なぜ「引き寄せの法則」では、願いが叶わないのか?

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20年来の親友と、話していた時のことです。彼女は、一流大学を出て、◯◯総研に就職し、今は、外資の監査法人に勤めている、いわば「エリート」です。
(ちなみにスタイル抜群です。)

その彼女が、
ボソッと、言いました。

「いや、老後が心配でさ、投資でもしようかと思って。でもお金ないから、今、投資するお金を集めてるんだよね」

「へ?」

と、私。

「お金もないのに、何、投資しようとか考えてんの?お金のプロのくせに、馬鹿じゃないの?笑」

(彼女とは、気持ちいいくらい罵り合いができる仲なので、つい口が悪くなります。)

さらに、聞いてみました。

「老後、老後、って言うけど、生きてるかどうかもわからないし、生きてたとして、まだ何かやりたいことでもあるわけ?」

と聞くと

「マンションが欲しい。」

と言うので

「いくらなの?」

と聞くと

「2億円。」

だといいます。

2億円のマンションが欲しい、ことは
良いとも悪いとも思いませんが

気になったので、
聞いてみました。

「2億円のマンションに住んでる人って、老後のこととか、心配してなくない?」

「確かに!」

「欲しいなら、持ってる人のように考えてたり、動いたりしなくてはなりません。笑」

「それ、”内藤加奈子語録”の何ページだったっけ?笑」

「8ページ。かなり最初のほうだから。ちゃんと読んどいて。笑」

(今のところ、そのような本は実在しません。笑)

二人で顔を見合わせて
お互いの馬鹿さ加減に、
シャンパンを乾杯しました。

……

欲しいものがあるとか
成りたいものがあるとか

というのは、

とても素敵なことだと思います。

しかし、

私も、ここ13年ほど、
人の相談を受けてきて
思うことがあります。

よく

「引き寄せの法則」

などといいますが、

これを語るとき、
多くの人が「完全に忘れていること」があります。

それは、何かというと

「今、すでに引き寄せ終えている現実」

のことです。

成りたいものや
手に入れたいものを手にいれるために

ポジティブに考えてみたり
ポジティブな言葉を使ってみたり
そうなったところをイメージして喜んでみたり

するのは、
別にいいと思いますが

「今、すでに引き寄せ終えている現実」

を無視しては

「現在地」がわからないまま
地図を見ているのと同じです。

……

「自分」を「磁石」に例えて
考えてみてください。

今、あなたが
引き寄せている「現実」は

「あなたという磁石」が吸い寄せた
「砂鉄」みたいなものです。

その「砂鉄」を見て

「こんなんじゃない!」
「こんなんじゃ嫌だ!」

と、ジタバタしても、

あなたという「磁石」の性質が同じなら

これから吸い寄せる「砂鉄」も
これまでと同じ種類の「砂鉄」

ということになります。

よく

「自分が変われば、周りも変わる」

などと言いますが
そういうことなのかもしれません。

自分の「質」を
自分の「性質」を

変えない限り

「現実」は、変わることはありません。

しかし
「自分を変える」と言っても

ダイエットするとか
綺麗に化粧するとか
言い方を変えるとか
やり方を変えるとか

そういう
「表面」のことではありません。

もちろん
「表面」を変えてもいいのですが
「表面」はどちらでも良いのです。

あなたが変えるとすれば
あなたが本気で変えたいのだとすれば

「あなたのクセ」

を知ることからはじめます。

その「クセ」とは
「思い方のクセ(=行動のクセ)」です。

例えば、

あなたが、人から何か
物をもらったとします。

そんなとき

「悪いわ。何か返さなくちゃ」
と、思う「クセ」がある人もいれば

「わあ、うれしい!ありがとう!」
と、終始喜ぶ「クセ」のある人もいれば

「あの人は、私を喜ばせて、騙そうとしているに違いない」
と、勘ぐる「クセ」のある人もいるかもしれません。

この、例え、で言うなら
「物をもらった」という事実に対して

自分は、
どう感じる「クセ」がある人間なのか。

そんなふうに

自問自答して
自分の「クセ」を知るために

いろいろな思いをして

自分を知ろうとしているのが
「生きる」ということなのだろうと思います。

その「クセ」こそが、
今の「現実」を創っている、
のですからね。

さて、あなたは、
どんな「クセ」を持った磁石
でしょうか。

……

話を戻します。

私の親友は、

2億円のマンションに暮らすような
生活がしたい

と言いながら、

老後の心配をしています。

彼女の場合は

「老後の心配をしている」
(どんなに足りていても、足りないかもしれない、という心配をしつづける)

