願いが叶う人。叶わない人。

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「願いが叶わない人」がいます。
「願いが叶う人」がいます。

しかし、

どちらの人の願いも
「叶って」います。

・・・・・

それは、

「願いが叶わない人」

がいるのではなく

「願いを叶えたくない人」

がいると言えます。

すべてが
うまくいって、

手放しで喜べる現実が
欲しいのに、

わざわざ

それを阻害するような人を
創り出します。

幸せになりたくない、からです。

・・・・・・・

なぜ、
幸せになりたくないのか?

答えは、
実にシンプルです。

わたしたちは
生まれた日に、

「絶望した」からです。

子宮の中は
このうえなく「幸せ」だったのに

ある日、突然
生まれ落ちたこの世は

母親の体温を
感じられなくなり…

母親の声が
遠くなり…

そのとき

「おかあさんに、嫌われたのじゃないか?」
「おかあさんに、見捨てらたのじゃないか?」

という「誤解」ではありながら
その、「恐怖」を味わうのと同時に

「水」の中にいたのを
「空気」の中に放り出され

それは

今のわたしたちが

突然、
水の中に投げこまれたかのように

苦しくて
苦しくて

たまらない。

だから、

「オギャーーーー、オギャーーーー」と

泣き叫んで

「早く戻して!」
「さっきいた場所(子宮)に戻して!」と

泣き叫んでいた、のです。

苦しくて
寂しくて

「恐ろしい場所」。

それが「この世」。

そう「誤解」しても
無理もなかったはずです。

まっさらな
意識の構造の中に

その

「恐ろしい場所」という
「絶望的感覚」は

深く深く入り込み、

それに
追い打ちをかけるようにして

母親とは
別の部屋に連れて行かれ

場合によっては数時間も
人によっては、数日、数週間も、

母親を
感じることができない。

そこで、

さらなる「絶望」を味わったのです。

「お母さんには、もう会えないの?」
「お母さんには、もう二度と会えないかもしれない」

そう「誤解」して、

小さな体の
すべての体力を使い果たすまで泣いて

眠りについたのです。

それが
わたしたちが生まれた日、

生まれてはじめての日に
起こった出来事だったのです。

・・・・・・・・

その日から
わたしたちは

まるで、
メガネをかけるようにして

ある「レンズ」越しに
この世を観るようになりました。

それは、

「また見捨てられるのではないか?」

というレンズであり

「また嫌われるのではないか?」

というレンズであり

「もう二度と手に入らないのではないか?」

というレンズであります。

量子力学的にいえば

『観測したものが現実になる』

といいますから

それが現実となるわけです。

仲間はずれにされてみたり
恋人に別れを切り出されたり
お金がない状態を続けてみたり

「不快な状態」から
「絶望的な状態」に至るまで

それらの「レンズ」が「焦点」を合わせたものを

「現実」

として記憶してきたわけです。

あなたは

誰かに対して、

いいえ

この世に対して、

何度となく
苦しい体験をし

何度となく
大小の絶望を繰り返したのではないでしょうか。

その「原因」が
その「レンズ」だとしたら

どう、思いますか?

そもそも

その「レンズ」自体が

「誤解」の産物であるのに。

(いつも長文ですが、今日はこのあたりが折り返し地点です)

