物理的、
科学的に、
「現実」を創り出しているのは
「自分」以外の誰でもなくて。
…
ご主人に不満、ありますか?
彼氏に不満、ありますか?
会社への不満、ありますか?
人間関係に不満、ありますか?
「あの人が、ああだから」
「この人が、こうしてくれないから」と
「人のせい」
にしているのは
「自分にはどうしようもない領域がある」
と諦めて
地図を捨て、
靴を脱ぎ捨て、
天を仰いで
天に向かってツバを吐き
天に向かって石を投げているのと、
同じ。
そのツバが、
あなたの顔めがけて落ちてきて
あなたの顔を汚すのも
その石が、
あなたの体めがけて落ちてきて
あなたの体を痛めつけるのも
「それはあなたがしたことだから」
なのであって。
・・・
「あの人がわかってくれない」
「この人はいつもこうだ」
そう言い続けていることで
(そう観測し続けていることで)
さらに、その現実は
「確定」するのです。
あなたが
「そう見ているから」
(そう見たいから)
その現実は確定し続けるのです。
なぜ、あなたが
その人を「そんな人」だと見続けていたいのか?
そこには
「壮大な勘違い」があるのです。
…
「セルフイメージ」
という言葉を
ご存知と思います。
「自分はこのような人間だ」と、
「自分が認識している自分」
のことを指します。
その「セルフイメージ」は
あなたが生まれたときと
あなたが生まれてからしばらくの間に
あなたの、
いわゆる「潜在意識」のなかに
埋め込まれます。
…
すべての人が抱えている
『トラウマ』
があります。
『バーストラウマ』
というものです。
わたしたちは
ただ産み落とされただけなのに
「お母さんに見捨てられたのではないか」と
「勘違い」するというのです。
10ヶ月もの間
あたりまえに一体だったお母さんから引き離されて
自分が処置を受けたり
お母さんが体を休めたりしていた時間が
不安でたまらなくて
恐怖でしかなくて
「もうお母さんに会えないのか?」
「お母さんに嫌われたのではないか?」
と
「勘違い」するというのです。
(帝王切開だった方、お母さんが入院していた方などは、さらにその度合いに特徴が出るようです)
そして
その「勘違い」を抱えたまま
わたしたちは
見知らぬ世界で生き始めます。
お母さんの姿が見えなくなれば
怖くて不安で泣くのです。
しかし、赤ちゃんも
言葉を「エネルギー」で聞き取ることができるので
「ママはそばにいるよ。もう少ししたら来るからね」
などと声をかけてもらえれば
安心した様子に変化するといいます。
しかし、
おかあさんは
おかあさんをやるのが初めてで、
泣いたら抱っこ
泣いたら抱っこ
と、対応してしまいがちとなります。
たしかに、
ミルクやおむつ
暑い寒い、の温度調整など
赤ちゃんが自分でできないことを
世話してやることは必須です。
それらの世話をしてもらうために
泣いて知らせて
周りの人にやってもらうことが
必要になります。
しかしそこで、
赤ちゃんだったわたしたちは
「傲慢さ」
を身につけたのです。
「泣いたらやってもらえる」
「やってもらえてあたりまえ」
「自分ではできない」
「やってもらえばできる」
さらには、
『自分は無力だ』
という「勘違い」を持ったまま
大人になってしまうのです。
…
さて
最初のお話に戻ります。
夫への不満
会社への不満
人間関係の不満
不満が出るのは
「泣いたらやってもらえる」
「やってもらってあたりまえ」
という「傲慢さ」や
「自分ではできない」
「やってもらえばできる」
という「勘違い」があるから、
だとしたら
あなたは、どう感じますか?
そして、
「あの人に嫌われたくない」
「あの人に愛されたい」
そんな
「不安」や
「不足感」の元(もと)が
あなたが生まれた日に
お母さんの体から、
ただ生まれただけなのに
「お母さんに嫌われたんじゃないか」
「わたしはひとりぼっちになるんじゃないか」
と
「勘違い」したのだと知ったら
あなたは、どう感じますか?
