セックスに依存する人。どちらでも、の人。

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今日のお話は
「自分はセックスに依存していない」
という方でも

結婚したい…
恋人が欲しい…
彼氏から連絡がこない…

などとお悩みの方にも
共通してお読みいだたけると思います。

男性でも
女性でも

セックスに依存する人がいます。

絶えず、人の体温に触れていなければ
絶えず、性行為に及ばなければ

不安でならない
寂しくてならない

そういう人々がいます。

わたしのセッションにも
いらっしゃいます。

ほとんどの方に、育っていく過程で、

親に対して

「不満」があるという共通点があります。

「不満」というのには
様々な要素が含まれます。

親に批判された…
親が守ってくれなかった…
親が不仲で寂しい思いをした…

などが主となりますが、たいていの方の場合、

その「不満」
その「悲しみ」を

親に伝えたことが

ないと言います。

「察してほしかった。」
(察してくれてあたりまえだ(親なのだから))

「言わなくても、子供の心を理解できるだろう。」
(言わなくても、子供の心を理解できて当たり前だ。(親なのだから))

というような

「怒り」

を抱えたまま、
大人になった、子どもたち。

「怒り」の原材料は
「悲しみ」です。

「悲しみ」が、やがて時間を経て
「怒り」へと熟成していきます。

また、

彼ら、彼女らの言い分には

「ある特徴」

があります。

それはシンプルに言うなら、

『依存』

です。

たとえ、親であっても、

言葉にして伝えなければ
わかりあえないことがあります。

「親なのだからわかってくれて当たり前」

というのも、

親にしてみれば
酷なものなのです。

あなたを食べさせるために働き
あなたの学費を稼ぐために働き

ようやっと帰った自宅で
頭や体を休めているのが

親なのです。

親がエスパーや
霊媒師でもない限り

言葉にして伝えなければ
お互いにわかりあえないこともあるのです。

…ですが、

親が、神経をフル稼働して
それこそ、エスパーのように

あなたの状況を察して
動いてくれた時期がありました。

あなたが
「赤ちゃん」だった頃です。

あなたは、

言葉も話せず
空腹を知らせることもできず
自分でトイレにも行くこともできず

ただ「泣く」ことしか、できませんでした。

その泣き声から察して

この子はお腹が空いているのか?
この子はオムツが気持ち悪いのか?
この子は寒い(暑い)のか?と

あれやこれやと手を尽くして

「不快」を「快」に

変えてくれたのです。

そしてわたしたちは

ある意味

『傲慢さ』

を身につけます。

「泣いたら快適にしてくれる」というのが
「当たり前」なわけですから

親や大人を

『召使い』

のように思うのだといいます。

そして、

言葉を話せるようになっても
自分でトイレに行けるようになっても

「不快」を感じた時は
親に依存するのです。

「今すぐ快適にしてよ!」
「あの頃はやってくれたじゃない!」

と、泣いてわめきます。

「あのおもちゃを買ってよ!」
「行きたい場所に連れて行ってよ!」

親も、できることはやってやれますが
すぐにはできないこともあります。

そして、

不快なままにされたときは

なんと、

親を「恨む」のです。

そして

「わたしは愛されていないのだ」
「ぼくは愛されていないのだ」と

『勘違い』

するのです。

これらの記事に詳しく書きましたが

関連記事:
「自立」〜願いを叶える生き方〜
楽しく生きたいなら〜「無力な被害者」を卒業すること
わたしたち
すべての「元(もと)赤ちゃん」は

『勘違い』

をしたまま育ってしまいます。

お母さんから
産み落とされただけなのに

「お母さんに嫌われたのではないか?」
「お母さんにもう会えないのではないか?」

と、勘違いするのだといいます。

その勘違いは、いわゆる
「潜在意識」に深く入り込みます。

そのまま、先にお話しした
「勘違い」を重ねて育つのですから

悲しみ尽くして、
それを怒りに変えて

親を恨んでも、
仕方なかったかもしれません。

さらには、

「断乳」がスムーズでなかった男性ほど
強烈に女性を求めるともいわれています。

唯一のごちそうであり、
おかあさんとのつながりであり、

安心を確認できる時間だった「おっぱい」を

ある日、突然に奪われて
二度ともらえないのです。

強烈な依存に至っても
無理もないでしょう。

「自分は愛されない人間だ」
「安らぎはいつか去ってしまうものだ」

そんな思い込みを
意識の95パーセントを占める部分に

根深く棲みつかせたまま
大人になった人が

男性や女性に
依存的なまでのつながりを

肉体的なつながりを求めるのは
自然なことではないかと思うのです。

セックスの最中は
まるでお母さんの子宮のなかにいるような

あたたかさを
疑似体験できるのですから。

物理的にも
子宮にアクセスできるのですから

依存して自然であるともいえます。

ですが

彼ら、彼女らは

どんなに沢山の肉体関係を持っても
安らぎを感じることはありません。

「自分は愛されない人間だ」
「安らぎはいつか去ってしまうものだ」

このような『勘違い』を持ち続ける限り

いつも不安で

それをかき消すように
仕事に打ち込んだり

それから逃げるように
異性を求めなければならないのです。

しかし、

重要であり
安心していただきたいのは

このような不安は

『勘違い』

が元になっている、ということです。

あなたが声にして
その寂しさを親に伝えたなら?

あなたの勘違いは
その日に溶けたかもしれません。

そして、それ以上
勘違いを積み重ねずに済んだかもしれません。

親でも、誰でも、自分に対してでも

「そのように観測」した瞬間から
それは現実になります。

赤ちゃんのころの
「あたりまえ」を捨てて

自立的に、
自律的に、

言葉にして、
自分の手足を動かして

伝えたいことを
相手に伝え続けたなら?

欲しいものを
自分自身に与えたなら?

いつまでも

「誰かからもらわなければならない」ものがあるという「勘違い」から

自分自身を
解き放ったなら?

あなたは、その日から
あなた自身を、あたためることができる。

あなた自身の、体温で。

あなたは多くのセックスを
してきたかもしれないけど

それは誰かと
愛し合ってきたのではなく

相手の体温を
奪い続けてきただけだった。

だからあなたは、
誰かの体温がないと

凍えてしまう恐怖に
怯えていた。

だからあなたは
数多くのセックスを求めてきた。

だけど、

自分自身の体温で
自分の体や心を温めると決めたその先で

初めて、あなたは

人と温度を分けあうことができる。

それが

『愛し合う』

ということです。

それが叶った世界では
奪うも奪われるもなく

ただ居るだけで
与え合うことになる

もはや、体を使った
物理的な接触すら

どちらでもよくなる世界。

そんな世界に暮らすことが

あなたが望むなら

今日からでも。

いつからでも。

遅くは、ないのです。

 

内藤加奈子

 

追伸:「恋」とは、「不快を快に変えてくれそうな人」にするのだと言います。いわば、「お母さんの代わりを求めるのが、恋。愛とは、何かをしてくれることを求めるのではなく、お互いが居るだけで拡大していくもの。あかちゃんの「恋」をして居る限りは、奪い合いと不安の世界。「愛」を育てるのなら、相手がいてもいなくても、自分との間にそれを見出すこともできるのです。あなたが、そこに生きているだけで。

内藤加奈子個人セッション

 

子供の心理についての出典元:「チャイルドセラピスト」

(写真は、久しぶりに行った大好きなカフェで。パンケーキ、目玉焼き、好きなものばかり。息子も完食。ごちそうさま。)img_2832-1