

もらったものだからです。

あなたの命が
あなたの存在が

彼ら、そのものなのです。

何を恨めるでしょうか?
何を憎めるでしょうか?

親を恨み憎みするということは
自らを恨み憎みすること、なのです。

恨み憎みする相手を

幸せになどしてやりたくないでしょう?

だから

あなたは
あなたに

苦しみを与え続けようとするのです。

あなたの押し殺そうとし続けてきたのです。

私たちは
生まれてすぐに

ある「術」を使い始めます。

「泣く」という「術」です。

泣けば、あらゆることが
叶えられました。

空腹も
排泄の不快も

すべて、
整えてもらえたのです。

泣けば

当たり前に

全てを、

誰かの手によって

整えてもらえたのです。

言ってみれば

私たちは

「傲慢」

そのものであったのです。

それは

歩くことも
話すこともできなかった命には

「生きる術」であったわけですが

「誰かがやってくれてあたりまえ」

という

「赤ん坊の傲慢さ」を持ったまま

大人になってしまっては
いないでしょうか?

あれが足りない
これが足りない

(満足に与えられてあたりまえなのはずなのに!)

もっとこうしてくれたらいいのに
もっとああしてくれたらいいのに

(全部やってくれてあたりまえだったのに!)

なんでわかってくれないの?
どうしたらわかってくれるの?

(なんでわからないのよ!)

どうして私を愛してくれないの?
どうしたら愛してくれるの?

(愛してくれてあたりまえじゃない!!)

どこまでやれば手に入るの?
どうすれば手に入るの?

(手に入ってあたりまえのはずなのに!)

どうして私を大切にしてくれないの?
どうしたら私を大切にしてくれるの?

(大切にされてあたりまえなのに!)

どうですか?

この傲慢ぶり。

あなたには

このような傲慢さが

少しもない、と言えるでしょうか?

これまで一度も
これまで少しも

不満を持たずに
生きてきたでしょうか?

わかりますか?

私たちが悩むのは

「傲慢」だからなのです。

愛されてあたりまえなのに
お金に困らなくてあたりまえなのに
健康であたりまえなのに

なのにどうして?

と、悩んでいるのです。

「与えられてあたりまえ」

という赤ん坊の傲慢さを

もう、赤ん坊ではないのに

その傲慢さを持ったまま

大人になってしまったから

悩み苦しんでいるのです。

いま、
生きているのなら

さあ、
その身体に感謝しなさい。

その身体をくれた人々に

まず、
感謝しなさい。

親に感謝しましょう…?

そんなもの

スローガンのように掲げること自体
おかしいのです。

親に感謝するなど
息をするのと同じことなのです。

その呼吸すら
親にさせてもらっているのだから。

親がくれた心肺と
親がくれた神経が

させてくれているのだから。

だから、

あなたは

ひとりになどなれない。

孤独になど、なれないのです。

その身体がある限り

私たちは、繋がっているのです。

そうです。

わたしたちは、

いわば、

大きな家族

のようなものなのです。

はじめて会う相手すら

遠い遠い過去には
同じ親から生まれているのです。

いわば

「他人」など

存在しないのです。

それでもあなたは
孤独だと言えるでしょうか?

誰かから差し出されない手に
不満を抱くでしょうか。

自分からは差し出さない
その手の傲慢を

まだ知らぬふりをして

誰かに求め

与えられないことに苦しみ

頑張っている?

などと

自分を慰め続けますか?

「親への思い」と
「あなた自身への思い」は

切っても切り離せないものなのです。

親を憎むのは
自分を憎むのと、同じことなのです。

赤ん坊の傲慢さを捨て

この身体を与えられた
この命を与えられたことに

まず、感謝するのです。

不満を言うその口も

人を批判的に見るその目も

悲観的に考えるその脳ミソも

もっともっとと欲しがりもがくその手も

あなたのもの、ではないのだから。

私たちは

一人じゃない、のだから。

あなたは、ひとりじゃないから。

内藤加奈子

 

追伸
私もつい最近まで、すさまじいまでの傲慢さを持って生きていました。いいえ、まだその傲慢さは、時おり顔を出します。

どれだけ人に大切にされても、どれだけ愛されても、「ない」ほうに目をやり、それを現実として握りしめて生きてきました。

親はもちろん、愛してくれた、大切にしてくれた全ての人に詫びる気持ちでおります。この気持ちを感謝と呼ぶのだと思います。

過ちに気がつき、感謝する。

私は人前でマイクを握って話したり、本を書くような仕事もさせていただいていますが

人一倍、失敗し、
過ちを生きてきたこと

それを、
感謝をもってお伝えし

あなたの何かにお役立ていただくことが

使命だと思っています。

今日も一段と長いブログに最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

あなたが

あなたで

在るために。

よろしければ、今日をご一緒に。

いつもシェア、フォロー、ありがとうございます。拝読しています。


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