・・・・・・・・・

さて、

「真実」をお伝えします。

あなたが生まれた日、

母親は
あなたを産んだだけ、です。

あなたを見捨てるために産んだわけでも
あなたを嫌いで産み落としたわけでもない。

むしろ、

あなたの登場に
歓喜したのです。

事情があって
あなたを手放した場合でも

涙をのみながら
手放したことでしょう。

さて、

「事実」をお伝えします。

あなたは
愛されてきたのです。

それを証拠に

あなたは今日、
生きているのです。

母親にしてみれば、

24時間365日

自分は寝る間もなく
自分がトイレに行く暇もなく

「オギャーオギャー」と泣くあなたから目を離さず

寝ているあなたの
寝息を確認し

何度も確認し

安堵しては、

あなたの服を洗い
あなたのミルクをつくり
あなたを抱き上げ

そんな24時間365日を

何年ものあいだ
繰り返してくれたから

だから、

あなたの体は
大きく成長し

今のように
在ることができているのです。

母親でなくても
母親の代わりの人がしてくれたのでも

同じことです。

あなたの体は
誰かの「愛」によって、

成り立っている。

あなたの体は
愛である。

思い出してください。

もし、あなたのお母さんが
もう、この世にいないのなら

代わりに
あなたに伝えます。

「あなたを愛しています」。

だからもう、泣かないで。

いいえ、
泣いて、泣いて

それからでいいから

どうぞ、
立ち上がって。

「誤解」だったとはいえ

あなたは「絶望」したのでしょう。

その涙は「事実」です。

これまでに溜まった悲しみを
体に溜まった悲しみを

泣いて、
流して、
排泄してください。

床に背中をこすりつけて
おもちゃを欲しがって泣きじゃくる子供のように

泣いて、
叫んで、
終わらせていいのです。

「誤解」を。

その「レンズ」を
外していくのです。

慣れ親しんだ視界は

名残惜しくもなり、

気がつけばまた

その「誤解のメガネ」をかけていることも

あるでしょう。

それに気がついたときに

何度でも、

その頭蓋骨から

外してやればいいのです。

あなたの手で。

それを「自立」と言うのです。

自分でお金を稼いでいても

自立していない人は
大勢います。

物質的な自立をしていても
「誤解のメガネ」をかけ続け

苦しんでいる人は
大勢います。

物質ではなく
精神の自立。

わたしたちが
そのメガネを外して

まっさらなこの世を観たとき

恐ろしいほど

「何も起こっていない」のだと

理解するでしょう。

そして、

その
「何も起こっていない世界」においては

願いを叶えることなど

呼吸をするほどに容易であると

知ることでしょう。

だってこの世は

苦しい場所でもなければ
絶望的な場所でも、ないのだから。

あなたが、
その「メガネ」の存在を知り

それを外すと
決めるなら。

あなたが願ったことを阻害する人は

もう、不必要だと

腑に落ちるなら。

この世は
はじめから

あなたを歓迎していた。

しかし、あなたは
それを誤解した。

誤解の過去を
創りつづけてきた。

慣れ親しんだ世界は
名残惜しいかもしれないけれど

その世界に
住み続けたいのか、どうか?

これから死ぬまで。

その苦しみのある
その不足感のある
その空虚さのある

今の世界に。

あなたが、
決めるなら。

あなた自身が「誤解」していたと
「非を認める」ことができるなら。

あなたは
愛された。

だから
いま生きている。

誰に感謝しましょうか?
その前に謝罪しましょうか。

あなたの「絶望」を叶えるために
その役を演じてくれ続けた人たちに。

・・・・・・・・・
最後に。

その「レンズ」のままの「現実」が生成されます。

自分が知っている世界に
留まろうとする脳

いわば、

「変化を恐れる脳」

それは、

わたしたちの祖先が
命がけで獲物をとって

それを喰らって
生きていた頃の

危険を察知する能力の
名残です。

微細な変化に気がつかなければ
死に至った頃の名残です。

もう、道を歩いていて
獰猛で巨大な動物に食われることは

ありません。

変化を、
歓迎しても、いいのです。

あなたの人生は
簡単に変わります。

その「絶望のレンズ」を
その「誤解のメガネ」を捨てて

裸の眼で
この世界を見る勇気を持つなら。

あなたが
あなたを生きると
決めるなら。

内藤加奈子

(子供の心理については「チャイルドセラピー」を出典元としています)

 

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内藤加奈子(ないとうかなこ)
1975年東京生まれ。1日生きて居るのがやっとという10代を過ごし、アパレル業界を経て起業するも失敗し、無一文となり、銀座ホステスを経て、再び起業。店舗コンサルタントとして8冊の本を執筆。小規模商店から大手企業までをクライアントに持つ。1児のシングルマザー。

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