なんとなくさみしい…
なんとなくむなしい…
なんとなく満たされない…
そんな感覚を味わったこと、
ありませんか?
そこには
「完璧主義」が
潜んでいる可能性があります。
・・・・・・
「頑張りやさん」な方に、
多いように感じます。
「頑張りやさん」には、
病気になるまで
仕事をするような方が
多くいらっしゃいます。
1つのことに
没頭しやすいため
「成果」や「評価」を
手にする方が多いのですが
どんなに
人よりも秀でていても
どんなに
人より仕事量をこなしても
どんなに
人より評価されても
自分を、
認めてやることができずに
苦しんで
いらっしゃることがあります。
「もっとやらないと!」と
どこまでも、
心が安まることが
ありません。
心が安まらなければ
体も休まりませんから
その辛さを、
「何か」で
ごまかさなければ
ならなくなります。
買い物依存や、
仕事依存、
もしくは、
食べること(過食・拒食)で
何とか和らげよう、
となさる方も
多くいらっしゃいますが
それでも
休まることはないのが
何ともいえず
苦しいものです。
・・・・・・
自分に「完璧」を求める人は
他人にも「完璧」を求めます。
そのため、
表面的には
社交的でも、
心を開ける友人が
ほどんと居なかったりします。
(わたしはそうでした。)
心の奥底の、
「無意識」に近いところで
「この人はどのくらい完璧か?」と常に
「メジャーメント(計測)」しているので、
気が休まりません。
誰かを、
「メジャーメント」している間じゅう
それと同じ
「ものさし」で
自分のことも
「メジャーメント」しているので
常に、
他人や自分を
「注視」していなければならず
安らげる瞬間を
見つけることができないのです。
・・・・・・・
そこでは、
「比較」が
必要になります。
あの人よりも
この人のほうが信頼できる
あの人よりも
自分のほうが頑張っている
そうやって
「相対評価」でしか
「何かを決める」ことが
できない、
不安な状態になります。
そして、
とても辛いことに
あの人よりも
自分のほうが頑張っている
『のに』
という、
『見返り言葉』を
吐くことになります。
わたしは頑張っている「のに」
あの人は同じように頑張らない
そんなふうに、
他人を低く見積もり
それによって、
自分が低く見積もられることを
極度に、
恐れるようになります。
嫌われないかどうか…
愛されているのかどうか…
その「不安」と「恐れ」を原動力にして
さらに「頑張る」わけですが
この頑張りには
終わりがないのです。
人によっては、
病気を繰り返して、
物理的に
精神的に
「頑張れない状態」
になってはじめて
その生き方を
見つめるに至る
そのようなケースも
少なくありません。
・・・・・・
では、なぜ
「完璧主義」に
至ってしまうのか?
それは、
「子どもの心理」からいくと
親に対して、
「完璧」な「世話」を求めてきたから
だといわれています。
赤ちゃんのころは
泣けば、
すぐに駆けつけてくれて
泣けば、
すぐにおっぱいをくれて
泣けば、
すぐにオムツを替えてくれて
泣き止むまで、
眠りにつくまで、
抱っこし続けてくれたことで
人生のはじまりの時期を
「完璧にケアされる」のが
「あたりまえの状態」で過ごすために
わたしたちは
「傲慢さ」
を身につけてしまったようなのです。
さらには、
親を「召使い」のように
思うのだといいます。
そして、
親を見下すのだといいます。
あなたは、
そういう感覚は、
ありませんか?
少しも、
ありませんか?
親よりも
自分のほうが優れている
という「比較」こそが
「完璧主義」であり
「傲慢さ」の証拠でもあるのです。
・・・・・・・
赤ちゃんのころは
物理的に、
何もできなかったので
泣いて、
世話をしてもらわないと
生命を維持することに
危機を感じたわけですから、
泣くことで知らせて
全てやってもらわなければ
ならなかったわけですが
だんだんと
2歳、3歳と
成長していくなかで
「自立」を促すために、
「自分でやりなさいね」と
「完璧な世話」だったのが
「一部の世話」に変わっていきます。
そのとき
わたしたちは
「親を恨む」
のだといいます。
今までは
泣けばわかってくれて
何だってやってくれたのに!!!
