「美人」と「そうでない人」は、何が違うのか?

fullsizerender-166「美人」と「そうでない人」、その違いは一体何なのでしょうか。

時々、オフィス街にある、人の出入りの激しいカフェに、立ち寄ることがあります。

そこで、たくさんの女性を見ます。

やはり、感じるのは

「美人」と「そうでない人」

その違いは

「生まれ持った顔のつくりの違いではない」

ということです。

ひとこと、で言うなら

「そうでない人」は、

顔に表情が、ない。

たとえば、品物を受け取るときでも、お店の人の顔を見るでもなければ、さっと品物を受け取って、最小限の動作で、店を出ていく。

「仏頂面」

という表現が
似合ってしまう感じ。

これに対して

「美人」は、というと

レジで注文するときから、挨拶もできて、品物をもらうときも会釈して丁寧に受け取る。

そんな違いがあるように思えてしまうのです。

また、

「そうでない人」は、

「誰にも見られていないだろう」

と思っているような素ぶりが
多い気がします。

口をおさえずに、大あくび。

鏡を覗きながら、鼻の毛穴の汚れを毛抜きで取るツワモノまで。

これには驚きましたが

「わたしのことなんか、誰も見ていないだろう」

この目線が

「そうでない人」

を創っているように思えてなりません。

一方

「美人」には

「恥じらい」があるように思います。

「見られているかもしれない」

という意識からくるのでしょうか。

だから、仕草の一つにも、丁寧さが重なっているように見えるのです。

上着を脱ぐときも
後ろのお客の邪魔にならないように

小さな動きで脱ぎ着を終える。

そんなこと、です。

小さな違い、なのです。

「顔の作りではない」

と申しましたが

ヘアメイクは、
非常に重要だと思います。

なんとでも、
顔を表現することができるからです。

「そうでない人」は、

化粧も、雑な人が多い。

眉毛も、ザーッと書いただけだったり、ファンデーションも丁寧に塗られていなくて、雑な厚塗りだったり。

長年、その化粧を続けているのだろうという、朝のルーティンが見えるかのよう。

「どうせ誰も見ないだろう」

そんな

「拗ね」が見え隠れしているように
思えてなりません。

また一方

「美人」はというと

眉毛も一本一本書かれているかのような自然なものだったり、まつげの一本まで丁寧に整えられていたり。アイシャドウの陰影も工夫されたあとが見えたり。

いつも、新しさにトライしているように見えるのです。

「誰かに見られたら恥ずかしい」

やはり、そこに
恥じらいがあるように思えます。

超売れっ子の、
キャンペーンガールだった友人が言っていました。

「美人とブスは1ミリしか違わないのよ」

名言です。

 

365日を
適当に済ませながら過ごした人と

365日を
少しでも良くならないか
楽しくならないかと

工夫しながら過ごした人。

1年後に、差が出るのは
自然なことでしょう。

その差が、顔に出るのも
自然なことでしょう。

「美人」と
「そうでない人」は

「心」が違う、のです。

顔は、何で出来ているか。

そう、「骨」と「肉」で出来ています。

骨はなかなか変えられませんが
肉はいかようにも変えることが出来ます。

よく笑う顔は
笑う筋肉が発達します。

顔が大きいことを気にする人なら
マッサージで小さくすることもできます。

わたしは
「造顔マッサージ」というのが好きで

もう何年か、朝晩やっていますが

実際に、顔が小さくなりました。

やりはじめてすぐに効果が出たので
楽しくて続けています。

丸顔がイヤだったのですが
顔の形も変わりました。

また、この半年で
5キロダイエットしたので

顔を含む
全身が変わったと思います。

いいえ、ここでは

何をしろ
何をするな

という話がしたいのではなく

「自分次第で、いかようにも変えられる」

と申し上げたいのです。

あなたがもし、ご自身を

「そうでない人」

だと思っているのなら
それはただの思い違いです。

あなたは

「美人」

として生きたければ
それを生きることができるのです。

わたしは
銀座でホステスもしていましたし

その後、2万人の女性たちと
仕事をしてきましたが

銀座のママたちでも
素人の女性と

顔の作りに違いはありません。

毎日の「心」と

それを持って生きて来た経験値

それが女性に

後光が差すような輝きを
与えるのです。

「どうせ私は、美人じゃない」

と拗ねている人は

そういう自分を創り出し
そういう人生を創り出し

それを生きていきます。

そして、ますます

「どうせ…」

は強固になって
わざわざ叶わぬ恋をしたり

そして、ますます
意固地になってしまったりするのです。

そして他人を羨み、嫉妬し
意地悪な思いを抱いてみたりして

それが顔に出てしまったりします。

そしてまた

「どうせ誰も見ていない」

という意識で暮らし続けるなら

「出会いがない」

という現実を
見事に引き寄せ続けることになります。

出会いがあると思っていたら

人を見るでしょう?

そうしたら

「人に見られているかもしれない」

とも、思うでしょう。

そうしたら

自然と、毎日のメイクも
仕草も、自然と変わっていく

はずなのです。

女性を眺めていると
つくづく、感じます。

その人の「心」だけ、だなと。

それで「肉」も変わる。
それで「顔」も変わる。

出会う人も変われば
生活も変わり

人生が変わっていく。

ただね

美人、の部類に入る人でも
寂しい人生を送っている人もいます。

人は寄ってくるけれど
なんでも持っているけれど

「心」が閉じたままだと
「自分」を疑ったままだと

「愛」を受け取れないのです。

自分や人への懐疑心。

ここをクリアできたら

「幸せ美人」のできあがり。

自分の温かさに、気がついて。
自分の優しさを、表に出して。

もう怖がらなくていい、から。

あなたの「良心」に従って
ささやかに誰かを温めて。

小さな挨拶。
眉毛の一本。

自分をよく見て。
他人をよく見て。

婚活、とかしているなら

寝ているとき以外が
いつも「婚活」です。

「心」が「活」きているからこそ

あなたはつねに
リニューアルし続ける。

「婚活」は「心活」。

あなたの魅力は
「心」次第で、変化し続けるのです。

そんな「動き」のある人。
それが「魅力」ある人。

「どうせ…」の心のままで

どんなに着飾って
そのときだけいい顔したって

あなたの「心」は
あなたに「嘘」をつくことはできないから

結局

「どうせ…」と
「イコールの現実」しか、見えない。

その現実しか
受け取れないのです。

出会がないのは
誰かのせい、じゃない。

「自分のせい」です。

無人島に住んでいるなら
出会はないかもしれないけど

無人島に住んでいるみたいに
誰も見てないと思って暮らしているから

出会いがないのです。

「自分のせい」にできるからこそ
「どうにでもなる」のです。

「他人のせい」だから
「どうにもならない人生」を生きることになるのです。

さあ、二択です。

今日の今から

「美人」として生きるか
「そうでない人」として生きるか。

それで、

明日が変わります。
来月が変わります。
来年が変わります。
未来が変わります。

今=未来

なのですよね。

それでも拗ねていたいなら
誰かのせいにしていたいなら

どうぞお好きに。

そういう未来を創ることも
自在なのですから。

内藤加奈子