わたしは、
コンサルタント業をしているのですが
どのクライアントさんも
いつも私の帰宅時間を
気遣ってくださいます。
「保育園のお迎えは?」
「気を遣わないでくださいね」
独身の女性も
一家の主人である男性も
時間を与えてくださることで
私の子育てを助けてくださいます。
それはまるで、
大きな家族のように
間接的に
子育てを手助けしてくださるように感じるのです。
こうやって
他人の子供でも
誰の子供でも関係なく
社会全体で
誰もが
「子育て」をしている
とも言えると思うのです。
自分は結婚していない…
自分は子供を産んでいない…と
自分の人生に
「不足」を感じている方がいらっしゃいますが
誰もが「子育て」をすることができますし
誰もが「大きな家族の一人」であると
思うのです。
…
子育てだけでなく
互いが、心地よく暮らす
互いが、心地よく生きる
そのために
まずは
「自分」が心地よく生きる。
そのために
「自分」を裏切らない
「自分」の期待に応える。
(裏切った自分を悔いて許し、期待に届かない自分なら、それを労いながら)
そうすることで
「自分」に感謝され
「自分」に祝福され
「自分」との関係が回復し
あなたが心地よく生きることで
「余裕」が生まれ
「誰か」への配慮が自然と生まれる。
…
「ますば自分」
というのは
「そういうこと」なのでしょう。
わたしも、
みなさんに助けていただいて
仕事をすることができて
子供に食べさせることができて
いっそう、
仕事でベストを尽くそうと
パワーがわいてきます。
パワー、といっても
みなさんから頂いたものですが
またそれを
お返しすることができる。
悲しみを思い起こす日も
辛くて前が見えない日も
忘れないでくださいね。
あなたのそばには
あなたを助けてくれている人がいます。
「わたしには、そんな人いない!」
と思う日もあるかもしれないけど
必ずいます。
あなたは誰かに支えられて
生きている。
たとえば私なら
仕事のクライアントさんや
スーパーマーケットのご主人や
マンションの大家さんや
助けてくださる人たちに
支えられて暮らしています。
私には、
姉妹もいませんが
まるで姉のように助けてくれる女性や
双子の姉妹のように語り明せる友人たちがいます。
私も、過去には
「どんなにか不幸な、恵まれない人間なのだろうか」
と卑下したこともありましたが
そのときも
恵まれていたのです。
あらゆる人に助けられて
日々を暮らしていたのです。
…
あなたも、あなたの世界を
見渡してみてください。
有ることが当たり前ではない
有難いことに
囲まれて暮らしていることを
実感できるとおもいます。
お店に並んでいる食べ物は
作る人
運ぶ人
並べる人
売る人
様々な人の手によって
あなたの食卓に届けられます。
あらゆるものは
当たり前ではないのですよね。
「ありがたきこと」が何層にも折り重なり
その上で
あなたが生きているのです。
…
自分一人で
孤独に生きていると思い込んでいる人も
生きている限り
一人になんて、なれないのです。
孤独だなんて
傲慢な話。
息をしているだけで
誰かの加護を受けているのです。
それらに有り難さを感じないから
孤独だと勘違いしているだけ、なのです。
仕事があるから
上司に不満を感じることができ
家族がいるから
家族のことで悩むこともでき
買い物ができるから
品物の良し悪しを思うことがあり
着ることができるから
着るものに悩むことができる。
いつも
わたしたちは
だれかのおかげで生きている。
だから、安心して
だから、有り難さのなかで
そのぬくもりを感じて
優しく、生きていい。
一人じゃないよ。
あなたが
あなたを
責めるのをやめたなら。
あなたが
あなたの
絶対の味方についたなら。
情報に惑わされて
自分に足りないものを
見つけたような気になって
無いものを
有るように見せることに
躍起になった日もあったかもしれないけど。
わたしたちは、
家族みたいなもの。
同じ雲から降ってきた雨粒。
同じ土に染み込んで
川から海へ流れ
また同じ雲になるだけ。
一人じゃないよ。
内藤加奈子
追伸
ここで、あなたと繋がれていること
有難うございます。
今日もこんな長いものを読んでくださって
ありがとうございます。