と、
「自立」を促してくれた親を
「逆恨み」するのです。
その「恨み」の「メガネ」で
親を「観測」したとき
親は、まるで
「自分を見捨てる悪人」
のように見えたでしょう。
量子力学的には
「観測」したとおりの事象を
わたしたちは
「現実」として
「採用」することになりますから
わたしたちは
「誤解」であり
「事実ではないこと」を
「現実」として
カウントしてきてしまった
といえるのです。
(今日はとくに話が長いですが、ここらへんが折り返し地点です。
・・・・・・・・
大切なので、
2回言います。
「自立」を促す、ということは
「愛」以外の何ものでもありません。
親である自分が
いつかこの世から去る、
その後も、あなたが
自分の手と足を使って
自分で人生を創っていけるようにと
何でも自分でできるように、と
自立を促してくれたのです。
もう一度言います。
「自立」を促したのは
「愛」以外の何ものでもないのです。
「完璧な世話」から
「一部の世話」に移行した
それを
「恨み」の「メガネ」で観測し
「ひどい親」であると見たかったのは
あなたに
絶望、があったからです。
「この世に生まれた絶望」です。
このブログでも
最近はこの話が多くなっていますが、
「子宮」のなかは、それこそ
「完璧」で
37度くらいの、
快適な温度で
呼吸をする必要もなくて、
食べる必要もなくて、
空腹という不快も
排泄の後の不快も、感じない。
「自分は何もしなくてもいい」
「全部、おかあさんがやってくれる」という
「完璧」な環境。
ある日、そこから
この世に生まれてきたとたん、
突然、
温度が変わり、
息を吸うなんて
初めてのことで
苦しくて
わけがわからなくて
「おぎゃーー、おぎゃーーーー!!!」と
泣きじゃくり、
お母さんの声は遠くなり
どこにいるのかわからない…。
自分は、
赤ちゃんだけの部屋に連れて行かれて
処置を受けながら
もう二度と
お母さんに会えないのではないか?と
「誤解」し、
「絶望」したのです。
赤ちゃんは
生まれてから
泣きに、泣きますが、
苦しくて、
不快な世界に移動させられて
「早く子宮に戻してよ!!!」
とも、
泣き叫んでいるのだというのです。
・・・・・・・
「ありのままの自分」
のような言葉が
流行しているように思います。
ですが、
この言葉こそ
「誤解」されているように思います。
「赤ちゃんのままの自分」で
自分は何もせずに、
子宮のように
快適さを提供してくれる
お母さんのように
完璧な世話をしてくれる
そんなコミュニティや
そんな異性を求めて
さまよっている人が
多いように思います。
「ありのままの自分」というのは
ほかでもない、
いま、そこにいる
あなた、のことです。
自分が大人になってまで
親に完璧(な世話、理解、肯定)を求め
親の愛を「誤解」したまま
親を「悪者」にし
親を「逆恨み」し
「あの頃、自分は寂しかった」などと
「毒親」などという言葉まで
流行しているようですが、
親は、
必死であなたを育てたのです。
大事で
大事で、
愛おしくて
愛おしくて、
自分の命に代えても守りたい
あなたという「命」を授かり、
自分の人生だって
誤解に満ちている(人が多い)のに
はじめての育児なんて
わけがわからず
食べさせて、
不潔にしないことで精一杯で、
まるで
決して落としてはいけない
「お手玉」を投げては受け取るように
日々の生活を
まわしていく。
兄弟、姉妹がいれば
その「お手玉」の緊張度は
さらに増していき、
余裕なんて、ない。
必死で、
毎日、毎日、
あなたに風邪をひかせまいと、
あなたに少しでも栄養を摂らせようと
「お野菜も食べなさい!」
「早くお洋服を着なさい!」
「早く寝なさい!!」
あなたへの愛の分だけ
厳しさも増したかもしれません。
あなたの親だって
人生を必死で生きていたのです。
いまのあなたと
同じように。
・・・・・・・・
親を誤解し
親を恨んでいる限り
あなたが
あなたを
幸せに導くことは
ないのです。
あなたが
100%幸せな状態になってしまったら
それは
「親孝行」
になってしまうからです。
親への恨みを
晴らすためには
あなた自身が、
不幸であり続けなくては
ならないからです。
無意識的に、
いつも足りないほうを選び、
いつも不幸でいられそうな方を選び、
足りないから頑張り、
不幸から逃れようと頑張り、
完璧でない自分を罵り、
自分を痛めつけ
そんな姿を
間接的にも、
親に見せつけているつもりでいる。
そんな人生、
まだ、続けますか?
また、続けたいですか?
人生100年時代に、
残りの何十年もをかけて
自分を不幸にし続けたい、ですか?
・・・・・・・・
どんな理論を学んでも
どんな目標を立てても
どんな夢を描いても
あなたが
「途中まで」しか到達しないのは
あなたが
「そこ」にたどり着けないのは
あなたが、
なんとなくさみしい…
なんとなくむなしい…
なんとなく満たされない…
という感覚に
何度となく
襲われ続けてきたのは
その感覚から逃れるために
仕事や
異性や
お金や
買い物や
食べることに依存して
こんなに頑張っている「のに」と
誰にも見られない場所で、
こっそりと、
涙をながしつづけてきたのは、
なぜなのか?
もう、おわかりですね。
おかえりなさい。
誤解を終えた世界へ。
「メガネ」を外した
「ありのままの視界」へ。
辛かったね。
寂しかったね。
よく頑張ったね。
よく頑張って、生きてきたね。
読んでくださって、ありがとう。
内藤加奈子
内藤加奈子の個人セッション
(あなたの誤解を解き、自立的に自分を育て、望む人生への最短距離を歩く道しるべを提供しています。
今日の写真は、青山霊園の上空。夕暮れ。
※「子どもの心理」についての記載は「チャイルドセラピスト」からの出典です。
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