「やってもらえてあたりまえ」
だと信じているならば、
やってもらえないとき
わかってもらえないとき
絶望するでしょう。
「人から嫌われているのではないか?」
と疑ってきたならば
人が思うような反応をしてくれないとき
だたその人と縁がないだけだったとき
やはり絶望してきたでしょう。
その「大小の絶望の経験」を
成長の中で積み重ねてきたあなたは
「わたしは、なにかしてもらえない人間だ」
「わたしは、愛されない人間だ」
という「セルフイメージ」を
固めてきたかもしれません。
それと同時に
「わたしの周りの人は、何もできない人間だ」
「わたしの周りの人は、わたしを大切にしない人ばかりだ」
と「観測」するため
そのような「現実」を確定し続けてきたかもしれないのです。
(いつも話が長いのですが、今日はこのへんが折り返し地点です)
…
あなたが
どんな本を読んでも
そこから
どんなテクニックを身につけても
現実が変わらなかったのは
この
『壮大な勘違い』を
ただ、知らなかったから
だた、それだけ、ではないでしょうか。
「バーストラウマ」を取り扱わずして
どんなことを身につけても
「ある程度」の結果に留まってしまう人が少なくないのは
自然なことです。
そして
「ある程度」であるがゆえに
さらなるテクニックを
学ばなければならなくなります。
もしも、
必要なテクニック(工程)
があるとするならば、
あなたが
あなたの「勘違い」を認め
その「勘違い」から引き起こした現実を悲しみ
きちんと悲しみ
きちんと苦しみ
「勘違い」からではあったけれども
そこで感じた「黒い想い」を
そこで感じた「恨み」を
「あいつのせいだ」
「あいつが悪い」
ときちんと恨み
あらゆる間引きしていた
あらゆる感じないようにしてきた感情が
体のなかに蓄積していたものを
まじまじとみつめ
自分に対してのみ
それを吐き出し
あらためて泣いて、
あらためて苦しんで
(このとき、相手に伝える必要はまったくありません。自分が感じること、のみが必要です)
そのうえで、
「その現実は、すべてわたしが創り出したのだ」と認め
そこで感じたすべての感情は
自分が誰かに感じさせていたものが
戻ってきただけのものだと
刈り取りること。
誰に感じさせていたものなのか
思い浮かんだのなら、その人に
心の中で「ごめんなさい」と謝罪すること。
誰なのかピンとこなくても
自分が吐いたツバなのだ
自分が投げた石なのだ
と引き受けること。
どちらも、
真実だからです。
あなたが泣いて苦しんだのも、事実。
あなたのツバで石だったのも、事実。
両方の真実を
クリアに、引き受けるのです。
その工程の繰り返しでのみ
わたしたちは
生き方を改め
自分を自分で育てていくことが
できるのです。
…
わたしたちは
もう赤ちゃんではありません。
泣けば、苦しめば
誰かが動いてくれた
そんなのは
必要ないのです。
自分で、すべて
選んで
動くことができるのです。
会社が不満なら
行かないことも選択できます。
それでも行くことを選んでいるのは
あなたです。
あなたが風邪で休んでも
病気で入院しても
お給料を保証してくれて
社会保険料も半分負担してくれているのは
会社です。
それは「事実」です。
「ありがたい」ではないですか?
ご主人に不満があるのなら
離婚することも選択できます。
それでも共に暮らすことを選んでいるのは
あなたです。
どんな夫でも
あなたが住んでいる家、
あなたが食べている食事
それを賄ってくれているのはご主人です。
共働きであっても
その家計の半分を支えていてくれているのは
ご主人です。
それは「事実」です。
「ありがたい」ではないですか?
失くなってから、わかるのです。
それも、よいと思います。
それでわかることがある、のも
「経験のしかた」のひとつです。
すべてに
「よい」
「わるい」
はありませんから。
どれを選んでも
あなたは、
気がつく方向に導かれます。
それは
物理的に
科学的に
そう、だからです。
だけれども
これまでと同じ悲しみを繰り返したくないなら
これまでと同じ苦しみを繰り返したくないなら
「別の道」があります。
根本の根本にある
壮大な『勘違い』を解くことです。
今までと同じように
苦しんで、失って、
学ぶこともできます。
もしくは、
「勘違い」を解いて
自分の体内に蓄積して
見ないふりをしてきたものを見て
七転八倒しつつも
自分の体内を自分で掃除し
そのゴミは
自分が溜めてきたものだと引き受け
自分の手で、粛々と
ゴミの日に集積所に出していき
もしゴミを拾っても
家のなかで見つけても
もうあなたは
自分で片付けて
自分で掃除する。
生きている限り
苦しまないなんてないし
泣かないなんてないでしょうから。
だけど
片づけが上手になる
掃除が上手になる
そして
どんな汚れを見つけても
どんなゴミが出てきても
自分の手で
それを処理して
快適に暮らすことができるようになる。
ゴミを捨てた犯人を探さず
(自分だから。笑)
ゴミを拾ってくれる人を待たず
(自分で拾えるから。笑)
それを
「自立」
と呼ぶのです。
内藤加奈子
追伸1:
なんて、書いてるわたしも、自立することへの取り組みを繰り返している真っ最中です。私を含め、経済的には自立していても、精神的に自立していない大人は多いものです。しかし、すべては自分が創り出しているのだということをしくみとして理解してからは、とても思考がクリアになり、自分が何をすべきなのかに集中することができ、余計な思考に時間を使わなくなりました。人生の時間は有限。誰かのせいになどしている暇はない。自分で創りだしていくことの楽しさ、そこでは何が起こっても「なぜこんなことを自分は望んているんだろう?笑」と、なんだか、笑えてしまいます。笑いながら、しかしその、自分が引き寄せた現実をそのまま引き受けながら、自分の喜怒哀楽を自分で引き受けながら、着実にその先へと、構築的に生きて行くこと。それこそが「願いを叶える」生き方なのだと思っています。
追伸:2
「バーストラウマ 」についてもっと知りたい方は、専門家である河間 恵さんの「チャイルドセラピスト講座」がおすすめです。子育てしている方向けのようで、実は大人が「自分を育て直す」ための講座でもあり、彼女の講座は、いつもは平日がメインですが、10月27日(土)スタートのコースがあるそうです。
https://grace11.com/course/1155
写真は、ただ可愛いうちの犬です。