今日はわたしの
日記として書きますが
あなたの何かに変換して
お読みいただけるでしょうか。
今朝、
カフェでお茶を飲んでいて
他のお客を眺めては
うっすらと
批判的な目で見ている自分に気がつきました。
批判的になるときは
自分を守りたい時であり
何から守りたいのか?といえば
「悲しみ」から守りたいときであり
そのような時には
視界が狭くなります。
自分から見えている事実のみで
加害者をつくり出していました。
わたしの視界においては事実であっても
もっと高い視点から見れば
それは一部であり、一側面でしかないのに
それも見えなくなります。
私にはまだまだ
成長の余地があります。
まだまだ
偏った見かたをしてしまうことがあります。
・・・・・・・・・
何年も、
自分を否定してきたように思います。
その否定の悲しみから
逃げるようにして
大きなアクションや、
大きなチャレンジを続けてきたように思います。
その結果、
本を書かせていただいたり
大企業と仕事をしたりと
実績となったものも
事実としてありますが
その事実がまとっているのは
大きな喜びが半分
大きな悲しみが半分。
女性としての自分を否定し
自分を力無いものとして罰し
その罰への
罪滅ぼしのように
力をもっているように見えるものへの
反抗としてのエネルギーで
生きて来ました。
・・・・・・
わたしだけでなく
多くの「元あかちゃん」たちが
それぞれの悲しみを
抱えて生きています。
しかし、
その悲しみも
その悲しみという幻想が生んだ過去も
すべて「幻想」です。
生まれただけで
「母子分離」しただけで
「おかあさんに嫌われた」と誤解し
新生児室にいるあいだじゅう
「おかあさん!おかあさんどこ!!」と泣き叫び
泣き疲れて眠り
起きてまたお母さんを探して。
その絶望が
人生の初日であったわたしたちは
「この世は寂しい場所」
「この世は見捨てられる場所」
「この世は困難な場所」であると
誤認識するのです。
ただ生まれただけなのに、
拗ねた目で世界を眺めてしまうのです。
(「チャイルドセラピー」による解説です。いつも話が長いのですが、今日はここらへんが折り返し地点です)
・・・・・・・・・・
その後、
24時間365日
泣いてはおっぱい
泣いては抱っこ
泣いてはオムツと
泣いて→気がついてもらって→理解してもらって
不快な状態が
快適な状態に変わる
という繰り返しを過ごすので
「わかってもらえると→快適になる」のだと
誤認識してしまいます。
× わかってもらえるから→快適になる のではなく
○ 快適にするから→快適になる だけなのに
自分で食べることができて
自分で移動することができて
自分でトイレに行くことができる
大人になっても
「わかってもらえると快適になる」のだと
深い意識が思い込んでいるために
評価を求めたり
同意を求めたり
自分にではなく
人に向かって行動を起こし
その反動で
評価してくれない人を批判し
理解してくれない人を批判し
同意でない人を批判してしまうのです。
そうではない、のに。
・・・・・・
こころの仕組みを知っても
その悲しみが
その誤認識が
すぐに溶けてなくなるわけではありません。
日々の中で
「ああ、また出て来たな」と
見つけるたびに
「あのね、そうじゃないんだよ。また誤解のレンズで世界を眺めていたね・・・」と
自分に教えて
自分をしつけています。
繰り返しです。
そうすることで
深い意識が
認識を変えはじめます。
新しい認識が
増えて行くのです。
新しい定義を
自分に刷り込んでいくこと。
自分を
教育していくこと。
自分を自分で育てるこ
と。
それができるのは
「大人の特権」です。
あなたは、いかがですか?
わたしには
まだまだ教育が必要です。
悲しみのレンズではない
無色透明のレンズで
長い時間
この世を眺めていられるように
悲しみのレンズをかけていたら
気がつくまでの時間を短くできるように
こんなふうに
みなさんに
わたしの幼さをお見せしながら
自分へのしつけをお見せしながら
建設的に生きていけるように
大人の心で生きていけるように
エネルギーの使い方、
それを向かわせる正しい方向を
自分に教えて生きたいと思います。
過去にも
たくさんの人に
迷惑をかけたり
悲しい思いをさせたりしてきました。
「ごめんなさい。」
それは
自分を責めて
ダメなものとしてのレッテルを貼る言葉ではなく
「いままではAという生き方をしてきてしまいましたが、これからはBという生き方をいたします。」
考えを改めるとき
生き方を改めるときの「宣言」です。
「ごめんなさい。」が言えると
「ありがとうございました。」が湧き上がります。
しようとしなくても
湧いてくるものです。
被害的に観測し
被害という現実を確定させ
さらに「この世」に対する「レンズの色」を濃くしてしまい
さらに被害という現実を
確定させてきたのでしたら
「レンズ」を外す
外している時間を長くする
試しに
「違うレンズ」をかけてみてもいい
それは
「この世は素晴らしく優しくあたたかい」
というレンズとして
試しにかけてみると良いでしょう。
すると
そのレンズにふさわしい事象を観測し
それを現実として
確定させることになる。
見つけていることが
現実になっている。
「すべて自分が創っている」というのは
こういうことなのですよね。
「悪いできごと」に見えることも
「良いできごと」に見えることも
自分が作っている。
作り出すことができている。
書きながら
自分に教えています。
あなたは
もっと真実を生きられる。
色のついていない
悲しみの色のついていない
否定の色のついていない
そのものの現実を見ることができる。
あなたも
あなたも。
・・・・・・
残り時間を大切に生きて
関わる人にも良い空気を差し出せる人になります。
ごめんなさい。
私を創ったすべてに誓います。
日記におつきあいくださり
ありがとうございました。
内藤加奈子
追伸:わかってもらえても、そうでなくても、どちらでも「快適にすることで快適になる」と知っていれば、どちらでも嬉しいし、わかりあえたときの嬉しさはただのプラスであり、わかりあえないときがマイナスではなく、ゼロであり基礎であると思えます。それを「大丈夫」というのだと思います。あと、レンズをかけている者同士、レンズをかけている前提に共感しあえるだろうとも思います。
内藤加奈子(ないとうかなこ)
1975年東京生まれ。10代から「人生を変える」「美しくなる」ための数々のトレーニングを重ねる。アパレル業界を経て起業。接客や店舗づくりに関する独自のメソッドやコンサルが反響を呼び、これまで8冊の本を執筆。小規模商店から大手企業までをクライアントに持つ傍ら、ファッション・キュレーターとして、女性のためのアパレルのネットショップを運営。「自分らしい媚びないライフスタイル」を生きたい女性のための彼女のブログは、多くのファンの支持を得ている。
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