母親は、アレクサじゃない

お母さんがおっばいをくれて、お母さんが抱っこしてくれて、お母さんがいないないばあをして笑わせてくれて。世界はお母さん(他人)によって快適だったから、それを大人になっても他人に求めるのは間違い。

他人によって満足な状態にさせていただけていたのは、自分でできなかったから。自分でできない間の「期間限定サービス」。その期間はとっくに終わっています。

ネットで見かけた不快感に「不快だ」とわざわざコメント?それは「オギャーオギャー」と書き込んでいるのと同じ。他人によって満足を得ようとする限り、あなたはオギャーオギャーと泣き続け、無力な被害者であり続ける。

「幸せな人」というのは、他人のせいにしない「大人」。期間限定サービスの継続をまわりの他人に押し付ける赤ちゃんのままでは幸せには生きられない。夫が?妻が?上司が?部下が?兄弟が?親戚が?親が?こどもが?その関係をつくり、継続を選んでいるのは自分。

わたしも赤ちゃん全開で生きてきたので、うまくいかなかった。今は自分に向かってオギャーと叫びます。自分で世話をしながら、人様にご迷惑をかけたときは頭を下げながら生きてます。下手くそなりになんとか上達しようともがいてます。あなたもそうでしょう?

お互いさま。あなたもあなたも。芸能人は大変ですよ。見ず知らずの人にまで頭を下げて。下手を晒しながら生きる姿を見せてくれているのだから。むしろこちらが頭が下がる。知らない人にまでオギャーオギャー言う外野は、映画の感想を言いながら毎日生きているのとおなじ。自分のスクリーンには何も上映しないまま。そんな洗脳が、3S政策。セックス、スポーツ、スクリーン。それらに惹きつけられるようにメディアで。その感度も感動も他人のもの。便乗しているだけ。気をつけていないと、バーチャルが自分の人生にすり替わる。楽、だから。でも、楽しい、だろうか。

幸せ、には手間がかかる。サービスを自分にしなくてはならない。他人さまに快適を求めて、不快に注文をつけているうちは檻の中。サービスの悪い店?そこを選んだのは自分。給料の安い会社も、自分を評価しない会社も。自分のセンスを磨くのみ。

子どもに快適を求める親までいる。不登校?家に置いておいたらいい。学校でないと仕事がない?中卒のあの人のほうが稼いでいたり。そんなの例外?少数派?少数派を怖がるのは多数決の弊害か。親の勉強不足でこどもを追いやって家出した娘が犯罪に巻き込まれて、頭を抱えないで(たとえばのはなし)。子どもに幸せに生きてほしいだけでしょう。笑って生きていてほしいだけでしょう。時代が変わったというより、事実が見えてきただけ。恐れずに自己否定するだけ。

私たちは死ぬまで発展途上。知り、改めて、未熟さを知り、間違い、改めながら生きる。そんな仲間。指を差し合うことに意味はない。みんな下手くそに生きてるんだから。あの有名人も、あの社長も、見えない裏側では下手を生きてる。みんな同じ。やさしく。弱い。