というのが

「今、すでに引き寄せ終えている「現実」」

です。

それを引き寄せている
自分という「磁石」の「クセ」は
いったい、どんなものなのか。

最後に、これを探って
今日は終わりにしたいと思います。

彼女の場合は、
欲しい物があるのに、

それを買える貯金があるのに
買いませんでした。

そして、
一番欲しい物よりも手に入りやすいものを買って

なんとか、
自分を満足させようとしてきました。

彼女が今欲しいのは
「フランクミューラー」の時計です。
140万円のものです。

(ものの高い安い、の話ではありません)

欲しいのに
「自分には、不釣り合いなんじゃないか」と

時計でも、服でも、靴でも
なんでも、

本当に欲しいものよりも
数段、お安いものを選んできました。

それを、
心の底ではいつも
怒っていたのです。

ついでに、
彼女はいわゆる
「買い物依存症」です。

一番欲しいものではないものを
いくつも買っては
使わないまま、クローゼットにしまい込んでいます。

「お金があっていいわね」

という話ではありません。

彼女は、買えるお金もあるのに
人から羨まれるような要素を持っているのに

心の底から満足したことが、一度もない、のです。

「クセ」によって。

大げさに言えば
自分を裏切り続けてきた、とも言えます。

おそらくですが、
彼女は、本当に2億円のマンションが欲しいのではありません。

「手に入れた、と、満足してみたい」
「愛された、と、満たされてみたい」

のです。

それが、2億円のものなら
満足できるだろうという、算段なのです。

この「クセ」がある人は

口紅一本でも
お野菜の1つでも

「本当に欲しいものではないもの」を選びます。

ですから、
値段の話ではないのです。

「自分で、自分を満たしてやらずに、自分で怒っている」

と、同時に

「誰かが満たしてくれないからだと、人のせいにしている」

のです。

しかし、
今の「クセ」のままでは

たとえ、
宝くじがあたって、
そのマンションが買えたとしても

彼女が、
心の底から満たされることは、ないでしょう。

なので
私は、その日

彼女を、フランキュミューラーの
銀座のお店に連れて行きました。

彼女は、
デパートの売り場で
数本のフランクミューラーを眺めただけ

だったというので、
連れて行きました。

(って、私も初めて行ったんだけどね♡)

奥の個室に通されて
おいしいお茶が出されて

彼女は、試したい時計を
全て、試しました。

その日は、
買わずに帰りましたが、

帰りながら、彼女、言いました。

「こういうことなんだね。」

なにか、
わかったことがあったみたいです。

……

「今まではこうしてきた」

という「クセ」がわかったら
その、「クセ」の「完全に逆」を行ってみる。

買わないできたなら、買ってみる。
黙ってきたなら、言ってみる。
避けてきたなら、近づいてみる。
しがみついてきたなら、離れてみる。
追ってきたなら、追われてみる。

やらずにきたなら、やってみる。
やってきたなら、やめてみる。

あなたの「クセ」はどんなもので
その「逆」とは、どんなものなのか。

振り子の原理、です。

それを、試してみると

自分の「現在地」が
見えてくるもの、だと思います。

未来を引き寄せたいなら

「今、引き寄せ終えている現実」を見る。

それを引き寄せた「クセ」を知る。

これは、
誰に教わるものでもなく
どこかで勉強して、わかるものでもありません。

自分に聞く、
くりかえし聞く、しかありません。

あなたの「クセ」は
どんな「現実」を引き寄せ終えていますか?

きっと、

彼女の「目的地」は、
2億円のマンションではなく、

今の自宅です。

欲しいのは、モノでも、人でもなく
自分の中に、自分で隠してるものだから。

自分で隠しているそれを
発掘するっていうめんどくさい旅が、
「生きる」ってことなのかもしれません。

別れ際に、
彼女、言いました。

「かんちゃん(わたし)の考え方だと、なんか楽になるね。」

「気楽にいこうぜ。自分が全部知ってんだから。」

「それ、何ページ?」

「13ページ。全然読んでなくない?笑」

「笑。わたし、時計、買うわ。うん、買う。」

お後がよろしいようで♡

(追記)

あなたにとって
「自分に愛された」と思えることは

時計でもなければ、
高価なものでもなければ

モノではないかもしれませんし

それが何なのかは、当然ながら
人それぞれ、です。

どんな「クセ」で
その逆は何をすること(しないこと)なのか。

それを試すとき、
きっと、心がザワつきます。

そのザワつきのなかに
「自分が隠したもの」がきっと、

顔を覗かせてくれることだろうと
思います。

本当に欲しいものは◯◯じゃないのに、

それを代替えにして
◯◯さえ手に入れば…と

自分を騙し続けるのも
その苦しさを味わうのも、

「クセ」を知るための
「経験」です。

「表面的に、欲しいと思い込んでいるもの」

「思い込む「クセ」」は

どんな「現実」を引き寄せ終えているでしょうか。

わたしもまだ、
旅の途中ですけれどもね。

……..